100文字小説 31-40
三十一
連勤の睡眠不足で寝坊してしまった。慌てて家を出ようとしたら靴がなかった。就職祝いに母が買ってくれた革靴。
「そんなに無理して働くことないんだよ」
昨年死んだ母の声が聞こえた気がした。
僕は玄関にぺたりと座りこんで、職場に電話した。
三十二
(こんな日になんで働かなきゃいけないんだ……)
俺をあざ笑うかのように駅の自動改札が閉じた。駅員を呼びつけて文句を言ってやった。
コンビニでは弁当を温め忘れた店員に怒鳴ってやった。
ポストには宅配便の不在者通知。ああ、面倒くさい。
(どうして俺だけ……)
三十三
人と目を合わせるのが怖い。見られてると思うと緊張して動けなくなってしまうんだ。そんな僕を見てみんな笑う。
でも彼女は違う。
彼女とならいつまでも見つめ合っていられる。ゲームの中の彼女に触れることはできない。わかってる。
それでも見つめ合えれば、僕には充分なんだ。
三十四
「やった! 3㎏マイナス!」
デジタル表示の体重計が、目標を達成したことを証明していた。高校二年から八年間、下回ることのなかった一〇〇㎏をついに切ったのだ。
「今日はご褒美にアイスクリームを食べよう!」
もちろん冗談。わたしは変わると決めたんだ。
三十五
ランドセルを背負った少年達の下校中。
「なあ、あれなんだろ?」
川原に水色のクーラーボックスが置かれていた。
「ああ? ゴミだろ? 早く帰ってスマブラやろうぜ」
「そうだな」と、少年達は駆け出した。
箱の中の死骸を気にする者はいない。
三十六
「夢は必ず叶います。諦めないで努力してください」
小学校の担任の言葉をバカみたいに信じて生きてきた。
「義足のお前が宇宙飛行士に?」
何度も笑われた。
今でも信じてる。カウントダウンの始まったロケットの中で、次の夢も必ず叶うと、バカみたいに俺は信じてる。
三十七
「大臣の名前を読み間違えるなんて、おたくのアナウンサーどうなってるの? これだからテレビはダメなのよ……」
電話口で陳謝するオペレーター相手に、老婆は三時間以上も話しつづけた。
電話を切ったときには日が暮れていた。話し相手をなくした部屋は冷たいほどに静かで、老婆はまたテレビを点けた。
三十八
その晩はずいぶんと冷え込んでいた上に、いつも使ってる電気毛布がいかれて、老人はなかなか寝付けなかった。
隣の布団の老婆も震えていた。
「一緒に暖まりましょうか?」
同じ布団で寝るなど結婚して六〇年、初めてのことだった。
翌朝、抱き合ったまま息を引き取っていた。老衰だった。
三十九
黒板を引っ掻いたような金切り声をあげて、女は少女の髪を引っ張った。ショッピングモールのアイス売場の前だ。
娘らしい少女の足元にはソフトクリームが落ちていた。
ヒステリックに叫く母親の声が耳に入らないのか、娘はどこか遠くを見ている。と、突然こちらを向いた。
わたしは、思わず目を逸らした。
四十
その穴に嵌まるともう脱け出せない。
足首をつかまれ、ずるずると引きずり込まれ、脱けようという気力すら奪われてしまう。
「ああ、眠くなってきた……」
ダメだとわかっているのに動かない。
ゆっくりと目を閉じて、炬燵で寝落ちていく。