97.暗転
ダンジョンに入って4日程度。食事と睡眠の回数が目安であり、正確ではない。今は地上に向かうために近くの杭を目指しており、今日の野営は杭の道で行う。
獲れ高は普段通り。実力が変わらない限り、滞在期間は伸びないだろう。食料に余裕があっても、気力が足りない。迷宮酔いの無い地上に戻ってくるたびに、強い疲労を自覚する。日の中頃であっても、村で一夜を過ごすほどだ。
深い層に行けばダンジョン内にある探索者村で休む事ができる。宿泊設備が整い、壁に守られた場所は野営より疲れが取れるはずだ。同程度の実力を持つ探索者なら、同じ考えかもしれない。強くなるか、このままの生活続けていくか。
生存するだけの稼ぎは得ている。家や趣味といった余裕を持たなければ、野営生活で暮らしていけるのだ。
荷車を押すレウリファの尻尾は、歩みに従って揺れている。汚れを落とせても、毛繕いを満足にできていないだろう。兜で隠れていない髪も恐らく。ニーシアも同じだ。
不満を言われた事は無い。このダンジョンに入る事も資料を手に相談している。他の場所も提案したり、されたり。最終的に納得はしなくても妥協はしているはず。
街の仕事と比べれば、探索者は死ぬ危険に溢れている。そんな状況に耐えられず、文句も言い出せずにいるかもしれない。不意に裏切られる可能性もある。
不安になるのは、自分が異物だと意識しているからだ。貴重なダンジョンコアを持っていて操作できる。ダンジョンを作り魔物を生み出せる。配下の魔物である夜気鳥と雨衣狼も、こちらの都合で生み出した。
こんな事情がなければ、2人が離れていったところで問題はない。人目も気にせず、教会にも行ける。余所者であっても今よりは職業を選べる。ダンジョンコアが無ければ、家も持たなかったかもしれない。持ち運ぶには不安な代物だ。
自分が異常であるため、普通より余裕が欲しい。戦力も資金も、外から不審に思われない範囲で、隠し切れる範囲まで。
この異常が単なる勘違いで済む事であっても、その事実を知るまでは価値を高めたい。
魔物と出くわす場所で、考え込む暇は無い。
地上で休憩している時にでも思い出せばいい。目に見えて向上しない自分に不満があるだけだ。意味も無く、考え込めば満足するような内容なら忘れているだろう。
今は道を進む事に集中したい。
薄明りの中で警戒を続けて、日の当たる地上に帰るまでは安心できない。
配下の魔物だけに見張りをさせる事はない。後方にいる自分も役割を果たしておけば、安全は増す。
魔物の臭いを嗅ぎ分ける事ができなくても、音や姿を捉える事はできる。
雨衣狼の足音は小さく、他の音を隠す事は無い。
振り向いても、ダンジョンの建材に囲まれた通路が直線に伸びており、敵の姿は無い。
姿勢を戻したところで何も無い。2人の姿も見えない。
視界に暗闇が広がっている。
目を塞がれたように、奥も手前も区別できない。
「レウリファ、ニーシアいるか?」
2人の声が返り、近くにいる事は分かった。
「雨衣狼と夜気鳥は止まれ」
音は減らしたい。視界を確保できていない状態で、魔物の接近を感知できないのは危険だ。仲間が近づきすぎても、武器を振れなくなる。
何より明かりが欲しい。
「オイルランプを点けてくれ」
「少し待っていてください」
前方から足音が聞こえた。樽の叩く音は中身を確認するためだろう。いくつか鳴った後、少し離れた場所に音が移る。火打ち石の音と共に、火の粉が低い場所で散る。
照明が生まれ、屈んだレウリファの姿を捉えた。
わずかな火は持ち上げられていく。照らす範囲は本体の金属容器と、レウリファの胴と顔ぐらいだ。
レウリファが寄ってくると、荷車やニーシアの輪郭を捉える事はできるようになった。移動はできるだろう。戦闘をするには明かりを増やしたい。
「明かりを増やしたいな」
「松明を作りましょう」
薪をそのまま燃やすよりは、松明の方が火を保てる。
荷台から道具を降ろしたレウリファが、床の上で作業を始めた。小さな明かりの中、自分とニーシアはその離れに留まる。
薪の片端に布を巻きつけると、樽に入った燃料へ漬けた。取り出された次に、燃料が浸みた布を挟むように別の薪と一緒に束ねて、もう一端に布で持ち手を作っている。着火剤の樹脂を要所に擦り付けて、最後にオイルランプから火を移した。
水平を保たれた松明は、数歩先の床まで照らしている。おかげで、レウリファの奥に立つニーシアの姿も見えるようになった。
「もう1つ用意するので預かってください」
剣を鞘に納めてから、松明を受け取る。
運び役を除いた、見張りの2人が照明を持つのだろう。荷車から火気を遠ざけておきたい。
今持っている松明が燃え尽きても、作り直すだけの素材は残っている。火が消える前に杭まで辿り着ければ良い。杭が見える位置に来れば、以降の照明は不必要だ。杭の上部に取り付けられた照明石は、松明に勝る明るい光を放っていた。
レウリファが2つ目の松明を作り終える。
「レウリファは先頭を進んでくれないか? 自分とニーシアで荷車を押したい」
盾と松明を手に、列を並び直す。
「雨衣狼と夜気鳥は警戒に戻れ」
間合いの外で姿を確認できる今なら、誤って味方を傷つける事は無い。
「進もう」
魔物も少数なら対処できる。進む道を間違えなければ、地上に帰れるだろう。
数えるほどに減った明かりを頼りに歩く。
見回してニーシアとレウリファ、雨衣狼達を見る。時々戻ってくる夜気鳥に驚く事は慣れた。
分岐を曲がるたびに杭までの距離を確認し、分岐を通り過ぎるたびに地図を思い出す。
この暗さが終わるまでを、耐える。
「アケハさん」
視界がせまい現状、少し雑音でも減らしたい。
「ニーシア、どうした?」
互いを確認するような口数が増える。
「無事に帰れたら、……外食しに行きませんか?」
自宅を得てからは、宿にも泊まっていない。街を歩くのは買い物の時だけ。立ち食いの軽食はあっても、卓に着いて食事をする機会は無かった。
「そうだな、おいしい店でも探してみようか」
ニーシアが仕事以外の提案をする事は珍しい。気を紛らわせている可能性はあるだろう。
「はい。休みを一日伸ばして、街で過ごしてみたいです。お金を少し使ってしまいますけど、家以外の楽しみがあっても、良いと思いませんか?」
庶民向けの店なら3人前でも、草貨に届く事は無い。
「稼ぎがいが増えそうだな」
餌を増やせば、無自覚な部分で何か変わるかもしれない。
鍛える姿勢が変われば、停滞している現状に影響がくるかもしれない。
「毎回とは言いませんよ」
蓄えが減っている今は外食を増やす事など無い。慣れたら無意味だ。
「そこまでは許せないな」
「私もそう思います。だから、今回だけです」
場に似合わない、喜びを隠さない声だ。
不安だとしても隠せる余裕はあるらしい。
食事をする頃になっても、足を進める。
立ち止まるのは、先にある杭が見えてから。荷車を押す役を交代するのもその時で良い。周囲が明るくなれば、レウリファに任せる事もできるだろう。ニーシアに代わるのは手間だ。
最後の曲がり角を過ぎると、奥に明かりが見えた。
松明より白い光は照明石のそれだろう。止まっている事や分岐近くである事から、他の探索者の明かりという可能性は低い。何より地図に書かれている。
先頭にいるレウリファの顔が揺れた。
「あの道を曲がったところで休憩しましょう」
軽い合図の後に提案が来た。
杭の道は一本道ではない。着いた場所も枝分かれした端の方だ。探索者の通りは少なく、道の邪魔にならないだろう。
「人が少ない内に寝ておきたいな」
薪の節約になるため、もしかすると他の探索者の姿があるかもしれない。距離を置けば問題ないだろう。
視線を止めないように意識して、床を確かめる。




