96.異質
ニーシアが指示を放つ。
ルト、シード、ヴァイス。3体の雨衣狼が動き、石肉豚の群れを側面後方から襲いかかる。
群れが散り、怯んだ相手を雨衣狼が狙う。取り残された2体は戸惑っている。人間ほどある細身が、伸びのある動きで、立ち止まった者を囲んだ。
石肉豚の体長は雨衣狼と同程度か、それより短い。動き回る相手を定めきれず、足踏み、突進の気を妨げられている。攻撃に転ずる前に隙を突かれて、傷を負う事になるだろう。
たが、見える体は大きい。骨格を包む肉は膨れたように厚く、子供と大人の差はある。一目では、雨衣狼が体力を浪費しているだけだろう。敵との距離を保ち、攻撃を避ける体勢で動き続ける。素早く反応できる者のみ可能であり、自分程度では性能が足りない。
あの2体に関しては、抜け出す場合に薄く注意しておくだけでいい。
散った3体と同じく、ニーシアとレウリファも広がった。ダンジョン内の石肉豚は何度か対処をしている。個別に対処すれば、おそらく問題ない。
構える敵との距離を狭める。動きの少ない的は狙いやすいだろう。間を置かず、相手が迫ってきた。合わせる盾は、腕に固定せず、掴むだけにしてある。
突進に対して反撃するのだ。
敵の方向転換が無い分、考え無しに向かうよりは、まともである。それだけだ。
レウリファから学んだ戦い方だとしても、他に安全な方法があるはず。
石や槍を投げたり、網を撒いて足に絡ませたり。直接相手をしなくてもいいはずだ。
今の戦い方が普通だとすれば、身に危険を覚える自分が弱いのだろう。
敵の動きに遅れた時、身に受ける衝撃は生死に関わる。弾かれるのはこちらだ。敵の体は衝撃を受けても耐えられる。肉付きと戦い方が適している。四肢や首の太さ。骨格を守る筋肉と脂肪。内臓を隠す体勢。
盾と鎧は薄い。金属と木と革の守りは、取り換えが利くという意味では優れている。生身についた傷は簡単に癒えない。
盾を持つ腕で衝撃を減らし、鎧で余りを受け、残った勢いも全身で逃がす。技量次第では、はるかに大きな敵でも対処できるのだろう。
最初の突進は反撃をせず、早めに避ける。次も、その次も。
突進に対して、片腕を動かさず、避け続ける。
癖の無い相手だと覚えたあたりで、ようやく剣を振る。狙いは頭だ。腕をしならせず、衝撃を逃がす操作で、刃を立てる。
手に響いてくる衝撃は耐えられる程度、剣を握る手にも異常はない。
突進をした石肉豚の頭部に、衝撃は伝わっている。威力が少ないため、数をこなす手間を重ねるだけだ。
相手をする間も周囲を確認して、次の逃げ場を探す。雨衣狼の包囲も敵の動きに合わせて移動する。敵の標的が移ったり、味方の邪魔は少なくしたい。
攻撃を受けた敵が、再び直進する。速度に劣化は無い。回り込むような動きは無理でも、向きの修正を多少してくる。こちらに剣と腕の長さがあるため、交差の際に攻撃できているだけだ。
避ける間に剣を振る。叩いた敵の頭に傷は見えない。レウリファの真似は出来ない。
資料によると石肉豚は泥を体に塗る習性があるらしい。乾いた土をまとい、太い毛が緩衝材となる。頭以外は刃が通らず、鈍器や刺突武器で対処する。このダンジョンのように毛を露わにしている個体は、対処しやすい。
進路を変えない素直な敵は、数回剣を受けたところで、揺れが目立つようになった。足を休める間が増え、時々、突進を仕掛ける。
威嚇の動きで足踏みを誤り、息吹を聞く数も増えた。相手の積極性は下がっている。
こちらから一歩進み、相手を誘う。威嚇と突進の区別は正確にできない。隙を見て、相手の緊張を高めていく。
焦った相手が突き進んできた。十分な距離で避ける。ダンジョンの床は平らで硬い。土ほど踏み込みを吸収してくれず、重い体では速度が抑えられ、動きは単純になる。
横を抜けた相手が転んだ。体勢を戻す事もできず、高い鳴き声を上げる。乱暴に身体を動かす間は近づけない。巨体を支える筋力は、荒ぶるだけでも危険だ。とどめ刺しの槍でもあれば、すぐに攻められるのだが。
とっさの首振り程度なら衝撃も耐えられる。腹の裏に回り込み、隙を見て剣を振る。
剣が硬く響いた後、すぐに身を引く。
敵は空振りする四肢を暴れさせ、体の向きが変わる。動きが衰えるまで待つ。
体力が尽きたような敵に、再び打撃を加える。再び暴れだす。
相手の頭部には、肉が崩れた跡が生じる。剣筋も正確でなく、切り傷が複数重なった結果だ。数ある薄い切れ目から血がにじみ、流れた血が固まる。
このまま逃がせば、半日で動き回るようになるだろう。人間より体力が高い。
最後は骨を狙って、剣で突く。暴れるには暴れる。先ほどよりも速度を落とし、泣く声が響く。
死ぬまで待つ。
これまで戦った個体の内、逃げる者もいた。その際は雨衣狼が追い駆けてもらい、問題は無かった。
実力に合わない魔物を狙えば、負けた時に人間を学習されてしまう事がある。すべての人間を倒せる、と勘違いする程度でも問題で、勢いのついた個体が群れを作る場合がある。知恵のある魔物であれば、武器の間合いや扱いまで覚える。
自分だけでは、上の階層で収まっていたはずだ。死んでいる可能性まであるだろう。
倒れている別の個体には深い剣筋が残り、死に際の動きも終わっている。相手をしたレウリファはニーシアの方を助けている。
後から訓練を始めたニーシアでも同じ魔物と戦う事ができる。対人訓練は体力で勝てているものの、そう遠くない内に負ける事になるかもしれない。
武器の扱い以外にも、肉体の鍛錬は増えた。筋力も増えている。レウリファには届かなくてもニーシアには勝っているだろう。
対人では相手の行動を狭め、有利な状態に持ち込む事が定石といわれた。レウリファの攻めは先を考える前に、対処に追われる。ニーシアは安全に攻められる隙が無くなった。
自分に成長が見込めないなら、直接戦う状況を作らない方がいいのだろう。ダンジョンを扱えた時はそれで生きていた。
勝てない相手で戦うしかない状況に追い込まれたら、ダンジョンを使うしかないのだろう。
レウリファが加わると、時間が空かない内に石肉豚が倒れた。
その後のとどめまで早く。剣の動きも早い。訓練の際は手加減されている。素振りを見て分かっている。
雨衣狼の方は、ずいぶん前から戦いが終わっていて、逃げた場合の待機までしてくれていた。
売る分の肉まで確保してくれる。配下の魔物は有能だ。夜気鳥にしても不意打ちを防いでくれている。
自分が役に立つのは探索者という身分くらいだろう。土台を支えるような立場だ。取り換えが利くのは自分だけではないため、気にする必要は無い。足手まといのままでも、生きる術を手に入れる。戦う以外の方法も探しておくべきだろう。探索者になれるなら、別の仕事も選べるかもしれない。
敵が動かなくなった辺り、戦闘が終わっても少ない休憩で、獲物の処理を始めなければならない。
血抜きはあまり効果が薄い。吊るす場所は無く、壁に寄せる。毛皮の汚れを洗うのは地上に出てからだ。
探索者としてもダンジョンの存在はありがたい。すでに魔物の死体から硬化魔法の作用は薄れている。外の場合は内臓周りが煮える事さえありえるのだ。水場が遠く、解体もできない。獲物の買取がされないなら、討伐依頼のある魔物しか狙わなくなるだろう。
3人で荷台から樽や道具を降ろし、自分も解体を始める。
レウリファとニーシアが切った肉は樽に詰められていく。ダンジョンに入ってから水の補給はできないため、表面の汚れを洗う水まで節約している。傷の酷いものはこの場で処理する、アメーバのいる樽に入れるか、消費するか。樽に入れても良いが、肉の処理が悪いと評価を付けられるかもしれない。
石肉豚の肉は大きく、1体でも樽3個は必要になる。小分け用の樽を使っているのは、運ぶ手間や丈夫さが理由にある。肉が詰まりすぎて保存薬に漬からない場合も駄目だろう。ひと月腐らないこれがあるから、大抵の探索者はダンジョンの深い場所まで進める。肉を持ち帰れなければ、収入の半分は減るかもしれない。荷車には、これまでに埋まった樽が数ある。保存薬の種類も変えているため、買い値の変動も多少は問題無い。
食べる分はさらに小さい樽に詰める事になる。
石肉豚の肉は美味しくない。赤み肉は硬く筋が強い。舌に乗せた時の冷たい質感は、加熱後かどうか疑うほどだ。そんな問題も保存薬に漬けて、柔らかくなれば解決する。
脂肪部分は用途が様々あり、厚めの脂肪となると保存期間も伸びるため喜ばれる。保存薬がなければ、赤み部分は捨てるか、骨と同じで崩して肥料になるくらいだろう。
安定して売れるのは、魔石と毛皮でこれらはしっかりと確保する。
自分は雨衣狼達が倒した個体を解体する。こちらは皮と臓器を取り除けば、肉は塊で構わない。傷が多い毛皮は、防具に向かなくても、地図といった小道具なら問題ない。
このダンジョンで生み出された魔物は、命令に従わない。ダンジョンの操作ができない時点で期待は少なかった。
種類を変えて試しても結果に違いはなく、深い層でも変わらないだろう。強い魔物であれば試す暇は無くなる。




