92.力の継承
アンシーがこちらの隣にある机に手を伸ばす。
飲み物を運ぶ盆代わりにしていた3枚の板。上の一つを持ち上げてみせる。
「魔力の有無を確認させてもらうよ。魔道具を使える時点で間違いないけど、念のためにね。
討伐組合に登録した時の魔道具と同じ、板の上面に触れてみて」
差し出された板に手を置くと、触れた上面が光った。
「うん、良さそうだ」
遠ざけられた板が机に戻される。
次に手に取った板は、アンシーの手前、届かない位置で見せてきた。
「こっちの板は触れる事で、魔力の流出を体験できる。元々の用途を知っている人なら拷問具と言うだろう。装着した相手の魔力を奪い、喪失感や苦痛を与える。アケハ用に調節して、痛みも抑えてある。念のためだけど、他人が直接触れないように保管してね。布で包めば問題ないから」
「アンシーは直接触れているけど、大丈夫なのか?」
「大丈夫。我慢もしていないよ」
目の前で持ち手を変え、板の裏を見せてきた。
「手の印が書かれた面に触れると、効果が表れる。他の面は問題ない」
確かに、手の印が描かれている。
こちらに見せているアンシーは、先ほどから印のある面に触れている。
「魔力の扱いに慣れれば、妨害に抵抗できる。奪うだけなら対処も楽だ。アケハは身を任せて、魔道具の暴力をしっかり味わうと良い。手荒に扱っても壊れないからね」
説明を受けるほど、避けたくなる。
「下手に抵抗すると、魔力が乱れる。魔力の扱いを間違えれば、大怪我を負う。魔法を教える事が難しい理由だね。それ専門の魔道具もあるくらい、効果的な方法だよ。精密な制御をする敵に、ひと刺し。あっという間に破裂、なんて話もある」
アンシーは空いていた手を水平に浮かせ、手のひらに板を乗せる。
「触れるとこんな風に光る」
言い終えると同時に、板の表面で模様が光る。
何か意味があるようにも見えない。丸い形をしていて、線が複雑に集まっている。
「模様と、魔力を奪われる感触を覚えてくれたらいい。制御する際の手本にしてね」
「書き残してもいいか?」
「良いよ。少々の歪みなら、効果が薄れる程度だ。この見本自体、私が設定した紛い物だ。歪めて、効率が良くなる可能性もある。当分は挑戦しない事。魔道具を介するのが安全策だから、金と学が無いと無駄に終わる」
アンシーは拷問具を机に戻して、3つ目の板を持ち上げる。
「魔力を制御して、同じ感触を再現できれば、同じ模様が描ける。最後の板は、魔力を確認するためのものだよ。魔力を流せば反応して光る」
アンシーが手の上に置かれた板、光る模様は先ほど見かけたものと似ている。
「体内で異常を起こさずに、魔力を操作する。自由に描けるようになれば、大抵の魔法を模倣できる」
板の模様が変わり、アンシーの手の甲にあった印を映しだす。
「板をどける際は、魔力の制御を手放す事。その切り替えができない者は、自滅する」
模様が消えた後に、アンシーが板を離した。
裏には手のひらほどの円がひとつ描かれている。3つの板を区別できる。
「補助具や魔道具に頼らない事を目標にしてね。壊されて戦意を失うより、あっさり殺されたいだろう。手放せない暗器を持つ相手は、捕縛が難しい」
板が机に戻され、空いた両手は各膝に置かれる。
「今回は説明だけで終わりだ。練習する場合は、できれば誰かの監視の元で行う事。それと魔道具の指輪は外しておいてね。誤って反応する可能性はある。あと指輪を外している間は、奴隷が首輪を操作できない。気を付けて欲しい」
奴隷が首輪の操作ができなくなると、自動で首輪が締まる。レウリファの場合は2日が期限だ。
普通に暮らして入れば、他の作業もある。休みなしに練習を続ける事はないだろう。
「怪我をした場合や、模様を安定して作れるようになったら、私に伝えるように。次の訓練も地味だけど、死ぬ可能性は低い」
アンシーが3つの板を重ね、こちらに差し出してきた。
魔道具を両手で受け取る。
「私は半月ほど休む予定だ。家の扉を叩いてくれれば、大抵は出てくると思う。小さな依頼で出かけている場合もあるけど、組合に言伝を頼んで欲しい。受け取り次第、会いに行くよ」
半月となると30日。自分なら2度ダンジョンに向かうほどの期間だ。探索者が自由に休める仕事といっても、ここまで休暇を続ける者は少ないだろう。見たところ、アンシーに怪我は無い。
「ありがとう」
「うへへ……。まあ、別の用事もあるから、付きっきりとはいかない。残念だけどね」
一瞬崩した表情を直して、返事が来た。
「そろそろ、夕食の準備もあるから帰るよ」
「ああ」
毛布と空になった容器を持って、アンシーが離れていく。
残された家具は放置しても問題ないのだろう。雨の気も無い。風も強くない。
自分も、腰掛けを離れて自宅に向かう。
ニーシアとレウリファが夕食を準備してしていた。配膳を手伝うにも遅い。
借りた魔道具は布で包んだ後、寝台のそばにある棚に置く。目につく機会が多いため、練習を忘れる事も無いはずだ。
夕食を終えて、就寝の準備を済ませた時間。
2人が寝台に座る中、自分は棚に行き魔道具を取り出す。
「魔法の訓練をするために、アンシーから借りた魔道具だ。俺用に調節された物らしい。魔力を奪う物で痛みもある。触れる場合は布をはさむようにしてくれ」
返事を貰った後に、説明を続ける。
「訓練の間、どちらかに監視を頼みたい。怪我をした場合は、アンシーが治療や対処をしてくれる。家か組合へ呼びに行って欲しい」
それぞれに頷きを返された。
「レウリファには注意してほしい事がある。魔道具を使う間は指輪を外す。首輪の操作ができなくなるから、溜めている魔力が少ない時は知らせてくれ」
「かしこまりました」
伝えるべき内容は他には無い。
「今から試してもいいか?」
寝台の近くに椅子を動かす。
座った後に指輪を外した。
膝の上に置いた包みを開け、一番上の板を持ち上げる。
裏表が無い。確認用の魔道具。手を当てると触れた面が光る。魔力の有無を調べられる、監視をする2人も触れる事はできるだろう。
次に取り出した拷問用の魔道具。
包みとは別に用意した布で持ち上げて、手の平にのせた。
弱く光り、指が引っ張られる。模様は見えない。
指の各関節が音を立てるくらい、強く引かれる。
皮膚が引き延ばされ、手首まで届く痺れ。
わずかに模様が浮き出る。
肘を過ぎて、二の腕の半分から始まる奇妙な感覚。
麦粒も無い小さな塊は、体内をひしめき合っている。手首まで移動する間に、それぞれが皮膚を押す。見た目に無い、震えを感じる。
腕の中に網を通しているようだ。何層もの網が、肩から指先まで動いていく。細かい異物がこされ押し出される。いくつかが網をすり抜け、暴れているのが分かる。
手首まで移った塊は素直に動く。まとまって流れるためか、引き寄せられる力は強くなる。
憶えの無い感触だ、魔道具は模様を十分に映していた。
何か千切れた。音は無く、痛みも無い。
板面が暗い。
手のしわから、冷たい感触が染み込んできた。粘りと振動、魔道具の質感が皮膚の奥にある。
細かい針が肉を削り、手の中を登りだす。
汁気を帯びた肉が、指先へ落ちていく。
針の尾に続く糸が、こすれ合い。
ぬめりを持った肉片が絡み、かき混ぜられていく。
肉の隙間をすり抜ける網が、胴体の半分まで押し出し始めた。
手首を傾けた。
拷問具が床に落ちて、音を響かせる。
ニーシアとレウリファが迫り、名前を叫ぶ。
返事をしようとして、吐く息が無いことに気付いた。
呼吸を戻し、上半身を膨らませて、やっと。
大丈夫、と返した。




