91.アンシーの提案
「魔法を教えてくれるのか?」
アンシーはこちらが答えるまで、まばたきを止めていた。
「状況が変わったからね」
探索者の一人に過ぎない自分を気にかけている。獣使いという事や隣人という事も関係しているのだろうか。
寝椅子に座っているアンシーが少し前に移動した。
体を前に傾けた状態で、机に置かれた盆代わりの板に触れる。
手を置き、指の腹で一番上の板を叩く。
「辺境の都市で、魔物の大群に攻められた事は知っているかい?都市の内部まで魔物が押し寄せて、人間の被害も大量に出た」
以前暮らしていたダンジョンの話も伝わってきているかもしれない。ダンジョンコアを誰かが手に入れた、という事は知られるだろう。高価な素材であるため、行方を探される可能性まである。
「……ああ、でも。城壁は修復されたし、教会も復旧した。都市としての機能は戻っているよ」
教会が復旧されたなら、広場で演説をしていた聖女も都市クロスリエを離れた、という事になる。聖者の方も、魔族を探しに行ったと聞いて以降、行方を知らない。
聖者も聖女も教会関係者であり、接触を避けたい存在だ。有名人でもあるため、居場所に関する噂も流れているだろう。
「この国が、ここまでの被害を受けたのは初めてだ。遠征のために借りたはずの聖者一行を向かわせた、くらいには深刻だった」
廃村が多い事は知っている。少数の魔物では都市を壊せていなかったのだろう。
聖女物語には、都市へと魔物が大量に攻めてきた、という話は複数ある。都市クロスリエで起こった事と似ている。
この国は話の舞台になっていないのだろう。創作であるため誇張はありえる。物語には国名や地名が書かれていないため、詳しく調べないと実在したかを確認できない
「事後承諾になったけれど、法国からは称賛を貰っている。国内からの批判の方が多かった……、なんていう余談は不要か」
聖者は法国から借りているらしい。聖者の扱い方は決められていて、今回はその決まりを破ったのだろう。
「とにかく、国境が狭まる可能性があった。今でも危機的状況というべきだ。国の動向が変わるのは当然、探索者の扱いまで変わる」
普段から魔物を相手にしている探索者は、戦争に駆り出される可能性はある。拒否できたとしても、魔物の襲撃を受けてしまえば、周辺の環境は変わってしまう。
「死なないためにも力が欲しい。君もそうあって欲しいんだ」
生息する魔物が変われば、探索者も対応すべきだ。相手に適した武器がなければ、危険は増す。
「だから、私と同じ術を扱えるまで、アケハを鍛えたい」
板の上に置いていた手をずらして下ろす。
「知らない所では死なれたくない」
アンシーは思いついたような仕草の後に、笑みを作る。
「ほら、私と君の仲だ。遠慮せずに要求してほしい」
こちらに向いて、握手を求めるように手を伸ばす。
魔法がどうかではなく。鍛えるという名目で、接する機会を増やしたいのかもしれない。
他人に観察される事は避けたい、というのは本音にある。アンシーに助けられた事があり、自分も戦力を上げたい。魔法が必要になった時に、知り合いを増やすよりは安全だろう。
飲み物の容器を机に置いて、アンシーと手を合わせる。
「わかった。アンシーに鍛えて欲しい」
「ありがとう、アケハ」
アンシーが握り返して、答えた。
握手が長く続いていたため、手を引く。大した握力は無く、簡単にすり抜けた。
「ああ、飲みかけなら、飲みながらでもいいから話を聞いてね」
自分が飲んでいた容器は空の状態である。
頷きを返して、アンシーの話をうながす。
「さっき話したけど、怪我をする可能性は高い。必ず一度は経験する。私としても怪我の少ない教え方を選ぶつもりだけど、痛みがそれなりにある。結果が出るまで長く、私を不審に思うかもしれない。それでも君が諦めない限り、私は教え続けるよ」
新しい事を覚えるのは難しい、知識も無い以上時間もかかるだろう。
「教えるかわりに金を要求しないのか?」
貰える以上、対価を求めてくる可能性はある。先に聞いておくべきだ。
「金かー。生活に困っていないし、得しないからなー。形式的にしたいなら頼み事をしてもいいかな?」
「内容を聞かせてほしい」
「私の過去を詮索しない事」
指を一本立て、答えたアンシーは手を下げた。
「私から聞くのは良いよ。勝手に話す場合もある。ただ、軍や討伐組合で私の名前を探さないで欲しい。勝手に期待されても困るからね。何より個体差が大きい。出来が悪くて失望されるのは嫌なんだ」
探索者は基本的に個人活動である。軍の依頼を受け、実力を認められている相手と、今の自分を比べる事はしない。アンシーの心配は不要だ。
頼まれた以上は従う。組合職員との伝手がない限り、情報も手に入らないだろう。
「教えられる事にも限りがあるし、教え方を知らないものさえ……、あ」
一音と共に、アンシーの口が止まった。
「アンシー?」
急に顔を下げ、自身の手をいじり始める。
「そのね、地味なんだ、ものすごく」
握り込む。細かく動かす指は組んでも、なお動く。
「例えようが無いくらいには、地味。音を立てずに歩く、よりも地味かもしれない。別の芸を覚えればいい、と思うのが普通だけど、難しい事情がある」
手の平を合わせ、指を広げる。
再び、指を重ねて、指の先だけ合わせた状態で、顔を上げる。
「見る人によっては、癖に気付かれる。他の人から魔法の指導を受けられない、かもしれない。師と子の関係を重く考える人なら、他の師に乞うような人間を嫌うはずだ。魔法という学問は、派閥もあるけど、血統に近い貴さがある。相性が悪く、魔法を使えなくなった者もいるくらいだ」
教わる相手は一人に決めた方がいいらしい。魔道具は使い続けられるだろうか。
「魔法を使える人間から見れば、馬鹿にされるかもしれない。派手さが無い、と。素人目で過小評価される可能性も高い。私自身そんな経験はある。でも絶対に損はさせない。君に必要なものだと私は断言できる」
アンシーの動きを止め、こちらの返答を待っている。
「わかった。アンシーの過去を詮索しない事、だけでいいのか?」
「あと、私が教えている事を言いふらさないで欲しい、くらいかな」
鍛えてくれるにしては、簡単過ぎる条件だ。アンシー自身の利益が無い。
「他に思いつかないからね。対価を要求して、君が生活できなくなったら意味がない」
両手をほぐしたアンシーが、腕を下ろす。
「儲けるなら、法国に行って講師になっているよ。知識と教育手段さえあれば、学生相手に大金が稼げる。なにせ相手は金持ち。鐘ひとつ話せば、木貨の数枚は稼げる。専属を一度経験すれば、田舎で一生を過ごせるらしいね。まあ、私にそんな価値も度胸も無い!」
胸を張って笑顔を見せてきた。
「多少の怪我なら癒せるから、失敗を気にしなくていい。大怪我を負う前に中断させるし、慣れれば補助も不要だ。探索者生活にも影響は無い、問題が起きた際の生活費は出す」
迫ってきたアンシーが顔を逸らす。
「治癒魔法を使える人間が少ない事も、魔法使いが少ない理由のひとつかな。私の場合、魔法も使えるし、怪我人の扱いには慣れている。安心して身を任せて良いよ」
再び顔を向けられ、寝椅子から落ちない程度でアンシーの接近が止む。
「アケハは迷宮酔いを感じられるよね?」
「ああ」
身を引いてから答えると、アンシーも身を戻す。
「なら、問題ない。意識して操作できるようになる。早速始めよう」
夕食まで時間が無い。簡単な質問で済むだろうか。




