87.ダンジョンを知る:後編
入る際に通った坂を上り、ダンジョンを出た。
日は昇り切る前、鐘も1度鳴った程度だろう。小規模なダンジョンとは知っていたが、実際に行ってみると予想より早く終わった。
足並みを崩さない内に、顔を下ろす。
空堀と木柵に取り囲まれ、奥の石壁に抜け道は無い。柵の隙間からは数人の兵士が見え、こちらが出てきた方へ注意を向けている。
出現する魔物に対して、防御が過剰だ。
膝丈も無い魔物ばかり、目立った凶器も無い。一人で抑えられる程度の数で、往復する時間もかからない。金属鎧を着ていれば、寝られるようなダンジョンだろう。
資料で知ったのはダンジョンの内部だけ、管理の方法までは書かれていなかった。実際に来てみると、魔物を生み出す場所が、脅威として認識されている事が分かる。
現状は街の住人でも対処できる脅威でしかなく、壁を作った事でダンジョン自体が守られているとも感じる。事実であり、先を見越して管理されているのだろう。
成りたての探索者なら、ダンジョンに向かう以前に外を歩く事が危険であり、戦いに慣れるために訓練の場所が欲しい。周囲の安全が確保されながら魔物に相対できる場所として、このダンジョンは有用に違いない。
背中を見せるレクターは、ダンジョンの管理と、新人を指導する立場を兼ねている。
木の柵を抜けるとレクターは武器を納め、組合の建物のそばで止まった。
「属する団体は決めてあるのか?」
解散する前にレクターから話題があるらしい。
「団体自体を知らない、」
「ああ、まあ。移住ならありえるか」
納得したらしいレクターが続けて話す。
「ダンジョンを進む場合の探索者の集まりだな。数十から百人程度が役割分担をする事で、長期間の活動を可能にしている」
ダンジョンの規模が大きいほど、管理に人手が必要な事は予想できる。活動範囲を決めておけば、魔物を捜索する場合の無駄足も減るだろう。
買取の行列と酒場を除けば、探索者が集まる様子を見た事が無い。街中で集まる理由がないだけで、ダンジョンでは団体を見かけるだろうか。
「商隊のように輸送馬車を揃え、武装の整備や治療の専門も加わった集団で、探索者の中でも軍に近い形式を組み込んでいる。組合から半ば独立した団体もあるから、傭兵団といってもいい」
レクターが一間置いた。
「新人育成に熱心な団体だと、戦闘訓練や講習を行っている。荷運びを任されれば、護衛付きでダンジョンを経験できるはずだ」
配下の魔物とレウリファに頼る現状よりも、集団に混ざって活動した方が安全だ。加えて、複数のダンジョンで奥まで進めるなら、資料以外の知識が得られるかもしれない。
「行動を縛られたくない探索者の方が多いが、一度試してみると良い。団体によってかなり方針が違う、大手の団体を次々と移るような物好きがいたぐらいだ。まあ、獣使いとなると扱いが難しくなるが、逆に喜ばれる場合もあるだろう」
王都で獣使いの探索者を見た事が無い。獣魔を連れて歩かないのか、元々少ないのか。
もう一つある討伐組合の施設に行けば、出会えるだろうか。
アンシーが両方の施設を利用するなら難しいかもしれない。
「何にしても、探索者が増えるのは嬉しい。俺は所属した事が無いから、勧める団体は無いが。良い噂は多いから、体験談でも聞いてみると良い」
資料館で探すよりは、人に尋ねた方が情報を集められるだろう。
「考えてみるよ」
「よし、教えられるのは、このぐらいだろう」
呼吸をしてみせたレクターが、体勢を緩めた。
「あの後、アンシーが暴れたらしいが。問題は無いか?」
王都の討伐組合に入った時の出来事を、人伝で知ったのか。それ以前に出会った探索者といえば、建物の入口で忠告してきた探索者だろうか。
「直前に助言してくれたのは、レクターだったのか」
「おう」
今は兜で顔の一部が隠れている。とはいえ、気付かないのは不注意だった。
「特に怪我は無かった。話もしたし、助けてもらった事もある」
獣魔登録と自宅探しの時には、アンシーの手を借りている。魔物に詳しい様子なので、話を聞いたりと、今後も関わる事はあるだろう。隣人という意味でも、おそらく。
「それなら良かった。負担でなければ、気にかけてやってくれ。憂いているのか、寂しげな表情をしていたからな」
付き合いの長いレクターからすれば、違う印象を受けたのだろう。
「決まって組む仲間がいない分、拠り手は少ない。俺が入った時と違って、人を避けている印象があってな。誰にも知られず姿を消していた、なんて事にはしたくない」
探索者が死ぬ程度はありふれた話だろう。記録として残らない事もある。魔物の資料でも、誰が死んだまでは書かれていない。犠牲数と年代程度だ。
詳細がある場合でも探索者の特徴は、技量や特技と少ない。特定以前に似たような記述はたくさんあった。
自分も探索者の一人でしかない。
「憶えておくよ」
「ありがたい」
レクターは目を閉じてから、小さく頷く。
目の前にいるレクターよりも、探索者業を続けているアンシーの見た目。自分やレウリファより年上だが、数年程度の違いと予想していた。実際年齢はどのくらいなのだろう。
「レクターは探索者を何年続けているんだ?」
アンシーの事か、とレクターが呟く。
「少し待て、……俺は遅れて探索者になったが、20年以上前だ。その時点でも熟練や長生きと言われていた、から。……30、いや、35年は続けているだろう。洗礼が12歳として、今は47歳になるのか。孫どころか曾孫がいても不思議でないな」
レクターが探索者になった時点で、アンシーは長生きとして扱われていたらしい。
数年で長生きに入るかもしれないが、孫を持つような外見はしていない。子連れの親と比べても若く見えるはず。
「いやいや、あの時点で化粧の話で盛り上がっていたぞ。子持ちの方々が集って、植物から魔物まで揃えて、薬を作っていたはずだ。となると、50は……あるはずだ」
集まっていたのは組合の酒場だろうか。自分が見た限りでは、数人程度の集まりしか見た事が無い。昔は女性の探索者も多くいたのだろうか。
「年齢は気にしない方が良い。組合に記録があっても、教えてくれはしない。アンシーは年齢を気にしなさそうだが、女性は若く見られたいものだ。知らなくてもいい情報だ」
レクターから大体の年齢を伝えられたが、言う行動と内容があっていない。
「先月も、移りの探索者が事件を起こしていた。アンシーを初心と勘違いして、連れ去ろうとした。結果、抵抗を受けて故郷に帰った。そんな年齢にしておこう、か」
レクターが荷車の方へ顔を逸らした。
事件を起こした探索者と同じ予想でいいらしい。自分にとっては、ほとんどの探索者が先達である。
レクターの顔が留まっていたため、同じ場所に顔を向ける。
荷車には小型の魔物が1つだけ。敷いた布には血が広がっている。一匹のために荷車を使った事になるが、獲れ高次第なため。同じ光景は今後も見るだろう。
レクターが倒した魔物であるため、このまま持ち帰る事はできない。
「この後は組合に寄るのか?」
筋狸は食用として好まれない魔物であり、組合に預けて金に換えるだろう。レクターがこの後も待機するなら、質が落ちない内に買い取りを済ませたいのだろう。
「代理で運んでもいい」
「いや、講習の間に狩った魔物は、基本的に受講者へ配られる。この場で貰えるなら、裏で荷車も洗える」
組合まで移動する用事が無ければ、往復の手間が省ける。換金できるなら問題はない。
「買い取ってもらえるのか?」
「即金は難しい。講習で獲物が無かった事は少ないからな。講習の報告をするついでに、買取った事も伝えるつもりだ。代金を組合に預けるのは、明日の朝になるがそれでもいいか?」
金に余裕はあるし、買取も大した金額にならないだろう。
ニーシアとレウリファへ顔を向け、同意を貰う。
「そうしよう」
「交渉成立だな」
レクターが
「早く来たからな、普段は2、3はいるものだが。相場より高めで買い取っておこう」
あの大きさだと土貨に届かない可能性もある。受け取れる額なら得だろう。
水場に移動してから、レクターが獲物を受け取ってもらった。
桶に汲んだ水で荷台を洗い、濡れた車体を拭き終え、絞った布を荷車の側板に干した後、少し休憩する。乾燥はしないが、道に水が滴らない程度には乾くだろう。武装を付けたまま洗車していたが、ダンジョンから魔物は出てこなかった。
討伐組合の建物裏には解体場所があり、干す場所まで設けてある。レクターは魔物の解体を終えて、毛皮の肉削ぎをしているところだ。
隣に行って話を聞くには、このダンジョンの待機では解体の手間賃を稼げるらしい。レクター以外も同様で、食事も済ませるのが普通のようだ。
他のダンジョンでは組合の建物が大きく、宿泊や依頼確認、買取まで行えるという。
専門の運び人や解体士を雇っており、鮮度を保った状態で王都まで運べるため、その場で預けた方が買取金額が高くなるらしい。
作業を終えたレクターに声をかけてから、ダンジョンを離れた。
乾ききっていない荷車を押す。
自分たちの後ろで門が閉まる音を聞きながら、歩いて進んだ。
迷宮酔いが消えていくと、頭痛と疲労が増してくる。ダンジョンにいる間、緊張していた事も影響しているだろう。
迷宮酔いの間は、体の異常に気付けない可能性もある。長期間留まったために、無理に動き、取り返しのつかない失敗をするのかもしれない。
魔物との遭遇も多く、探索者自身の油断も増えるなら、壁の外を歩くよりも危険だろう。
ニーシアとレウリファに声をかけて、広場の端の方で足を止めてもらい、建物の壁を背に休憩する。
行きと変わらない光景が見えた。
石壁の周りに多く集まる浮浪者のような姿。迷宮酔いを感じているだろう。頭痛と疲れが増すため、離れないのかもしれない。
ダンジョンの中でも痛みや疲れは感じる事に変わりない。ただ、普段と違う状態に違和感を覚えてしまう。知らない人間は無意識に誘われるのだろう。討伐組合が管理する場合でも、結局探索者が立ち入る。壊さない限り、近付く人間は尽きないのかもしれない。
体をほぐして、体勢を整える。足を止めた事を2人に謝るが、気にした様子も無かった。
帰り道は、レウリファが荷車を押してくれるらしい。
午後の予定は無いため、時間に余裕がある。早めに食事をして眠るかもしれない。




