83.聖女物語
食卓の椅子に座り、喉の奥まで温まるクテカ茶を飲む。
座る前から器に注がれており、火傷をする事態は避けられた。器の水面から昇る湯気が、飲んだ後の息から見えたとしても驚かない。
レウリファが器を口へ運び、湯気を揺らした後で傾ける。喉が動く様子は見えないが、閉じていた唇には隙間ができている。
木の器は熱が伝わりにくく、掴む手は離されない。
隣に座るニーシアは聖女物語を写した紙を読んでいる。
聖女と聖者が登場するなら、光神教は関係しているだろう。聖女が壊れた教会について演説をしていた事や、魔物の大群を撃退する際に聖者が参加していたという話を聞いている。
聖者だとわかる特徴があるのだろうか、服装が特殊であったり、光神教の紋章を身に着けていたり。昔の聖者の強さも書かれているかもしれない。創作だとしても知っておきたい。
「アケハさんも読みますか?」
こちらの視線にニーシアから反応が来る。読書を中断させてしまったが、向けられた表情に嫌気は見えない。
「読んでみたいが、邪魔にならないか?」
「なりませんよ。冊子ではないので、読む項が違っても同時に読めます」
読む速度はニーシアの方が早い。こちらが追い付く事は決してないだろう。
「それに一度は完読しましたから。アケハさんも読んでみませんか?」
ニーシアが読んでいた紙を降ろし、卓上の紙束を持ち上げる。並びを整えられるが、元々乱れは少なかった。
両手で差し出された束を受け取ると、ニーシアが立ち上がる。
椅子を隣に寄せ、座ってくる。
「読めない言葉があれば説明しますね」
「助かるよ、ニーシア」
体の向きを戻して、ニーシアが書いた文字を読む。
著者名は無い、元の複製は教会で行われたものらしい。
壁で隔てた中に暮らす人々。人を襲う魔物が歩く。迷子を捜す親は門で泣き崩れる。
遠くに見える魔物の大群。相容れないはずの魔物が並び、壁を壊すように向かってくる。
門の外に進み出た聖者が、武器を手にした民衆と共に、数えきれないほどの魔物と戦う。
傷つきながらも大群を打ち破り、率いた魔族を見つける。敵の護衛と聖者が剣を交える。
苦戦する聖者の元へ聖女が駆けつける。聖女が様々な魔法で動きを抑え、聖者が斬る。
魔族は異形の姿へ膨れ上がり、何本もの腕が武器を扱い、数多の魔法を同時に放つ。
聖女と聖者は互いを支え合い、魔族からの攻撃を防ぎ続け、敵の隙を見つける。
聖女は全身から光を散らす。聖者の剣と持つ手へと光が集い、強く輝き始める。
振り下ろした一振りで、魔族の身が分かれて、崩れ落ちる。
魔物の大群は乱れ、魔物同士が争う本来の姿に戻る。
聖者と生き残った民衆で、残った魔物を殺し、壁の中の生活を守り抜いた。
人々の称賛を浴びた後、聖者と聖女が走り寄った子供から花を受け取る。
子供が戻った先には親が並び、視線を受けながら、聖者と聖女は門を出ていく。
物語は魔物の大群との戦いから始まっていた。
聖女が魔法を使い、聖者は剣で戦う。剣を使っていた聖者でも魔法は使えるだろう。読み進めれば、有用な情報を見つけられる可能性はある。
話がひと段落して疲れを感じたため、文章を追い続けていた目を休め、読んでいた紙を束に置く。自分が読んでいる間、隣のニーシアは声を出すのも最低限で、レウリファも同じように静かで動く気配も感じなかった。
残っている茶を飲み、薄めた唾液を喉へ送る。体を軽く動かして姿勢を楽にする。身の安全に関係するとはいえ、気負い過ぎていた。このまま一人で読んだとしても、中身を考える余裕がない。誰でも読める物語に真実が書かれる、なんて事を期待する方が間違いかもしれない。
読み切った事のあるニーシアに頼りたい。
「物語に出てくる魔族に特徴はあるか?」
「魔族ですか。少し待ってください」
ニーシアの顔がそれる。膝にある両手。摘まんだ指を次には重ね、こすれた音が届く。
途切れのある手の動きが止まった。
「人から外れた容姿を持っている事以外は、思い出せません。魔物を連れていなかったり、人に化けない者もいましたし……」
ニーシアの目線は、口か首か、こちらの下へ向けられている。
「人間だと主張して、無抵抗に殺された魔族もいました。夜中のうめき声を村の住民に怪しまれ、人の皮を破り取られた後、罪人として裁かれた話でした」
最後まで自分が人間だと考えていた魔族なのか、人間の中に紛れ込むための演技だったのか。魔族にも個性はあるらしい。
「アケハさんは魔族ではないと思っています」
腕の皮を確かめていた手が、横から止められる。
「あくまで物語ですから。登場する魔族と自分が似ているなんて、誰でも考えられます」
普段以上に顔の下がったニーシア。肩を寄せてきた後で、笑みを吐く。
「傷を作ってまで、確かめる事はしないでくださいね」
包んでいたニーシアの両手が離れ、めくっていた袖が戻される。
「今日はここまでにしておくよ」
急ぐ必要はない、読む時間は明日以降でも作れる。
「わかりました。寝台から一番近い棚に置いてきますね」
言い終えたニーシアは立ち上がり、卓上の紙を集めて整えた後。寝台の横まで移動する。ニーシアは自身が使う低い棚に紙束を収めた。
寝台を使う朝夕は、文字を読むには少し暗い。昼の間であればニーシアのように寝転びながら読めるだろう。
水差しを傾け、残ったクテカ茶を器に注ぎきる。知らない間に2人も飲んでいたらしい。口に届けた茶の熱を行き渡らせるように舌を動かす。
戻ってきたニーシアが椅子に座る。
「聖者と聖女に特徴はあるのか?」
「光を放つ、強くて、負けても生き残る、ぐらいでしょうか」
死んでしまうと物語が終わってしまうため、聖者や聖女が生き抜くのは当然だ。光を放つという特徴は戦ってみないと判断できないだろう。
教会に行けば、今より詳しい話を教えてもらえるかもしれない。
「女神という言葉が表れない事は疑問ですけど、光という言葉で女神を表現しているのかもしれません」
教会関係者を見て避けるのでは変に見られる。教会には近づかない事が唯一の対応かもしれない。
「アケハさんは聖者に憧れたりしますか?」
無いとは言えない。
聖者だったら教会から隠れる生活も不要だろう。戦う力も強くて困る事は無い。危険な目に遭うのは嫌いだが、生活の場を守るためなら、仕方がないのかもしれない。
「強さが欲しいという憧れはある。それでも自分がなりたいとは思わないな」
「生活が変わってしまいますよね」
聖者は多くの人間と関わっているだろう。軍や教会、演説を行えば民衆も集まる。
今の暮らしでは人と会う機会も少ない。道行く人も、見かける程度で寄ってくる事はない。
王都でも獣人が歩く姿を見かけない。レウリファに視線が集まってくるが、帽子を無理に被せる気は無い。
「物語の聖者は魔物の王を倒せたのか?」
「はい、倒して平和を守る物語ですから」
人と魔物を隔てる壁が崩された時点で、平和とは言えない。都市クロスリエを襲った魔族が倒されたという噂は聞かない。
魔族と魔物の王は別物なのだろうか。強い魔族を魔物の王と呼ぶなら、何度も現れる存在かもしれない。
使った器と水差しを片づけるために立ち上がる。
ニーシアとレウリファがそれぞれ使っていた器も受け取って土間の方へ移動する。
食器を洗い終えたら、庭に出て配下の魔物を様子見する。寝床の整備をする時間も十分にある。




