82.暮らし慣れた自宅
アンシー宅から戻り、朝食を済ませた。
食卓に残る食器を調理場の洗面台まで運び、レウリファに渡す。洗われた後に受け取り、水気を拭き取り、かまどの上に並べていく。
レウリファが使う桶は水かさが減っていき、洗面台の汚れを取り除いて空になる。最後は立てかけて乾燥させる。
手拭いを仕舞ったレウリファがこちらに寄ってきた。
「ご主人様は、先に着替えましょう」
途中で訓練を抜け出したため、水浴びをしていない。
「外で浴びた方が良いか?」
「浴室で構いません」
水浴びをする隣で洗濯はできないだろう。
「悪い事をしたな」
訓練で使った防具も、ニーシアが拭いてくれていた。
「これからも頼ってください」
レウリファも支えてくれる。
「助かっているよ」
頼るほど生きる力を失うという、極端な考えが消えない。暮らしは不安定だ。存在が知られたら居場所を手放す。頼る場面は増え続けている。
できる事は少ない。生きる術を教わりながら、2人の意思が離れないように気を付けるだけ。依存する事は避けられず、脅し従わせる力は無い。
魔物や人間、あるいは討伐組合、軍や光神教。王都に暮らす時点で死ぬ可能性はある。3人が協力した程度で解決する問題ではない。
思いつく策は、使い切ってしまえばいい。
「ご主人様」
髪を流していた手を下ろす。顔を上げたレウリファが上目使いをしてくる。
相手の言葉と仕草を頼りに想像する事しかできない。敵意を隠していようが関係は無い。
「臭い移りしないか?」
「気にしません。慣れました」
こちらの肩に、再び頭を預けてくる。
旅の間は満足に水浴びできず、探索者として外で活動する場合も同じだろう。生活を選べないなら慣れるしかない。水浴びをしたい事に変わりはない。
「とりあえず、体を洗ってくる」
背中に手で合図して、レウリファに離れてもらう。調理場を離れ、片付いた食卓を見かけた後、更衣室に進んだ。
棚の中に着替えを用意してある。隅にある籠の1つに脱いだ服を入れ、浴室を使う。
布を濡らす水が冷たい。食事の後は特に。
自然な岩壁が見える窓。目を閉じて下げた頭に桶の水をかける。ダンジョンで暮らしていた時も、最中に襲われた事は無いが、警戒を忘れた事は無い。
全身を拭き終えて、布を絞る。
桶1つに限っていた時より、水の無駄が多い。床に広がる水滴を溝まで除けるが、洗濯を行うまでに乾かないだろう。
更衣室に戻り、緩めの服に着替えて、通路に出る。
広い寝台に合う敷布団は無い。管理の手間を考えると買う気はない。住宅の以前の持ち主は特注したのだろうか。揃えた3人分の寝具は中央に寄っている。
寝台の床板は布で覆っているが、下の感触は隠せない。
並んで座る、ニーシアとレウリファに近付く。
「待たせて悪いな。ニーシアもありがとう」
「いえ、早く終わらせて休んでしまいましょう」
2人は更衣室で道具を持ち、浴室に入る。
水洗いを終えた衣類を桶に積み、2階の物干し場まで運ぶ。
重たい桶を足元に置いてから、物干し台に紐をかけて、端で結び留める。衣類を桶から取り出し、叩き伸ばした後で、張った紐に吊るす。
次の衣類に手を伸ばすのは、洗濯ばさみを差し込んだ後だ。
木の棒の上下で切り込みの幅が異なり。交差する切り込みの先。片方を区別できるように目印の穴が刻まれている。
小道具店でレウリファが勧めてきた理由だが、最初に頼ったきり今は必要としていない。洗濯ばさみを掴んだ際に、切り込みに触れる事で上下の判断ができる。覚えるまでの助けにはなっていた。
服の収納にいれた洗濯ばさみが尽きる前に、桶が空になる。浴室に戻れば、洗い終わった衣類が積まれているだろう。
洗濯物を干し終えた後は、自宅の中で過ごす。
訓練を日中続ける事はしない。自分とニーシアの体力が続かない他、悪い癖がつく、とレウリファが教えてくれた。
消耗品を買うために、数日に一度は街に降りる事になるが、暇な時間を自由に過ごす。探索者として活動し始めたとしても、王都の外から帰ってきた時には、似た生活をするだろう。
外で活動するための物は買い揃えたが、あくまでつもりだ。実際に経験してみないと確実でなく、後になって気づく事もありえる。
用事は無く、可能な事も少ない。
ニーシアは聖女物語を読んでいる。聖者と聖女が魔物を操る魔族を殺す話がある、とレウリファに教わった。中身を読んだ事は一度もない。
魔石を売りに行った後に資料館に寄った。自分とレウリファが資料を読んでいる時に、写本をしていた。
寝台に寝転ぶニーシアの横、物語が書かれた紙が重なっている。一度しか向かわなかったが、一冊を写し終えたのだろうか。途中から図鑑を読む補助をしてくれたが、資料館に再び行く事を要求しない。
食卓の椅子に座っているだけでは体が冷える。体を動かす事にも飽きてくる。
隣で座るレウリファは目を閉じているが、起きている。こちらが立ち上がった時に動きがあり。耳に手を近づけた今、尻尾が風なく揺れる。
「クテカ茶を作るが、一緒に飲まないか?」
振り向くだろうレウリファから手を遠ざける。
「いただきます」
上半身を向けて答えてくれる。
「ニーシアの分も茶を作っていいか?」
「はい、お願いします」
紙から視線を移していたニーシアが話す。
土間に行き、玄関脇から地下室に入る。入口の板を全て外したため、明るさは問題ない。
並ぶ棚は隙間が多く、食料や利用の少ない道具を収めた今でも、場所に余裕はある。
奥の棚の足元にはダンジョンコアが隠してある。布をかぶせた木箱に手を伸ばして、中に触れる。溜まっているDPを感じる。
ダンジョンを設置できれば、DPを使用して食料を生み出せる。
雨衣狼3体と夜気鳥2体しかいない配下の魔物を増やす事で、探索者の活動も楽になるはずだ。生み出した魔物に指示を覚えさせれば、ニーシアも扱えるようになる。獣使いの探索者として討伐組合に認識されているため、獣魔が増えても問題はないだろう。
使えない手段だ。
ダンジョンを設置すれば周囲で迷宮酔いを感じるようになる。人が少ないこの地区でも誰かひとりが気付くだけで噂は広まる。魔物は脅威だ。城壁で守られている住民が放置してくれる事はない。王都の中に1つだけあるダンジョンは、討伐組合に管理されている。2つ目が残されるか確かでなく、壊されないとしても、触れる事はできなくなる。
使うとすれば見つかるまでの短い時間。DPを溜める時間は無く、使い切る事になるだろう。自分が魔物を操れる存在だと知られた時に、王都から脱出する場合の助けである。
地下室に隠しておけるだけ、身の安全を保つ事ができる。
変化が無い事を確認して、布をかぶせる。
部屋の手前の棚から壺を取り、地下室を出た。
調理場に行き、茶葉の入った壺をかまどの端にのせて、棚から小鍋を取り出す。水道の水を注いだ後に小鍋をかまどにのせる。
勝手口の脇に薪置きがあるため、外の薪棚に行く手間が省ける。貰った枝木をかまどのたき口で重ね、薪置きに置かれた壺から麦わらを取り出す。
火打ち石で種火を作り、枝木に火を移せば待つだけになる。
それぞれ2杯ずつ、一人でも飲みきれる量のお湯を作る。煮えたぎる鍋の水に、クテカの茶葉を詰めた布の茶袋を落とす。
かまどの火は消えてもなお揺れ動く茶袋。染みだしてくる赤黒い色は、獣の解体を終えた後で床に溜まっている血に似ている。疲労も無く生まれる達成感。生きられるという虚勢が増す。
お湯全体に透けのある赤が広がると、気が失せて冷静になる。
茶袋をすくい取り洗面台に置く。袋は洗って再利用するが、出がらしの茶葉は捨てる。前回は料理に使われていたが、自分にその腕はない。そのまま食べられるか後で聞きたい。
熱いクテカ茶を水差しに移し替えて、使い終わった鍋をすすいで軽く洗う。
棚から3つ木の器を取り出して、水差しと一緒に運ぶ。
食卓には2人が対面に座り待っていた。
ニーシアは物語を読んでいたが、紙を持つ手を下げて、こちらを気にする。
「まだ熱いから、気を付けて飲んでくれ」
器を並べ、水差しを置く。
2人の返事を待たずに調理場に戻り、先に片づけをする。




