81.底の大地
飛竜を殺す事に憧れは無い。竜殺しという言葉さえ知らなかった。
アンシーが語るダンジョンは、規模も形も、自分が暮らしていたものとは比較にならない。都市の脅威となりえる魔物は、飛竜が複数確認されている他にも、多数生息しているらしい。
丘に存在する、山一つを飲み込む巨大なへこみ。緩やかな下り坂と深部に向けて吹く風で、進む足を助けられる。
ダンジョンに留まる期間は長く、場合によっては20日を越えて半月に届く。
周囲の地形は落ち着きを失い、踏みならした土の道は消えて、魔物の足跡をたどる。強まる迷宮酔いと尽きない魔物の襲撃。高揚と達成感で思考が妨げられる。
昼の間しか侵攻を行わないが、長い睡眠でも疲れは抜けきれない。
吐き気と頭痛を大半がわずらい、感覚過敏によって息さえ耳障りになる。岩や木々といった地形、雨や霧といった天候。魔物の発見は遅れ、熟練者でも怪我を負う。
物資と実力が足りず最深部まで進めた事は無い。予定通りに折り返しとなる。
無断で拠点を抜け出す者。限界を知りたいと言い残して深部に向かう者。地上に帰ってきた者はいない。
地上に登るにつれて疲れと安堵で足が重くなり、歩みをこばむはずの風で体を洗われ、迷宮酔いが収まっていく。
行って帰ったところで、大した名誉も報酬も得られず、生きている実感が湧くだけ。武具店で装備を買い替えると、日常に戻る。
高難度だが死亡率は低い。底の大地と呼ばれているダンジョンは王都の歴史よりも古いとされている。
「まあ、こんなものだね」
語りを止めたアンシーがこちらに顔を向けた。
教わったダンジョンは個人で向かうものではない。ダンジョン内に作られた軍や組合の施設から補給が可能だとしても、アンシーの話の中には複数の人間が関わっている。
ダンジョンの最深部に届かず、道も整備する途中という事は、軍の人間も参加しているかもしれない。
地図によると、ダンジョンの周囲には国軍の警備が常駐しており、一般人の立ち入りは禁止されている。入れないダンジョンの地図を売っていた事に疑問が湧いていた。アンシーのように入れる探索者はいるのだろう。
「どうかしたかい? アケハ」
机に腰掛けていたはずのアンシーが目の前に立っている。
返答が考えつかない。
「アンシーは……、何の目的で参加したんだ?」
目の前の視線が一瞬ずれた。
「探索者として、あるいは私個人として。どちらで答えればいい?」
違いがあるのだろうか。
獣魔好きという個性を演じるアンシーは、以前も含みを持たせるような言動をしている。
こちらに対して特に興味を持つような雰囲気がある。アンシーが隣人になる住宅を選んだ事は軽率な決断だったかもしれない。
「探索者としての理由だけで構わない」
「うん? 話す順番を聞いただけだよ」
アンシーが前留めに手をかける。外套が体を滑り落ちて、アンシーの腕が露わになる。
半袖、半丈の股下。武器は見当たらない。肘と膝を保護する防具があるだけで、他は厚みのない布服だろう。
「探索者に見える?」
「いや」
「ダンジョンでも、この姿だったよ」
指無し手袋をはめている両手が肘を抱えた。
片手の指が跳ね、小指から順に音を立てている。
「戦いは不得意でね。戦えない部類に入れられている」
探索者は魔物以外でも、外の資源を回収する仕事も含んでいる。魔物から逃げる力があれば生活できるのかもしれない。
「私の場合は、書物の知識と絵の才能。なんとか生活できているけど、必要とされる場面が少ない。初心者の講習や手紙の代筆。なんというか組合職員だね」
弾んでいた手が喉元に移動する。
重ね着の下。黒い服は伸縮性があるのか、見えている首元は肌に密着している。
「軍の遠征に参加したのは、始めは知り合いからの紹介だった。同好の友というのか同業というのか、代理として頼まれたんだよ。いやあ、あの時は助けられた」
アンシーが顔の前に手を浮かせ、指で作った隙間を見せてきた。
「ちょっと少し、獣使いと問題を起こしていて、衛兵に追い回される予感がしたからね」
討伐組合でも噂が聞こえたが、捕まるような事態とは知らなかった。
過言か誇張か、アンシーが話を盛っている可能性はある。
「軍との繋がりができて安心したよ。精神鑑定や能力検査。遠征に追加できるかの確認を受けた時には、当然、獣使いとの事件も話した。まったく、獣魔が認められる社会で良かったよ」
アンシーが下がり、机に両手を置いて、もたれる。
「提案した部門は設立、問題の獣使いを押し込んで、すべて解決。被害者も大満足」
早口で言い切る。
「今では部隊が引き抜きを行うくらいだよ。組織が若い内に、新芽を集めて研究しておきたいみたい」
魔物の襲撃があった都市クロスリエでも、軍属の獣使いの話題があった。
「そんな協力関係で、軍に呼ばれる機会は増えて、ダンジョンの遠征にも度々参加している」
机から手を離し、張っていた姿勢を戻す。
「理由はこんな感じだったよ」
アンシーが自然にかがみ、落としていた服を拾う。
立ち上がると、外套を胸に抱いて、こちらに顔を向けてきた。
「話してくれて、ありがとう」
「話す機会は少ないから嬉しいよ」
扉の叩かれる音、アンシーの顔が動く。
「お客さんだね、お迎えかな」
「心配させたか」
置手紙を見てやってきたのかもしれない。
「少し長話になったかな、玄関に行こうか」
棚に収まる魔石は、アンシーの解体図に描かれたものだろうか。
前を歩くアンシーが、玄関まで付くと、扉を開けてくれる。
ニーシアが驚く声と共に、一歩踏み入ってきた。
「アケハさん」
「ニーシア、とレウリファか」
次にレウリファが現れ、ニーシアは寄ってくる。
「ヴァイスですか?」
玄関に置かれた雨衣狼の模型へニーシアが向く。
「そう聞いた。アンシーが模型を作っていたらしい」
「実寸大ですね」
ニーシアも、模型の首に巻かれた布で気付いたのだろう。
「朝食になるので呼びに来たのですが、迷惑でしたか?」
訓練と朝食の準備を、2人だけで済ませたらしい。
「困る事は無いし、話も終わったよ」
アンシーに顔を向ける。
「話を聞かせてくれて、ありがとう」
「うん。じゃあね、アケハ」
扉を掴んだままでいたアンシーに挨拶をして住宅を出る。
二人が両隣に並ぶため一直線に自宅へと進む。
「ああ、ちょっとだけ待って!」
数歩進んだところで、アンシーがいる後ろへ振り返る。
「聞き忘れてた。飛竜の絵はどうだった?」
アンシーの住宅に入ったのは、飛竜の絵を見るためだった。
「資料館に置かれていたら、手に取るかもしれない」
もしかすると、資料として既に存在しているかもしれない。
「良かった。見せたのはアケハが初めてだよ」
先ほどからアンシーの口調が違う。
「時間があったら、また話しかけて欲しいな」
声も高く、外見よりさらに若い印象を受ける。
「わかったよ、アンシー」
弱い笑みのアンシーが、胸の横で手を小さく揺らしている。
体の向きを戻すと、ニーシアが傾けていた顔を戻す。
二人の間に並び直して、自宅に帰った。




