80.王都の朝
鐘が鳴る前でも変わらない王都の景色。城壁が囲む、並ぶ屋根をこの数日見ている。街の人混みから離れ、城壁に届く高さがある、この場所から見える空は広い。長く暮らしていれば、アンシーが言う街並みの変化を楽しめるようになるだろう。
旅を終えて余裕が生まれた今は、好きな時に景色を見渡し、疲れるまで訓練を行う。
準備運動を終えてから見ると、ダンジョンに暮らしていた時より、社会に近寄ったという実感が湧く。
寝台を離れる時は、両隣の2人を起こさないように、静かに身を動かす。物音を立てないように注意して体を動かすため、靴を履く時には眠気が消えている。
武具を抱えて庭に出ると、手軽な動きをして体を慣らす。
ダンジョンに暮らしていた頃は、レウリファと配下の魔物に頼り、来る脅威を排除していた。
探索者として活動するという事は、ダンジョンや壁外を攻める側になる。自分が狙われる事は当然ある。
レウリファと並んで戦う技量は無いため、戦いの場では、助けが来るまで持ちこたえる事を優先する。敵を分散させて配下の魔物に攻撃させる。ニーシアも同じような役割になるだろう。
雨衣狼達に訓練相手を頼んでいるが、一体が相手でも守り切れていない。
先ほどまで相手にしていた赤色のルトは、突進を絶え間なく行うため、こちらの体力が尽きる。小休憩では抜けない疲れが溜まり、避けるの動きが悪くなる。
黄色のヴァイスは回り込む動作が多く、向きを変える仕草が来るまで目で追いかけておく。
緑色のシードは騙しを加えてくるため、無駄な動きを誘われて隙を突かれている。
個性がある戦い方を、首に巻いた布の色で覚えた。
疲労具合に違いがあるが、選り好みせず順番に行うつもりでいる。
噛みつきを禁止したのは正しい判断だった。手加減されたとしても訓練初日に大怪我をして死んだはずだ。
人間大の体は止められず、雨衣狼の突進は避ける他ない。盾でそらす事に集中するため、持っていた木剣を休憩時に拾う事が多い。
良く叩かれる足は、実戦では噛みつかれた状態になる。足に怪我を負えば、逃げられず体勢も整えられない。足を砕かれた時点で餌同然だろう。
「助かったよ。ルトは休んでくれて構わない」
頭は避けて撫でていた手を離すと、ルトは寝床に向かって歩く。2体と合流すると庭を駆けまわる。訓練では満足に動けないのかもしれない。
地面から立ち上がって、手を払う。
訓練を終えた辺りから、こちらを遠く見ていたアンシーが歩いてくる。討伐組合で寝起きしていると一度は考えたが、同じ庭で暮らしていたようだ。
隣に来たアンシーが向きを変えて、青い髪をこちらに揺らした。
「一体欲しいくらいだね」
「譲るつもりはないぞ」
落ち着いた声に同じように返す。
「見るだけで我慢しておこう」
こちらに顔を向けてくる。
「そうだ、アケハ。排泄物が見当たらないけど、どこにある?」
アンシーが庭を見回す。庭に撒くような事はしていない。
「寝床の裏にある、穴で処分している」
「見に行っても?」
少し声を高めて質問してくる。
「構わない」
先に歩いて、アンシーを連れていく。
寝床の裏にある排泄場所。少し縦長に掘った穴の周囲には汚れが見える。
「ここでさせている」
「覚えが早いな。それに、……無い」
穴まで数歩のところまで進み、体を傾けたアンシーが止まる。
「アケハ、もしかすると現物が手に入らなかったりするかい?」
「そうだな」
穴に入れたアメーバ達に処理させているため、現物は無い。
体勢を戻したアンシーがその場から下がる。
「アメーバに処理させていたのか。これは仕方がない」
「必要になるなら残しておこうか?」
アンシーが考える仕草を見せ、最後に頷く。
「いや、止めておこう。野生というわけでもないから、そこまで重要でもない」
野生の個体であれば欲しかったのか。
「あくまで趣味だから、気にしないで良いよ」
うつむいた後、落ち込んだ声を出して、顔を背ける。
「どんな趣味なんだ?」
振り向いたアンシーが抑えるような声を出しながら、近寄ってくる。
「ここだけの話だが、……実は私、絵が好きなんだ」
服に入れた手が動いてみえる。
「もっぱら描く、公開はめったにしない。おかげで探索者でも同士が少なくてね、作品の感想に飢えている」
取り出された、鉛筆と手に収まる大きさの紙。
「よければ、自宅にある作品を見ていかないかい?」
覗き見た白紙には、名前と自分を連れていく旨が書かれていく。
書置きを用意するほど、連れていく気があるらしい。
「わかった。見に行こう」
「よし、気が変わらない内に向かおう」
こちらは武装をしたままだが、気にしないらしい。
アンシーが扉に書置きを差す間に、盾を外して壁に立てかける。待っていたアンシーに案内されて、自宅を離れた。
アンシー宅は同じ庭にあり、建物の大きさも形も似ている。
「ようこそ、アケハ。来客は何年ぶりだろうか」
扉を開けたアンシーが建物の中に入ると、中の照明が光る。
玄関に入ってすぐに見える、首に黄色の布を巻いた雨衣狼の模型。背骨辺りの黒い毛あるため雨衣狼である事は確かだ。ただ、黄色の布まで用意する必要はないと思う。
「雨衣狼の模型だよ。ヴァイスを見本にした」
アンシーは毛並みに逆らうように触れている。
「つぎはぎしていて、本物は一切使われていない。毛質も似たものを選んだよ」
手を離したアンシーが奥へ歩く。
歩く両脇に並ぶ棚。上段に仕切りがあり、下段に引き出しがある。
仕切りの中には、こぶし半分ほどある魔石が飾られている。形状も違う、青から色味が離れたものまである。引き出しにも魔石が仕舞ってあるのだろうか。
「魔石を集めているのか?」
「趣味というか、癖というのか。まあ、かなりの数はある」
魔石に巻き付けてある紙には、名前らしき文字が書かれている。
自分が今まで見てきた魔石は、大きくても親指程度でおそらく質も劣る。並ぶ魔石のどれか一つを売るだけでも、宿屋の個室に数日泊まれるほどの価値があるはずだ。
「種類ごとに1つは残すようにしているから、棚が足りなくなるかもしれない」
部屋に出たアンシーが中央に机に手を置く。椅子も机も使い込んだ跡が見える。
机の上に一枚置かれた紙には、植物らしきものが写実的に描かれている。描きかけだが、見本は近くに見当たらない。
「ええと、何を見せようか」
机の背後に側面を見せて並ぶ棚。間に入ったアンシーが紙を数枚だけ抜き取ってくる。抜き去った後の棚から紙がはみ出ている。
「大衆に受けが良いのは、こういう魔物かな」
机に並べられた紙に描かれた1種類の魔物。鉤爪のある広い翼が目立つ、鱗をまとった生物。内の数枚には骨格や筋肉、魔石の位置とその形状まで細かく描かれている。説明まで書かれているため、絵ではなく資料だろう。
「飛竜の一種だね。物語ではお姫様をさらうために登場させる事がある」
絵の脇に人型が描かれており、人間の十数倍の体格を持っている事がわかる。空を飛んでいれば目立つ大きさだ。
「国を滅ぼした存在、なんて言い伝えがある。真実なら人間は滅びているけどね」
言い伝えを否定できるのは、飛竜の情報を持っているからだろうか。
「この飛竜を見た事があるのか?」
「もちろん。何度も逃げてきたよ」
解体図まで描かれているが、討伐したとは言わないらしい。想像で描いたものだろうか。
「アケハは会いに行かない方が良い」
「会いに行けるものなのか?」
素人の探索者が見つけられるなら、討伐組合で話題になるだろう。
「私がこいつに出会った場所だからね。個体を選ばなければ確実に会えるよ」
アンシーは机に設置されている照明を、指で押して遊んでいる。金属の関節があり、照らす位置を動かせるものらしい。天井の照明だけでも部屋は明るいとは思う。
「王都で確認されているダンジョンの1つ。落とし穴、底の大地なんて呼ばれる場所だね」
王都から4日歩いた距離にあったはずだ。
「組合の資料と似た説明になるけど、聞くかい?」
「頼む」
「よし、言おう」
後ろ髪を手で払ったアンシーが机へ体を預ける。




