78.引っ越し準備
宿屋の朝食を終え、出発の準備を整える。
家探しのために歩き回っていた数日と比べると時間に余裕がある。
荷物を自宅まで運び、市場へ向かい買い物に行く。
自宅に戻った後は掃除を行うが、厨房と寝台以外は後回しでも問題ない。住民がいない間も管理されていたらしく、使用できないほどの汚れは見られなかった。
王都に始めて泊まった宿屋を後にする。
ニーシアを先頭に、自分とレウリファがそれぞれ荷車を押す。配下の魔物には護衛をさせる。
城壁沿いの広い道を進む。
2度目の鐘が鳴らない内に、討伐組合の施設を越えて、門も通り過ぎている。
王都で最も中心から離れた道は、王都の中で最も広い道の1つだろう。城壁が傾き倒れたとしても、面した建物が直接押し潰されない道幅がある。
門の周辺では人が多かったものの、人混みで足が止まる事は無かった。
山側には市場が無いため、道を歩く人は急に減る。見かける大半は住民だろう。
通行人の中には、こちらが使うものより小型の荷車を押す人もいた。
景色を見ることなく、休憩をはさみつつ緩やかな登り道を進み、自宅とアンシー宅がある平地まで来る。
砂利の上を歩くため、足元では高い音が細かく鳴り、配下の魔物たちの気配も増す。
自宅の正面で荷車から手を離して。玄関の扉を開ける。
宿屋の宿泊部屋とは違う、鍵も扉も。
開けた扉に重石を置き、自宅に入ったすぐ脇に布を敷く。荷車の積荷を3人で手渡しをして運び込むと、荷車は空の状態になった。
ひと仕事を終えた後は、土間の床に直接座って休憩する。
「片づける時に掃除をした方が良さそうですね」
ニーシアは敷物の上に置かれた荷物を見ている。
「細かい汚れも付いていたからな」
旅の間でも、破損の確認や乾燥させるために、何度か積荷を広げていた。積み替えや梱包を行っていたため、運び込んだ物の多くに見覚えがある。布を被せて使用せずにいた物もこれからは日を浴びる時間が増えるだろう。
「夕方までに乾くようにはしたいな」
「そうですね」
水を飲み、疲れた手をほぐす。
休憩を取った後は、荷物を減らした鞄を背負う。
ニーシアとレウリファが庭に出た後は自宅の鍵を閉める。
振り返ると、ニーシアが荷台の近くでしゃがんでいた。
近寄ると、荷車の側面にある傷に腕を伸ばしている。
隣にかがむと、荷車を観察していたニーシアが振り向いた。
「荷車も傷が増えましたね」
「王都に来るまでは毎日使っていたからな」
都市や村の外は舗装はされておらず、旅の間に道にある小石やへこみを踏むたびに衝撃を受けていた。2つあるどちらの荷車でも、荷台の側面が壊れていたり、車輪に傷が見られる。
ダンジョンで暮らした時に長く使っていた、片方の荷車は損傷が多い。
車輪には小さな亀裂が複数あり、衝撃を抑えるために外周に巻かれた布は破れも大きい。主軸から放射状に組まれた棒も数本折れており、応急処理として布を結んであるが、傷を隠す事しかできていない。
旅の間は耐えていたが、近い内に壊れて使えなくなるだろう。探索者として活動する間に壊れる事態は避けたい。
「修理をするか、買い替えませんか?」
「そうだな。予備は持っておきたい」
自分たちでも荷台の板は取り換えられるが、車輪を修理する事はできない。分解まではしない方が良い、とレウリファに止められた。
技術を持つ大工に修理を頼むのもいいが、壊れた場所は多く、他の部品も取り換える事になれば修理代が高くなる。
「買い替える事に決めて、古い方は薪にしてもいいか?」
「はい、その方が良いと思います」
長く使っていた方の荷車を物置の屋根の下に運ぶ。
荷車の廃材は、横にある薪棚の端に積んでおけば、真っ先に消費されるだろう。
護衛をしていた配下の魔物たちに、自宅近くで休憩するように命令して、自分たちは市場に向かう。
荷物の無い荷車は砂利を踏む音が軽い。
「水路があるので、痛みやすい食べ物もたくさん買えますね」
剣の位置を気にしているように小さく振れる腕。
隣を歩くニーシアは武装をしている。
「無かったら、別の住宅を選んでいたか?」
ニーシアは進む先に顔を向けながら、間を作るように声を出す。
「いえ、多分変わらなかったと思います。水道があれば、樽や桶に水を流して自作しますよ。料理のためですから」
笑みを一度見せたニーシアが道の先へと顔を戻す。
自分も前を向く。
「料理か……」
「はい、料理です」
ダンジョンを操作して、住処を自作するつもりでいた。
足りないものがあれば都市で買い揃える生活。王都の外で暮らせるなら、家探しをする事は無かった。
庭から道に出ると、足元から砂利の音がしなくなる。
「ニーシアは料理が好きなのか?」
ダンジョンに連れ去った時に、こちらが用意した雑な食事を食べた、ニーシアが料理を任せてほしいと提案してきた。
食事関係で頼られ続けている事に、ニーシアから不満は無いのだろうか。
「……何もしない人間を生かそうとは思いませんよね」
「ああ」
ニーシアから情報を聞き出した後に殺していただろう。
「気にしないでください。好きでも嫌いでもありません」
慌てたように言葉を付け足された。
「それに少し前から、料理ができて良かった、と思えるようになりました。食材も道具も好きなものを選べて、料理を楽しめる自由がありますから」
「それなら良かった」
ニーシアには強制できないため、料理が嫌なら他の役割を任せただろう。
「アケハさん」
振り向くとニーシアを目が合う。
「私は、この生活が好きですよ」
「改善する気はあるから、不満があれば教えてくれると助かる」
弱点を見られている相手には敵対されたくない。
「もっと好きになれるようにですか?」
「ああ」
嫌われる事は避けたい。
「俺が気付かない事があると思う」
「そうですね、……もっと長く暮らせば見つけられるかもしれません」
ニーシアも今すぐ改善できる事は思いつかないらしい。
「これからも頼る事になるが良いか?」
「はい、問題ありません。私も同じですから」
道に注意ながらも、時々ニーシアが視界に入れる。
高台の土地を緩やかに下ると、比較的大きな道に繋がり人の流れに乗る。
荷車の前で先導するニーシアとレウリファに従って歩いていると、幅のある広場に設けられた市場に着く。
真っ直ぐに伸びている広場には2列になって店が並べられ、間と両脇に人が歩いている。
昼の時間帯でも荷台が邪魔になる程度に人が動いている。
人の通りがある脇道から距離を取り、壁際に停まって荷車の番をする。
ニーシアとレウリファが店と荷車を往復して買い物を続ける。2人から離れないように、停まる位置を変えながら広場の端を進んでいく。
運びきれなくなる前に2人が一旦戻ってくる。
レウリファが運んでいた頭ひとつほどある壺を荷車に積む。容器も市場で買えるのだろう。
ニーシアが背負っていた鞄を荷車に下ろす。
「液体を移してもらう器を用意し忘れていました」
確かに自宅に置いてきたものを洗って持ってきても良いが、王都まで運んできた分では暮らす分には足りないため、容器を買い足すと考えていた。
「何を買ったんだ?」
「カラン油ですよ」
カランの実を絞ったもので料理に使われる。長期間放置したものでも照明には使えるため買い溜めた方が良い。
「照明にも使えるから、多めに買えないか?」
ニーシアとレウリファが鞄に入った食材を荷台に移していく。
「わかりました、。同じ壺3つで良いですか?」
手を止めずにニーシアが答える。
「それで頼む」
鞄を背負い直した2人が店の並ぶ方へ歩いていく。
こちらと店との距離は遠くないため、2人の姿が時々見える。探索者でも武装をして市場を歩く人は少ないかもしれない。
市場で買い物を終えると、来た道を戻り、家に向かう。
重くなった荷台を交代で押して、自宅の庭の砂利を踏んだ。




