76.家
建物の玄関を出る。
離れた場所に立つアンシーが向く先には、平地を歩き回る配下の魔物たちがいる。不動産屋の担当者はアンシーの隣で守られるように待っていた。
顔を向けてきたアンシーに近付く。
「どうだい?」
「この住宅を買うよ」
「それなら勧めたこちらも嬉しいよ。うん」
アンシーがニーシアとレウリファの方にも顔を向ける。
「この後は不動産屋の方に戻るんだよね」
「今日の内に契約は済ませておくつもりだ」
他の客に買われてしまう心配が無くなり、宿屋から早く移る事ができる。
家賃は来月からの計算になるため、早く契約しても費用は変わらない。仮に日割り計算されるとしても、他2軒より家賃が低いため、長く暮らせば多く払った分も取り戻せる。
「それなら住宅の鍵を渡しておこう」
アンシーから受け取った環の鍵束には予備鍵も付いている。
持ち去る気は無いが、契約前に渡す物ではないだろう。
「この家に住むなら、先に言っておきたい事がある」
アンシーの手が伸びてきたため、握手を交わす。
「隣人のアンシーだ。よろしく」
同じ平地にある住宅にはアンシーが住んでいるらしい。
隣の住宅の庭はどの範囲だろうか。柵や道といった区切りが無く、担当者から説明を受けていない。
「この庭は持て余していたから、共有という形で使っていいよ。獣魔も走り回るなら広い方が良い。覗き見る私も喜ぶ。道までの動線だけは残しておいてね」
「わかった」
物や獣魔では埋め尽くせない広さがある。広く使う場合にはアンシーに相談しよう。一番の理由になる獣魔の運動も先に許可してくれた。
「それなら、また会おう君たち」
「ああ」
離れたアンシーが奥の自宅へ歩き去っていく。
ニーシアがそばに寄る。
「私が不動産屋の外で待ちますね」
不動産屋には獣魔が入れない。
住宅の契約を済ませるまで、ニーシアが守りをしてくれるらしい。
「頼んでいいか」
交渉事に不安があるため、レウリファを連れて店に入る事になる。
「はい、アケハさん。任せてください」
言い終えたニーシアが雨衣狼達の名前を呼ぶ。夜気鳥にも集合を指揮して、移動の準備が整えられる。
担当者に言われて戸締りを行った後で、この場を離れた。
行きとは違う道を通り、この地区を離れて平地側に降りる。
不動産屋は複数の地区を預かっているため、通りの良い立地に店を置いている。
不動産屋に戻り、店内の個室で書類を書く。
物件情報が記載された契約書の下部に、所有者を特定できるような情報を書き込む。
3人の名前から、身分、性別、外見、探索者の識別票、出身。契約書を紛失した場合に複製する際に必要になる。
店と客で保管するため2枚同じ内容を記入した書類。箇条の最初のひとつに、保証人としてアンシーの名前が先に書かれてあった。他の住宅を選んでいれば、この名前を書かれなかったかもしれない。
書類の書き込みを終えると、家賃の支払いを担当者に確認してもらう。
1年分の家賃は聖光貨に届かず、重ねた木貨で収まる。まとめて支払うため大金だが日割りにすると暮らしていける額だと感じる。
獣魔の宿屋では一日の宿泊費が草貨数枚になる。探索者の中でも獣使いは家を持つ事が多いだろう。むしろ、獣魔を持つ事を諦める人もいるかもしれない。
対の片方を鞄に仕舞い込むと、担当者と感謝を交わして店を出た。
不動産屋の外で待っていたニーシアに寄る。
「今日は宿屋で眠って、明日から自宅に向かう事でいいか?」
「はい、宿代も払っていますからね」「かしこまりました」
夕方近い今から宿屋と自宅を移動する場合、食事の間もなく夜になる。
せまる用事も無いため、今日は宿屋に留まって問題ないだろう。
「王都の暮らしも始められそうですね」
「ああ、そうみたいだ」
住処を確保する事はできた。
次は生活を続けるための食料や道具。収入も欠かせない。自宅生活に慣れた頃に探索者業を始める。毎日の訓練も再開したい。
「掃除に食料の買い込み、家具は住み慣れてからですね」
王都の外でダンジョンを作る事も考えていた。DPを使って魔物や食料を生成できないが、今の生活には不必要である。
ダンジョンコアが保有するDPは増減していないため、機会があるまで保管するつもりだ。保管方法を迷っているのが現状だろう。
自宅に隠すか、持ち運ぶか。探索者業を始めれば、自宅を長期間空けるため窃盗は容易になり、探索者として活動する間に受けた衝撃で壊れる可能性がある。
目を離したくないため、持ち運びたい所だが、戦い方も変わってくる。
「また赤い鳥に飛んできて欲しいです」
赤い鳥。ダンジョンでも、旅の間も、飛んできた。短い間しか留まらないため王都に着く前に飛び去ったが、長く暮らしていれば会う事もあるだろう。
「羽根は残してあるのか?」
始めて出会った時、ダンジョンに雨宿りに来た時に残していったものだ。再開した時にニーシアが羽を見せた途端に近寄ってきたため、持っていた方が良いだろう。旅の間は羽根の有無は関係なかったが。
「はい、今も鞄に入っていますよ」
ニーシアが背負う鞄も空ではない。羽根が他の荷物に潰される姿を想像したが対策はしてあるだろう。数枚あるため、荷車には残してある事は考えられる。
「忘れない内に再会できるだろう」
「次は餌を食べて欲しいです」
「資料を探せば餌も判明するかもしれないな。餌が必要ない可能性もあるが……」
「その場合は、餌の代わりに撫でます!」
食事の有無は気にしないようで、並ぶニーシアの腕には気合がこぼれ出している。羽根の触り心地が良かったからだろう。
人通りの多い中央の道を避けて、宿屋に向けて歩く。
宿屋に戻ると、獣魔を専用の部屋に閉じ込め、日の落ちない内に荷車の状態を確認する。問題が無い事が分かった後で食堂に向かった。
食事をする客が多く空いている席が少ない。厨房から料理を受け取った後は、長机の中央に並んで座った。
自宅で食事をするなら他人に囲まれる事は無い。照明石に強く照らされた食堂も良いが、ニーシアとレウリファの気が楽にならないだろう。
遅い時間まで待って食事を始めた方が良かったかもしれない。
会話も控えめに食事を終えて、食器を返す。
厨房脇でお湯をもらうと階段を上がり、宿泊部屋前に着くと、ニーシアが扉を開ける。
通路からの光で部屋が明るくなっている。
ニーシアが部屋の奥へ進み窓を開けると窓から夕日が取り込まれ、部屋の中に干してあった衣服が軽く揺れる。音がして振り向くと、開けておく必要を失った部屋の扉をレウリファが閉めていた。
自分はお湯の入った桶と空の桶を部屋の床に降ろして、寝台に腰掛ける。
動かないニーシアを気にして顔を向けると、鞄を下ろしたニーシアが窓に外を見ていた。
この宿屋は城壁沿いの通りに位置しているため、自分たちのように窓に城壁しか映らない部屋もある。その場合でも窓から顔を出せば、下の広い通りや並ぶ建物が見られる。
「自宅に行けば城壁が遠くなりますね」
低い声でニーシアが話す。
「見下ろす景色が嫌いだったか?」
王都の半分を見渡せる地区に自宅があるため、移動のたびに見かける事になる。
「いいえ、好きですよ。ただ、この部屋にも慣れ始めていましたから」
変化に抵抗がある事には同意できる。
以前はダンジョンからの戦力で自衛をしていたが、王都で暮らすならダンジョンを使わない方が安全になる。以前のように魔物を増やす事はできない。
「城壁が遠くなると、外に逃げ切れない気がして怖いです。人通りを考えれば簡単になる事はわかります。王都に馴染めず、逃げ切る事すらできなくなれば、自分を諦めてしまいそうで怖いです」
ニーシアの言う事を理解できない。
「外より安心できる場所が欲しい。アケハさんに今以上に寄りかかって良いですか?」
ニーシアが王都から離れたいと言った時に、こちらの生活や安全を失ってまで、ニーシアを助ける事はできない。今も助けられているが、都合が悪くなれば切り捨てる。
反抗する気が無くてただ逃げたいと言われた時に、どこまで助力できるか思いつかない。
「自信は無い。それでも可能な限りは助けていきたい」
「私も同じですよ」
窓枠から手を下ろしたニーシアがこちらに振り返る。
「アケハさんがいてくれるなら、私は幸せになれそうです」
言い終えたニーシアは、自分の寝台へと移動すると武装を外す。革兜は数日前から床に置いたままで、近くに革鎧と武器が置かれた。
身軽になったニーシアは、鞄から歯磨きの道具を取り出した。
就寝の準備に変わった様子は無い。
自分も続くように武装を外して、寝巻や布を取り出す。




