73.望む景色
アンシーの勧めた地区は、王都の地図上では山側に位置しており、王都に流れる2つの川から離れた地区である。
平地側に立つ城壁に届く高さは、山側の土地にしては低い。それでも、ここ一帯の眺めからは確かに山側の地区である事が分かる。
魔物の脅威から人間を守るための城壁は、王都周辺に広がる若い麦畑の遠望を変わらず妨げているものの、その奥、街道が続く平野や山々を隠しきれていない。
道幅のある通りを除けば、王都にあふれる3階前後の建物の並ぶ屋根が見える。
王都中央。教会の鐘が設置された塔を、視界の下方に収める事さえ容易だ。
王都の半分を敷き詰めたような景色が望める。
そのような地区だが、向かう間に遠回りをしている。
城壁ほどの高さ、20数人を縦に積めるほどの高低差は、王城や続く貴族街と比べれば低い内に入るのは確かだ。それでも王都の中央へ向かう最短の道に、低い段差が作られる程度には傾斜がある。
荷車を押す場合は、城壁沿いを一度進むか、串に吊るした腸詰めのようなつづら折りが数回ある道を通る必要がある。
登り道の途中に休憩はある。重い荷車でも登る事はできるが、往復の時間は多くかかる。そういった面で住民が増えないのかもしれない。
まばらに建物が存在するこの地区は、住人が少なく自然の地形が残る様子であり、人間の集まる都市というには活気が遠く、自然の音に広く包まれている。
人間を意識していても混ざり切れない自分が住むには都合がいい場所だろう。
先ほど向かった2件の物件を紹介していた販売員は、アンシーが一人で不動産屋に入って連れてきた。
獣魔を連れているため自分は当然だが、安全のためにニーシアとレウリファも含め、不動産屋の外で待機していた。
待つ暇が無いほどの時間で扉から現れた一人の販売員。警戒する様子を見れば、客であっても店内に入らずにいた選択は正しかっただろう。
獣魔の印を見せていても主人がいないと危険であり、人間大の魔物が3体もいれば主人一人で抑えきれるとは思われない。
ニーシアとレウリファも付いていたが、販売員の視界に入るのは、3人ではなく、それらの腰だけだっただろう。
歩く先に見えるのは販売員と、話をするニーシアとレウリファの3人だ。それぞれの足元から影が伸び始めている。
最初の1軒が紹介された時点で、この地区のどこかに住む事に、ニーシアとレウリファは同意してくれた。獣魔が走れる道幅もあるが、建物が少なく自然が残るこの地区は、楽な気持ちでいられるらしい。
どの住宅の家賃も低くなく高くないという具合だが、宿屋に住み続けるよりは倍以上、長く暮らしていける。
特に自分たちの場合は、長期契約のための資金が用意されている事や、アンシーからの紹介もあって、契約保証金と販売員の紹介手数料が不要になった事も影響している。
自分は、彼ら3人から離れた後ろで、獣魔を連れて歩いている。
「紹介できるのは、あと一軒だね」
隣を歩くアンシーは、物件が紹介されている間もこちらのそばに寄っていた。家を選ぶわけでもなく暇があるアンシーは、獣魔の中に一人立つ自分を心配したのだろう。
「アンシー。今日は助かったよ」
アンシーの方を向くと顔が合う。
「まだ、終わっていないけど……そうだな。今のうちに感謝はありがたく受け取っておこう」
途中で一瞬、目を背けたアンシーは抑えた笑みを見せる。
何か含みのある言葉使いだが、気にしたところで即座にわかるものではなく、助けられている事は事実だ。
「アケハは王都で暮らしていけそうかい?」
表情の変化に富んでいるアンシーが次には首を傾けて、眉を下げた不安そうな顔を作る。
「わからない。突然暮らせなくなる可能性はある」
探索者をしていれば、自分が殺してきた者たちの様に死ぬ事も無い話ではない。獣人のレウリファよりも弱い、人間一人の力しか持たない自分が、人間以上の危険を抱えている。
城壁があっても魔物の脅威にさらされている住民からすれば、もしかすると個人差で収まる程度なのかもしれない。
「それは私も同じだね」
住民に比べれば、魔物と接する機会の多い探索者は、魔物に殺される可能性は高い。
「……でも暮らし続けたいと思わないかい?」
まだ王都の暮らしを知らない。それでも、ダンジョンを守っていた頃に比べれば、逃げ場がある状態だと想像できる。
旅の間に人間を警戒する事が減り、王都にきて野生の魔物に襲われる心配も減った。直接的な脅威が減るため、ここでの暮らしは以前よりも行動に余裕が生まれるだろう。
「良い生活になるとは思う」
「その手助けに関われたなら、嬉しいよ」
獣魔登録ができなければ、配下の魔物たちを手放していただろう。加えて、彼らの居場所を作る手助けをしてくれている。
「私も、昔は良い生活を目指して努力していたんだ」
アンシーの声に張りがのる。
「魔物を知り、探索者を知って、力関係を知った。同業者も多く死んだし、同僚が目の前で死ぬ事もあった。ダンジョン攻略の最前線に加えられた頃には、自分の限界も知れて……。まあ、諦めたよ」
長く活動していれば、自分も同じような経験をするのだろうか。
アンシーが歩く先に顔を向ける。
「私が小さかった頃の夢はね、快適で明るい世界を広げる事だったんだ」
一変して明るい声になったアンシーの語り。
「若いよね。外も何も知らなかった。知らない事は誰だって当然だけど、決めた目標が遠いほど、目標を立てた事に後悔する。途中で夢を変える事だって可能だっただろう。それでも、幼稚で具体性のない夢だけど、考えていた事は事実だし、諦めたくなかった」
若さを訴える声が途切れる。
「目標に届かないまでも、目指すために必要な条件を見つけて揃えていったよ。他人を巻き込む事も少なくなかった。条件を揃えるたびに達成感が増して、目標に近づいた気がした。だけど、どうしても出来ない条件があったんだ。その後は終わりだ」
落ち着きを取り戻した声で話す。
「揃えた条件もいつかは崩れる。足りないわずかを無視して踏み越えて、失敗した。失敗自体は何度もあったけど、あれほど衝撃的な事は無かった。私では無理だった。環境が悪かった。環境が良ければ誰でもできる、そんな事は誰でもわかっている事だけど。もう少し優しい世界であってほしかった」
言葉の勢いさえ落ちていく。
「でも、協力してくれた仲間はいたんだ。いい夢を見続けられた。生き甲斐があった。そんな時間を過ごせた事も覚えているし、経験を生かし続けている」
今の声に戻ったアンシーがこちらへ振り向く。
「今度は協力する側に立つ事。誰かを助ける事が夢になった」
アンシーが動くたびに、空より深い青髪がまとまりを持って揺れている。
「私は獣使いという存在に助けられた事がある。それでも恩返しをするほど純粋な気持ちは無いよ……」
顔を下げたアンシーは配下の魔物たちを見ている。
「まあ、愛嬌のためでもあるけどね」
顔を戻して、唇の隙間から歯を見せて一度笑ってきた。
「ようし! 次で家紹介も終わるんだ。私も張り切らないと」
アンシーが片腕を空に伸ばし背中を反らした。
張り切る理由がわからないが、歩みを速めたアンシーに合わせるように歩く。
幅の広い道では周囲を気にせず動く事もできる。雨衣狼も十分に走らせる事ができるだろう。




