66.王都生活の始まり
高い響いてくる、鐘の音で目覚める。
都市で生活する場合は、教会の鐘の音に合わせて行動するらしい。都市クロスリエでは教会が崩れていたため、この音を聞く事は無かった。
この宿屋に向かう途中で初めて聞いた時には、荷車を押す手を止めないように無視していた。
城壁の端まで届く音となると、教会の近くで聞く場合は耳が疲れるかもしれない。
持っている地図によると、教会は広場の中にある。音の対策はしているのだろう。
ほとんどの人間が活動するようになり、宿屋の食堂もすでに朝食に追われているだろう。
自分の胸に収まっているニーシアを起こす。
仰向けの体。その半分ほどにニーシアが重なっている。
ニーシアの息苦しくないよう毛布をかけたため、片側の肩が冷たい。
空いた腕を動かして、ニーシアの髪を軽く流す。
「ニーシア、おはよう」
「はい、アケハさん。おはようございます」
朝の挨拶をするとニーシアも返してくれたため、次の鐘が鳴る時には食事も終えて宿屋の外を歩いているはずだ。
ニーシアは関節をほぐして、起き上がる準備をしている。
「どうですか? 目覚めの抱擁ですよ」
覆いかぶさる位置に移動されニーシアの体重が完全にかかる。手も回され、密着するように押し付けられる。
ニーシアの体温は毛布だけの時より温かく、毛布よりも手放せない。
「温かいな、ありがとう」
「私も温かかったです」
穏やかな表情のニーシアが上から退いた。毛布がめくれ落ち、朝の空気に体が冷やされる。
王都で暮らす準備を始めるため、これから忙しくなる。
肌の熱が消えない間に、身を起こして関節をほぐす。
「次はレウリファさんにしてあげてくださいね」
膝立ちになったニーシアの指示を受けて、レウリファの方を見た。
靴も履き終え、寝台に腰をおろした状態で、こちらに向いている。
抱きしめるなら身体が冷え切る前が良いと思い、床を素足で歩く。
レウリファはこちらの動きを観察している。
「レウリファもするか?」
「よろしければ、お願いします」
視線を合わせたレウリファが立ち上がり、前まで来た自分に近寄る。
一歩進みレウリファの腰に手を回して、優しく抱きしめる。
手に触れた衣服は、空気より温かく、レウリファの熱が届いている。
「ご主人様、温かいです」
ささやくレウリファに、さらに近づかれて、強く抱きしめ返される。
胸が形を変え、足は交差するほど近く、互いの太腿は触れ合っている。
密着するレウリファとの間に隙間は無い。
優しく背中に回していた、こちらの腕が宙に取り残されている。
隙間を埋めるために腕を上下に広げ、レウリファの持つ敏感な尻尾に当たる。
「そのまま、抱きしめてください」
引こうとした腕を声に従って動かし、痛みを与えないように軽く触れた。
レウリファの顔がこちらの肩に当てられる。
尻尾の毛並みを確かめさせるように、レウリファが腰を動かし始める。
「朝も、しっかりと毛繕いをしました。いかがでしょうか?」
手の内に触れる尻尾の感触は良く、指の腹や指間に流して慎重に探る。絡まった結びによる詰まりは無く、跳ねた毛1つ感じられない。強く握ったとしても逃げられてしまうだろう。
尻尾の付け根から途中までだが、レウリファの手間が想像できる。触れた場所に悪い所は感じられないどころか、自分が触れた事で毛並みを悪くした可能性もあるだろう。
「乱れの無い、良い触り心地だと思う」
「不満のない評価がいただけて、嬉しく思います」
レウリファが動きを止めたため、触れた毛並みを手で軽く整える。
指が埋まりそうな質感から手を離し、レウリファの腰へ回して包む。
頬をこちらに押し当ててくる。
「おはようございます、ご主人様」
「ああ。おはよう、レウリファ」
言い終えた後に一度だけ締め付けて、レウリファに回した腕を戻す。
レウリファは時間をかけて抱きしめる力をゆるめ、互いの距離を空けた。
引き下がる間の心惜しそうな腕の動きと目線に、昨夜のレウリファを思い出す。
普段の笑みを残したような表情に変わる。
「本日のご予定を、教えていただけませんか?」
「討伐組合に行った後で家を探したい」
問題が起こらない限り、王都に滞在し続ける。宿屋を利用するより家を持った方が費用が安く、荷運びも楽だろう。
討伐組合には配下の魔物たちの獣魔登録をしておきたい。こちらから襲う事はないが、襲われた際に不利になる要因は無くしておきたい。場所は地図で把握している。
「王都ほど広い都市ですと、初めに住む地区を絞り込む必要があります。全ての不動産屋をめぐり、物件を紹介されるだけで一月は軽くかかってしまいます」
レウリファの話を聞く間に、外着に着替える。
住む地区は用途を考えれば限られる。探索者なら討伐組合に近い場所を選び、獲物を運ぶ荷車が通りやすい場所を選ぶだろう。
「住まい探しに時間がかかる事は、王都を一目見てから覚悟していた。それに見つかる前に資金が尽きる事は無いはずだ」
聖光貨2枚分の資金を持っている。この宿でも一泊草貨2枚程度だ。雑魚寝部屋に移動すると今以上に余裕が増やせるだろう。
「住む地区については、食後か討伐組合にいった後にでも3人で相談したい」
「かしこまりました」
「アケハさん、私も要望を言って良いのですか?」
レウリファの返事の後にニーシアが聞いてくる。
「生活に詳しいニーシアなら、俺では気づかない判断基準を持っているかもしれない。長く住んでいて不便な点に気付いても直せないという事態を事前に減らしておきたい。そういった理由でレウリファの知識も借りたい」
「しっかり考えておきますね」
ニーシアが納得してくれたようだ。
レウリファの説明の中で、知らなかった言葉について質問する。
「1つ聞きたい事がある。月はどの程度の期間なんだ?」
今まで使った事が無い表現だ。討伐組合の資料なら書かれていたかもしれない。
「実際は月によって数日のずれがありますが、ひと月は60日という期間です」
宿屋で60日滞在すれば木貨6枚ほど払う事になる。
「光、木、草、土、陰、無の6つの月があり、合計で一年、約360日となります」
この部屋に滞在し続けても1年は暮らせるが、2年は難しいか。
「教えてくれて助かる。とりあえず2月後には家が決まっている事を目標にしようか」
ニーシアもレウリファも頷いた事を確認する。
着替えも終えたため、部屋を出て食堂に向かう。
鐘の音で目覚めた他の客が集まる食堂では、机を越えて会話が飛び交っていた。
気になった話題は魔物の襲撃のあった都市クロスリエの事だ。城壁は修理も終わり、教会が洗礼を再開し、魔物の襲撃で壊れた建物も再建され始めたらしい。
都市周辺の調査は終わり、日も過ぎている頃だ。ダンジョン跡は確実に見つけられているだろう。それにニーシアが暮らしていた村が見つかれば、新しく壁が建てられて人が暮らす事もあるかもしれない。
朝食を食べ終えると部屋に戻り、討伐組合に向かう準備をした。
邪魔になる荷車は宿屋に預けておく。
武装して貴重品の入った鞄を背負い。配下の魔物を連れていく。
王都の道は石畳で整備されていて汚れも少ない。都市クロスリエの時も同じだったが、故意に道を汚すと罰金が科せられるらしい。用があれば合図を返すように配下の魔物には命令はしてある。
城壁のそばの通りをすすみ二つある討伐組合の片方を目指して歩く。




