61.違う存在
階段を下りる間に見える階下の受付台。そこへ伏せる宿屋の娘の姿がある。
他の客は出立したか、部屋で休んでいるのだろう。
屋内を満たしていた朝食の匂いは消えている。外気も温まり、眠るために毛布は不要かもしれない。目の前に来た今も、腕を枕にしたまま起きる様子が無い。
受付台を手で叩くと、娘が反応して顔を持ち上げる。
「ああ、ごめんなさい」
目覚めた娘が前髪を手で分け、後頭部まで動かして髪を整えた。
「いつの間にか寝ていました」
わずかに立ち上がる。
胸から腰へと撫で、服のしわを伸ばしている。
「っと、ご用は何ですか?」
座り直した娘がこちらに顔を向けた。
「庭にある井戸とかまどを使用したい」
「使用料とは別に、薪代も貰いますが構いませんか?」
薪も用意してもらえるらしい。
「それでいい。旅用の薪も補充できるか?」
「はい、問題ありません。持ち出す際は私を呼んでください」
「わかった」
許可をもらった後は、宿泊部屋に戻って荷物を庭に運ぶ。
往復している間に、受付に再び伏せる娘を見た。
洗濯物と道具を運び終える。
水を溜めた桶で手洗いをして、庭にある並んだ物干しに洗濯物を干していく。
着替えの頻度も少なかったため、衣類より布類の量が多い。
途中で身体を伸ばして、腰をねじる。
景色が移動して、ニーシアとレウリファから離れた庭の端、雨衣狼が伏せて休んでいる様子がに映る。
他の客はいない。自分たちが庭で作業をする間は、配下の魔物を遊ばせてもいいだろう。
一息ついた後は作業を続ける2人の元に行き、溜まった布を受け取り、自分の役割をこなした。
洗濯物を干し終えると、保存食の準備をする。
宿屋の娘にかまどの使用を知らせに行き、庭に並んだかまどの2つを借りた。次に宿屋の裏に案内され、縄で縛って積まれている薪を受け取る。
かまどには金属の格子がのせてあり、鍋の大きさや重さを気にせず調理が可能だった。
自分は料理で手伝える事もなく、最初に食材を運んだ後は、遠くから見るだけになった。
ニーシアは、油漬けの最後の処理をしている。
刻んだ肉や野菜を小分けの壺にいれて植物油を注いだもので、栓を締めた後は、熱湯の中に壺を入れて長時間温めるらしい。
熱湯を溜めた鍋も小さいため、複数回に分けて壺を温めている。
レウリファの方は、薄切りにした野菜を干している。
物干しの間に張った布に、重ならないように並べられた野菜で、色の層が作られている。
途中で野生の鳥が近寄ってきた事があったが、棒を振り回したり、夜気鳥を飛ばして追い払った。今は狙われている様子が無い。
こんな様子で作られていく、旅に欠かせない保存食だが、自身で素材から加工する者は少ないだろう。
村がはさみ込んでいる街道には、多くの旅人が歩き、宿泊していく。
この村の貨幣を増やす機会を逃すはずもなく、街道に面した露店や屋台にも保存食は売られている。
乾燥、燻製、焼き、揚げ、蒸し。加工済みの肉や野菜は当然あり。宿屋で水を買えば、宿泊せずに足を進める事も可能だ。
都市でも売られていた保存食、麦を練って焼いた、平焼き餅もあり。香草を刻んで加えてある、味違いも店には用意されていた。
スープの素という名前で売られていた塊は、水に溶かすだけで料理に変わるらしい。表面を燻製してあり長期保存も可能なため、旅人以外でも欲しがる人がいるはずだ。旅の途中で試すつもりでいる。
そんな環境であるため、この村に寄る旅人は保存食を買い揃えて旅立つのが普通だ。
自分たちも同様で、加工済みの食材は買ってある。
出費の節約と仮定しても、保存食を作るために宿泊期間を延ばす事はしない。
切り出した生肉や傷みの早い野菜は、獣魔の餌か住民向けの売り物だろう。
自分たちに急ぐ用事は無いく、寄り道をする余裕が十分ある。
旅の不満も解消するためにも、ニーシアに好きな事をさせてあげた方が良い。
ニーシアの作った保存食は旅の間に利用され、今も宿泊部屋に持ち込まれている。
何種類も用意されているが、中には使い切る前に捨てた物もある。
初日から料理に使われていた、動物脂で食材を包んだ保存食だった。
スープに混ぜたり、平焼き餅や雑穀餌にはさんで食べていたが、脂の味が強いらしく、一度に消費できる量が少なかった。
そのまま食べる場合、固まった脂を噛み砕く必要があり、最初は脂の味しかしない。
脂が溶けて、食感にぬめりが混ざり出す頃には、食材の風味が感じられるようになる。食材の濃縮された味は、細かく刻まれた肉と数種類の野菜をさらに噛み砕いた結果だろう。
喉や口内に残る脂のぬめりを気にしなければ、そのままでも十分食べられるはずだ。
そんな保存食だったが、表面を削り取っても悪い臭いが取れなかったため、残念ながら地面に埋める事になった。
ニーシアも保存期間と味の調整で悩んでいたらしい。
食事に飽きが来ないように、工夫をしてくれるニーシアには助かっている。
ニーシアやレウリファから離れた庭の端、柵に体重をかけて休んでいると、
宿屋の娘がこちらにやってくる。昼の間は父親が受付をするのかもしれない。夕食の準備するにも早い時間なのだろう。
「いい天気ですね。獣魔も外で動けて気分が良さそうです」
雨衣狼に限れば木陰で伏せている。
隣に来ると、自分と同じように柵に手をつき、もたれかかる。
「ここに来るまでは、遅い歩みに合わせてもらっていたからな」
ダンジョンに居た時と違い、道中は常に外敵の警戒させていた。休む暇も少なく、自由に動ける範囲も狭い。
それに加えて、荷車を押しながらの遅い移動に合わせるのは疲れただろう。
「早く走れそうな体型をしてますよね」
「全力で走っても、速さと体力、両方で勝てないな」
装備を揃えた探索者が逃げきれた事が無い。
「やはり、そうですよね」
予想通りだった事に喜んでいるのか、先より高く通る声で話す。
「同じような獣魔を持つ方のためにも、少し教えてもらえませんか?」
獣使いが利用する宿屋なら、獣魔も多く知っておいた方が良いのだろう。
隠す理由は無い。
「大きい4つ足の黒い獣が雨衣狼、小さい灰色の鳥は夜気鳥という名前らしい」
「雨衣狼に夜気鳥ですか。見た事も、名前を聞いた事もありません」
自分もダンジョンから知った情報であり、人間社会での呼び名は知らない。
「食事は、どんな頻度で、与える量はどのくらいですか?」
「雨衣狼だと2日に一度で、生肉か干し肉を、彼らの頭の大きさほどの量だな。野菜も彼らの気分次第で少量与えている。道中では襲ってきた動物や魔物も食べさせていた」
食べれない物の場合は、雨衣狼が自身の判断で避けていた。
強制されない限り、食事は問題ないだろう。
「それなら、宿でも用意できそうですね」
「一応、次の客にも相談してみてくれ」
「はい、わかりました」
ダンジョン産と野生で生態が違う可能性もある。
間違って死なせて、宿屋を困らせる事は避けたい。
「夜気鳥の方は、日に二度、雑穀系の餌でいい。量は手にのる程度で多くない」
普段はダンジョンから生み出した餌を与えている。
麦を与えた時は、もみ殻を割って中身だけ食べていた。
「こちらの餌も用意できそうです」
「まあ、肉よりは入手が楽だな」
雨衣狼の食事量は身体の大きさもあって、かなり多い。
夜気鳥を食事として与えるなら十では済まない数が必要だろう。
「その……、あの赤い鳥は何という名前ですか」
宿屋の娘が深紅の鳥、加工をしているニーシアのそばにうずくまる存在を見ている。
見た目と知性がある事以外、何もわかっていない。
「知らないんだ」
「え?」
「いつの間にか一緒に旅に加わっていて、資料もまだ見つけていない」
配下の魔物が書かれた資料も、まだ見つけていない。
資料館を隅から隅まで、確認していけば書かれた資料も見つかるとは思っている。あるいは魔物が生息する近くの討伐組合なら、手に取りやすい場所の資料に書かれているだろう。
「幼い時から一緒に育ってきたなら納得できますけど……」
襲われる危険を考えれば、知らない魔物からは逃げるのが生き残るための常識だ。言葉に従う知性が無ければ、ニーシアから遠ざけていた。
「そんな事もなさそうですね」
ニーシアがこちらに振り向くと、深紅の鳥も同じく顔を向けてきた。
宿屋の娘が体の向きをこちらに向ける。
視線が合う。
「アケハさん! 冷えてきた壺を拭いてもらえませんか?」
「少し待っていてくれ」
ニーシアから宿屋の娘の方に向き直した。
「用事ができたから行っても良いか?」
「はい、……いいですよ。ありがとうございました」
わずか首をかたむけ、笑いかけてくる。
柵から手を離して立ち去る。
生息地の話題に移る事は避けられた。答えられない状態にならずに済んだ。
ニーシアのところに向かう、途中で見たレウリファは干物を確かめていた。
まだ温かい瓶の、表面に付く水滴を布で拭いていく。
部屋の中に運び入れるには熱い。まだ外に並べて冷ましていた方がいいだろう。




