60.味覚頼り
ニーシアの全身をほぐした後は、レウリファにも行う。
野営をしていた時より時間をかけ、足を中心に手や腰をもみほぐしていく。
地面を踏みしめていた足の裏、荷車を動かすために握り続けた手は、熱を伝えるような遅い動きで撫でていると、レウリファの尻尾がこちらの動きに小さく応えてくる。
普段なら先に一言遠慮するレウリファだが、一切の抵抗もせず、こちらにほぐされている。見えないだけで疲れは溜まっていたのだろう。
触り方の知らない、敏感な尻尾は避けて、全身をほぐしていき。終えた事をレウリファに告げた。
その後は休憩したまま何もせず、夕食を食べ終えると寝支度をするだけだった。
目覚めて体の確認してから、戦闘の自主訓練を行う。
村に来るまでの道中で、剣を握る機会は無かった。握った感触に違和感を覚え、忘れないように素振りをした。
宿屋の客が獣魔の小屋に向かっていくのを目にして、自分も小屋に近付く。
配下の魔物たちに逃げなかった事に安心する。言葉に従うが会話はできないため、不満があっても気づけない。反抗されないように注意は欠かせない。
一緒に旅をするようになって、身体に触れる事が増えた気がする。無抵抗に触られている雨衣狼も、こちらに顔を向けて視線が合っている。
命令されない間は自由行動ができるなら、奴隷と違いはないだろう。
「頭を撫でられるのは好きか?」
赤布を巻いた雨衣狼が首を振ったため、触れていた手を離す。
他の雨衣狼は伏せており、夜気鳥は水桶の端に並んでいる。
部屋の隅にいる深紅の鳥の事も、知っている事は少ない。休憩中は時々ニーシアと触れあう事。ニーシアが押す荷車には停まらない配慮がある事。王都の討伐組合にも資料館があるなら、資料を探してみた方が良いだろう。
今日は村を散歩するが、配下の魔物を連れていくか悩む。周囲の目線を集めたくないし、露店の商品を荒らす可能性がある。後で相談して決める。
「少しの間だけだが、部屋を出て身体を動かしておかないか?」
外に出た雨衣狼たちは柵から出ない範囲で走り回り、深紅の鳥は自分の足元で毛繕いをしている。
朝食の時間になるまでは訓練を続けて、最後は雨衣狼と深紅の鳥にそれぞれ命令して獣魔部屋に入れた。
体を拭いて着替えた後に宿泊部屋に戻る。
ニーシアもレウリファも起きていて、着替えも済ませていた。
「朝食を食べに行きましょう」
「わかった」
こちらを待っていたようだ。
部屋を出ると、朝食の匂いに再び包まれて、階段を下りて食堂に向かう。
獣魔小屋の中はほとんど空いていたが、食堂の座席の半分は埋まっている。獣魔を持たない客も宿泊しているようだ。
都市と変わらない食事をした後は、3人で村を歩く。
宿屋を出た道に人が少ないのは気分が良い。自分たちの泊まった宿屋は門の近くにあるが、村の端にあり街道からも離れている。
村の中心を貫く街道は人の流れが多く、幅広い道の両側に露店や宿が集中していた。向こうの宿屋に泊まっていたら、目覚めた時から人混みを感じていたかもしれない。
畑の奥には建物が並んで見えている。
街道沿いの宿屋の方が、旅の食料を買い込む場合の歩く手間は少なく、出発も早くできる。
「朝は人通りが多いですね」
ニーシアが門の方向を見ている。
門前広場を通る馬車や人は、宿泊客が出発を始めたからだろう。
人の混み具合に合わせるように露店も多く開いているだろう。
「宿屋が村外れで助かった」
「私も同感です」
並ぶ露店でニーシアとレウリファが買い物をする。
自分は後ろで見ているだけで、2人と売り子との会話に加わる事はない。
都市クロスリエよりも物価は安い。ここを経由して送られる交易品もあるのだろう。
「アケハさん、これを見てもらえませんか」
ニーシアに呼ばれて露店に近寄る。
「どうだいお客さん、良い色だろう?」
拳大の塊が敷物の上に並べられている。
「サヴァ村の特産物、岩塩だ!」
店の男が岩塩をひとつ手に持ち上げてくる。
赤みのある白色で硬そうな質感をしているが、装飾の類ではないだろう。
「何に使われているんだ?」
「一番良いのは料理の味付けだな」
ニーシアも使っていた様子は無かったが、知っていたのだろう。
「庶民には多く出回らない品だ、味見してみるか?」
「頼む」
「手のひらを前に出してくれ」
店の男が横の鞄から金やすりを取り出し、持っていた岩塩を削る。
伸ばした手に岩塩の粉が溜まる。
ニーシアとレウリファの手にも乗せられていく。
舐めてみると、舌を突き刺された感触。すぐに薄まり辛みになる。溜まりだした唾液に広がり、口の底面に甘みが生まれる。
「質の良い塩味だろう」
男の髭が持ち上がる。
塩味のついた唾液を飲み込むと、後に残らず、舌と口内が元に戻る。
横の2人に驚いた様子は無く、当然の味なのだろう。
「料理に軽くふりかければ、味が濃く感じられ。塩漬け食材は腐敗を長期間防ぐ事ができる」
料理に使えるならいいかもしれない。
「休んでも疲れが取れない時は、これを削って水に溶いて飲むといい。牧場でもこれを舐めさせれば、家畜の元気、毛並み、筋肉の付きが良くなる。何より、肉の味に深みが増す」
健康に関わり、長く移動する旅人には有用なものかもしれない。
「いくらするんだ?」
「塊ひとつ土貨10枚だ、引くつもりはないぞ」
ニーシアが呼んだ理由もわかる。値段が高い。土貨10枚あれば、4食分の食料が買える。あくまで調味料として使うため、買うか迷ったのだろう。
金に余裕はある。ニーシアが欲しいなら構わない。
景色、歩行、睡眠。旅の間で一番個性があるのは料理だ。今の生活では優先すべき提案だろう。
それに王都まで辿り着ければ金が無くても、ダンジョンの生み出す餌で暮らせば、いつかは良い暮らしができる。
「いくつ買う?」
「そうですね」
ニーシアが並べられた岩塩を見回していき、視線が男の鞄の方まで向かう。
「お客さん、買占めはよしてくれよ。うちは信用が命だから、他の村の分は残さんとな」
上機嫌にしながら、鞄の中から布に包まれた岩塩を出して並べた。
「湿気に弱いから、濡らさず布に巻いて保管した方が良い」
並べてあった岩塩よりも、鞄に入ったものの方が数が多かった。
「これと、これの2つを買いますね」
ニーシアは鞄から袋を取り出して、男に草貨と土貨を渡した。
「持っていきな」
「ありがとうございます」
ニーシアが買ったものを鞄に詰める。
「行きましょう、アケハさん」
次の露店に向けて歩き出す。
先ほどの露店は行商が開いたものだったが、この村の農作物を売る所もある。
しばらく露店を歩き回り、街道の人混みも落ち着いて来た時に、街道を離れた。
宿泊部屋に戻った後は、武具を脱いで、荷物の整理をする。
使用済みの衣服や布は後で洗うため、扉の近くにまとめて置く。
ニーシアが食材の入った壺を開けていく。
自分も食材を確認するために袋や布を開けると、食事前の匂いが部屋に広がる。
「この後は庭に降りて、買った食材を加工したいですね」
「かまどはあったから、火も使えるか宿の人に聞いておくよ」
「お願いします」
他にも空いた壺や衣類の洗濯作業はしておきたい。
出発の前日にも、再び露店に行き、保存がきかない食材を買う事になる。




