55.考え
湿り気が感じられる空気、薄く包む雲が光をさえぎっている。
ダンジョンの入口近く、即座に逃げ込める場所で体を動かす。振られる剣の音が鈍い。
レウリファには今日の訓練を休ませた。動けると言ってくれたが、怪我の治癒を優先してほしい。
昨日は、怪我に気付かずに、解体作業まで手伝わせていた。応急処置を済ませた後でも動かない方が良いはずだ。
早めに訓練を終えた。
用意しておいた体を拭く道具を手に取った時に、ニーシアが荷車を押して出てくる。
「おはようございます、アケハさん」
「あはよう、ニーシア」
「訓練お疲れ様です。今日は、寒くありませんでしたか?」
「そうだな、体が温まるのも遅かった。雨が降るのか?」
ニーシアが視線を外す。
「今すぐといった様子は無いですね。朝食の後は外の道具を片付けますね」
「その時になったら手伝うよ」
「お願いします」
体を洗い終えて、武具を物置部屋に置きに行く。
寝具は通路の端に寄せてあり、女獣人たちが、する事も無く立ち尽くしている。
武具を片づけた後、彼女たちに近づいた。
「疲れは取れたのか?」
「休める場所を与えていただき、ありがとうございます」
彼女たちにできる事はもう無い。明日にはいなくなる。
それでも一緒に食事をして、こちらに危害を加えない事は実感している。
「朝食も食べた方が良い」
「いいのでしょうか?」
「気にしないで良い。ニーシアも人数分用意していた」
「ありがとうございます」
「後で呼びに行くから、休んでいて構わない」
食事の用意が整ったら、レウリファに伝えに来る、そのついでだ。
手伝うために、ニーシアのところへ向かう。
通路の途中に作った畑には植物が育っている。
アメーバに死体を処理させた際の残留物を、一部の土に混ぜていた。植物に悪い影響は無いようで、混ぜていない土と比べても成長に差は見えない。埋めて処分しても大きな問題は起きないだろう。
育てていたトチ豆のつるには蕾ができている。咲いて実る前にここを去ってしまうが、ニーシアは喜んでいた。
ダンジョンを出て、食卓の方へ向かうとニーシアが鍋を温めている。
普段より湯気がのぼる。鍋の中をかき混ぜるニーシアに近付く。
「ニーシア。手伝える事はあるか?」
「アケハさん、鍋を動かすので、食卓の上の肉を焼いてもらえませんか」
食卓に置かれた平鍋には、薄切り肉が漬け込まれている。
刻まれた香草や木の実が見える漬けダレは、焼く際に軽く落とすものだろう。癖のない植物油の香りの中で、肉の臭みを消す芳香が、こちらの鼻を探るように刺激してくる。
荷車から鉄板を取り出して、表面を軽く拭き、脂を塗った上に肉を並べた。
ニーシアがスープ鍋を移動させた後、たき火の組石の上に鉄板を置いて加熱する。
食卓の方にいるニーシアが野菜を切っている様子をながめて、肉が焼けるのを待つ。
軽く茹で洗いをした葉物を切って次々と木の器に移していく、音と腕の動き。
油は温まり、木の実が焼けた匂い。細かい音を立てる鉄板に気付いて、顔を鉄板に戻す。
心配して肉を裏返してみたが、焦げも少なく。位置を変えれば問題ない程度の失敗だろう。
反対側にも焼き目ができた後は、分けて盛りつけた皿をニーシアが食卓に運ぶ。
自分の手でも余裕がある鍋掴みを使い、熱した鉄板をたき火から外す。
スープの具合を確かめるニーシアが頷く。
「皆さんを呼んできてもらえますか?」
「行ってくる」
食卓を離れようとした時に、後ろから抱き着かれる。
巻き付いた内の片腕が上がってくる。
ニーシアの手を上から押さえると、握る手にこちら指が巻き込まれた。
「助かりました」
「ああ」
料理を手伝った礼を言うニーシアが、強く体を押し付けてくる。
ニーシアには昨日の戦闘で助けてもらった礼をしていなかった。
「ニーシアは何か、してほしい事はあるか?」
「私はアケハさんの手助けがしたいです」
してほしい事を聞いたのに、ニーシアがしたいのか。
普段からニーシアやレウリファには助けてもらっている。自分の作業といえば、ダンジョン操作だけだ。
ダンジョンのコアも他人に触れさせた事は無いし、操作方法を知られたくない。
ニーシアはダンジョンのコアに触れようとした事はない。ダンジョンを壊す気は見られない。
ニーシアが操作できるか確かめてみて問題はないだろう。
討伐組合に管理されているダンジョンの中には、コアまで発見されているものがある。
触れただけで操作できるようになるなら、生み出された魔物に探索者が殺させる必要がない。誰でもダンジョンを操作できるとは考えられない。
ただ、ダンジョンを操作する存在を増やす事はできると思いたい。
扱えきれないほど広くするつもりは無いが、王都にあるような大量の探索者が入れるダンジョンを、人間一人で操作していているとは思えない。
操作する存在が人間でない場合や、勝手に作らせている可能性もあるが、操作できる人間を増やす方法があるかもしれない。
「何か考えておく」
「はい、待っていますね」
顔を背中に当ててきたニーシアが手を離した。
「アケハさん」
振り返ってニーシアを見ると、何か言いたげな顔をしている。
ニーシアが服の収納に手をいれる。
小指ほどの幅広の葉を取り出すと、目の前で咥えてみせてきた。
美味しいのか、少し笑顔になっている。
「この葉っぱを噛んでみてください」
咥えていた周りの部分、半分ほどまでを指で隠して、反対側を差し出してくる。
伸ばされた手の先、葉を咥えて歯で潰す。
酸っぱい。
葉から少し水分が出て、舌の先に味が広がった。
予想していた苦い味でなかったため驚いたが、酸味も優しい。
場所を変えて再び噛む。口の中で唾液が増える。
「ベニソラという植物の葉です」
資料で見た事は無い。知っていて当たり前の植物なのか。
おそらく山菜取りで拾って、畑で保存していた物だろう。
「料理にも使われていて、先ほどアケハさんが焼いた、肉の漬けダレにも加えてありますよ」
肉の脂の多い料理では、酸味を加えた方が舌が疲れにくい。
漬けダレに咥える際には細かく刻むか、しぼった水を加えるのだろう。
「しぼり汁を水に混ぜて、いたずらをするそうです」
葉を咥えさせる場合は、葉を見せるだけで気付かれてしまうので、いたずらにならないか。
気付かなかったが、これまでの料理でも使われていたかもしれない。
口を葉から離す。
「知らなかった。噛んだ時に驚いたよ」
ニーシアが葉を持つ手を体の横に戻す。
「本当ですか! 良かったです」
見上げる姿勢のニーシアが歯を見せて笑う。いたずらで喜んだ様子ではない。
料理の知識が増えるのはありがたい。
「呼んでくるよ」
「はい、お願いします」
レウリファや獣人の2人を呼ぶために向かう。
雨が降りそうな、湿気を帯びた風が届く。早く呼びに行った方がいい。
振り返ると、前で手を重ねたニーシアが待っている。
ダンジョンに入り通路を進む。
「レウリファ、朝食ができたから向かおう」
寝巻から着替えたレウリファが部屋から出てきた。
「ありがとうございます」
距離が少し近い、気がする。レウリファの顔が少し赤い。
色を比べようとレウリファの顔に手をそえると、目を閉じてこちらに寄ってくる。
昨夜の出来事を思い出して手を引いてしまうが、抑え込む。
喜ぶだろうと思い、レウリファの耳を撫でる。
耳の付け根まで指が届くと、レウリファの尻尾が元気になっていた。
「行こうか」
「はい」
腕を降ろして出口へと進む。
レウリファの怪我を気にして、少し歩く速度は行きよりも落とす。
通路の途中で待つ2人も呼び、ニーシアの待つ食卓に向かった。




