5.初めての雨
転がっている少女を見る。
「おい。起きろ」
「ぅ、……ぁ」
言葉ではなく音に反応している様子だ。
「無理やり連れて行くからな」
少女を肩に担いで立ち上がる。
「死体も2つとも回収する」
ゴブリンがそれぞれを担ぐ、地面に散らばる血肉は残したままにしてしまう。
血に染まったねずみ達が先行している。怪我をしたゴブリンは腕を押さえて、腰に麻袋を巻きつけている。後の2体のゴブリンも、男たちの死体を背負っている。彼らは自分よりも体が小さいが力持ちだ。自分も力の抜けている少女を運ぶ。
足が遅い。ゴブリンが背負った荷物からも血が滴っている。血を追えば簡単に自分たちへたどり着く事もできるだろう。
今はただ帰りたい。ダンジョンの事を考えながら歩き続ける。
日も暮れてダンジョンの入口に入る。2つの死体は入ってすぐに降ろさせた。
「休んでいてくれ」
配下のそれぞれが分かれていく。
少女を背負ったままダンジョンの通路を進む。通路の奥に辿りついたら、少女を端の方に捨てた。
通路脇に作った小部屋に設置してある、コアが嵌まった台座にもたれる。疲れとともに震えがやってくるので、ひざを抱えて縮こまる。
体の汚れも気にせずにコアルームへと移動した。
5532DP
恐らく男の死体でもDPが増えているだろう。一度だけ大きく増加した後は、DPが少しずつ増えていく。
コアルームからダンジョン各所を眺める。ねずみ達は壁に集まっている。眠っているのだろうか。怪我をしたゴブリンはホブゴブリンから治療を受けているみたいだ。血の付いた布が床に落ちていて、アメーバが腕の周りに張り付いている。拾ってきた少女は転がったまま動きもしない。少し休憩をする、起きたら配下のためにも働かなければならない。
立ち上がろうとすると、背にしていた台座から離れた事で体勢を崩して、コアルーム内でこける。
起き上がる際に体を支えている腕をみると血と泥で汚れていて、嗅ぎ慣れない臭いがする。
「汚いから洗わないとな」
何個か水袋を取り出してコアルームを出て、ダンジョンへ戻る。転がった少女が途中で視界に入るが、気にせずに仲間の方へ向かう。
配下をダンジョンの外に並べて、水をかけて綺麗にさせる。ゴブリンも腹切りねずみも、血や土の汚れがおちて、召喚時点を思い出させる。一体のゴブリンだけが腕に傷を深く残している。今はアメーバが張り付いていて赤みが透けてみえている。傷跡は残るが時間さえあれば治っていきそうだ。
麻袋にいれて運んできた剣をゴブリンに渡す。男たちが持っていた3本の、刃渡り50cm程の片手剣をそれぞれのゴブリンが手に取る。木の棍棒よりはいくらか強いだろう。男たちが着けていたベルトを装着させて、剣を携帯できるようにする。
何度か剣を抜いたり納めたりする事をゴブリンに試させた。振るには重い剣だがゴブリンなら扱えるらしい。武器を渡した後は自由にさせる。
転がっている少女の元へ行く。
泥や血、男の欲望の汚れを落とそうと水をかけるが、水が足りず、コアまで戻り水袋を生み出す。
このまま水をかけ続ける事が面倒に思えてくる。
怯えた様子も無視して、破れほどけた服を全てはぎ取った後に、全身をくまなく洗う。
洗う途中で水を誤って飲み込んだのか、少女が咳き込んでいる。
上半身を支えながら、口の中に水を含ませ吐かせる。
髪も手櫛をかけてごみを取り除く。
手を使って水気を落としたが、持ち上げにくいため、少女の両わきに自分の腕を通して、引きずりながら濡れた地面から移動させる。
壁にもたれさせた後は、底と側面に穴をあけた麻袋を少女にかぶせる。洗った後だから湿気が残っているが、できる限り乾かしたつもりだ。
外で活動した後は、コアルームで休んでいたため、何も食べていない。空腹感に気付いてダンジョンから配下達の食事を取り出す。
配下の魔物たちは獲物を探す時間も無かった。配下に食事を渡した後で自分も食べよう。
隣して食事をする。
少しずつ食べさせて喉を通るのを確認してから、次の一口を与える。
何口かに一回、水を口に含ませると、しっかりと音を立てて飲み込んでくれた。
いつもの不味い餌を食べさせると、少女の顔がかすかに歪んでいた気がする。わずかに人間味を残している。
「ぃぁ、……ぁ」
食事を終えて少し休憩していると、隣にいる少女の目が大きく開かれる。後ずさるように足を動かすと、そのまま膝を抱えて縮こまる。
所々に残った汚れが見える。暗い金髪で、後ろ髪は首と肩を隠すほどあり、腕も足も肉はついている。食べ物は十分に与えられていたのだろう。
生きた人間なので、周辺の情報が得られると考えていたが。まともに話ができる状態でないし、麻袋に入っていた時点でいい扱いを受けていたとも思えない。この場所に連れてきた以上、逃げ出さないように監禁をしたい。
ダンジョンのコアを移動させて、少女を小部屋にいれる。小部屋への入口には、中から見えない位置にゴブリンを交代で留める。自分も時々、コアルームから監視するようにする。
ゴブリンは交代で警戒するのか、他の2体はホブゴブリンと共に眠っている。少女は部屋の隅に縮こまって以降、動いていない。
DPの溜りが早くなっている。人間を殺したことでダンジョンに変化があったのだろうか。
ゴブリンが交代するところを見てから、眠ることにした。
目を開くと、すぐにダンジョンの内部を確認する。少女は小部屋の隅で寝転んでいる。監視をさせているゴブリンは部屋の前に立っている。ねずみの何匹かは外出しているようだ。
ダンジョンの外では雨が降っている。空は薄暗く、雨粒が見えるほど大きい。この降り方であれば、ダンジョンまで続いた血痕や道に残った血だまりを跡形もなく洗い流してくれるだろう。
コアルームから出てゴブリンの方へ向かう。
「逃げ出す事はあったか?」
少女は部屋から出ることはなかったようだ。部屋の中を覗くと、少女がこちら側に顔を向けて横たわっている。降ろした場所から移動することはなかったようだ。
ゴブリン達も焼いて食べるようで、たき火の中に置かれた石の上に腹切りねずみが置かれる。
自分の外出時に、ダンジョンに残っていたホブゴブリンが木を加工してくれて、その端材を使って火を起こしてくれた。
ゴブリンに渡した剣がホブゴブリンの手にあるのが少し気になる。命令をしなくても魔物たちで協力できるのだろうか。ホブゴブリンが火を起こせる事は知っていた。ダンジョンから呼び出した魔物は最初から生活する術を覚えているのかもしれない。
最初に焼けたねずみを貰う、頭と足をつまんで一息に腹にかぶりつく。表面に残った毛も焦げているので、喉に引っかかる事も無い。皮や脂肪、筋肉の食感の違いを確かめていく。舌が味を残しているうちに餌もかじる、脂肪の残る風味で、味の薄い餌もよく食べられる。配下たちも、焼いたねずみを食べている。
雨の音と薪がはぜる音だけが耳に残る。人間が来るようになっても、配下と一緒に食事はしたい。
余分に焼いた一つを少女の方へ持っていく。少女は起きているようで、膝を抱えて座っている。
少女の手前に餌と焼いたねずみを置く。水の入った皮袋も横に置き、少女が食べるのを隣で座って待つ。
少女が食べ物に手を伸ばす。掴む前に手が止まるが、少し経つと両手で掴んで顔に運んだ。
小さな一口でゆっくりと食べていく。熱さに驚いたのか、焼いたねずみを一度取り落とし、身を縮ませる。こちらに反応が無い事を、顔を向けて確認した少女が食事を再開した。
それぞれ半分程まで食べると食事の手が止まる。
透けた銅の瞳がこちらの方向を見ている。
「あの……」
「どうかしたか?」
「いえ」
意識はしっかりとしているようだ。
「セジやカナイの実はあるんですか?」
「無いな」
「そうですか」
会話の後に少女が食事を再開する、ふと笑みをこぼした気がした。先ほどよりも食事の手が速くなっている。
片付けを終えて、配下たちの様子を見に行く。外は雨が降っているため、ダンジョン内でそれぞれが活動している。
ゴブリンは剣の使い方を学んでいるようで、素振りをしていたり、木材に向かって剣を振り下ろしている。剣の刃を立てて扱っているため木材に切り傷が残る。彼らが訓練する場所にも物が増えてきた。最初は小物1つ無い空間だったが、今では土壁や石の山に木の腰かけ、武器に水など、生活が感じられる。
男たちの戦いを見てから、自分の力の無さを実感した。自身を守れるようになりたいので、残っていた棍棒を持ってコアルームに向かう。あの時はゴブリンに助けられたが、一人の時に逃げられるだけの余裕がほしい。
もしかしたら、自分の手で人間を殺すこともあるかもしれない。