48.手遅れな問題
「美味しかったですね」
お腹をさするニーシアが隣の椅子に座る。
目の前の机には果実水を飲んだ後の器がそのまま残っている。後から入ったレウリファも対面にある椅子の一つに座った。
「そうだな、初めて食べた料理ばかりだった」
自分たちの他に数人増えた事は別としても、同時に食事が出来るような大きさの食卓を見るだけで食事への期待が増していた。
一品ずつ、提供される食事方法は経験した事が無かったので、最初はオリヴィアやサブレを見ながら食事をした。
「料理の盛り付けから違いましたね」
「汚さないように食べる事に集中していて、手も疲れたよ」
「アケハさんもですか。料理の間に手を休める時間があって良かったです」
料理が提供される間に、水を飲んだり、オリヴィアと何気ない会話をしていた事で気持ちも楽になった。
皿ごとに乗った量は控えめだったが、普段より料理の数が多く、満足が行く量であり。盛るというより、料理を飾るためにある陶器の皿は、木の皿と違い料理を目立たせるような印象があった。
オリヴィアの長い話をサブレがさえぎる事で、給仕人を助ける場面が見られて、身分に限らない関係に親しみが湧いた。
「味が大きく違う料理なら、同時に食べるより、分けて提供した方がいいのかもしれないな」
料理や給仕をする人がいたりと手間が多くかかっているが、自分の価値が高い事を実感できるのかもしれない。
ニーシアが部屋を見渡す。
「落ち着けませんね。この部屋も私では使い切れないほど広いです」
「宿屋にあるような部屋と比べても大きいからな」
ダンジョンにあるニーシアの部屋なら、3つは軽く収まるだろう。
一つの広い部屋には、3人で寝転がる事ができる大きさの寝台が二つ置かれていて、自分たちが今使っている椅子と机とは別に、窓際にも休憩できる場所が用意されている。窓際には長椅子が対に置かれていて、寝返りさえしなければ気持ちよく眠れるだろう。
食事前に客室に残していった荷物が、部屋の隅に集まっている。
背負い鞄と革鎧に使い込んだ様子は見えない。違和感を覚えるはずの荷物が目立たない事で、都市にも、ダンジョンにも馴染めていない事を意識してしまう。
肘かけに腕を乗せて椅子に深く座ると、ニーシアも座り直した。
窓から見える外は暗くなっている。
扉を叩く音が聞こえるのでレウリファが向かった。
「浴室の準備が整ったので自由に利用してください。使い終わった後は呼んでくださると助かります」
部屋に入ってきたサブレは片手を胸に当てた後で去っていく。
「ニーシア?」
反応が無いのでニーシアの腕を触る。
「……アケハさん」
少し反応が薄い。
「最初に入らなくていいのか?」
「えと、最後でお願いします」
「わかった」
レウリファも自分の後に入るらしい。念のために寝巻を持って浴室に向かう。
通路は足元を照らす照明があり、安全に階段も下りる事ができた。
脱衣室の棚には人数分の寝巻や道具が分けて置かれていて、1つだけある男物の用意を確認する。
食事前にサブレから大まかな説明は受けた。水があれば体を洗う際に困る事はない。
浴室は脱衣室以上に温められている。
シャワーが設置されていて、壁にある取っ手を回すと、天井から延びた装置から水が落ちてくる。最初に冷たい水が出るという事は無かった。体を一通り温めた後で、粘性のある洗剤を綿布に広げて、頭から足の先まで洗っていく。この洗剤は食べても問題ないらしい。特に味もしなかったで気にならない。落ちた水は床の細かい溝を通って側溝に流れていく。
シャワーを終えると浴槽に体を漬けた。浴室の床より掘り下げられて設置されている浴槽は艶のある塗装がされている。魔道具を使っているので火の番も不要で管理も楽らしい。
人肌の温度の水の中で腕を動かしてみると、普段の運動よりも抵抗を感じた。足を動かすには態勢が悪い、腕だけに留めて腕を動かしてみる。背中と胸の筋肉に集中して、肩から腕を動かす。早く動かすと抵抗も大きくなる事に気付いて、上下や左右を往復する。
肩が疲れてくる頃には呼吸も深くなり、体も熱くなっている。お湯に冷やされているのが分かる。普段であれば対人訓練を行う状態だろう。腹を軸にして上半身を動かす。浴槽の壁に足を当てて下半身を固定する。膝をまげて背中を浮かせた態勢を保った状態で、上半身の向きを変えたり、左右にずらすように動かす。
普段以上に訓練をしている気分になっていると、水が跳ねる音に気が付き動きを止める。
浴槽の水かさが入ったときより減っていて、後から入る二人に申し訳が立たない。蛇口から出たお湯を桶に溜めて浴槽に注ぎ水かさも十分にする。
浴室を出る前に体から水を落として脱衣室に進む。
用意してもらった寝巻は、腕を緩い袖に通せば体に巻いて紐を結ぶだけという、簡単に着脱ができるものだ。肌触りも良く、質の悪い寝台でも気持ちよく眠れるだろう。来る際にも使用していた、かかとの無い履物に足を通して脱衣室を出る。
荷物を持って客室に戻ると、レウリファに浴室をすすめる。
ニーシアは窓際の椅子に移動していて、外に顔を向けて動く気配は無い。
話し掛ける事も邪魔になりそうなので、自分は寝台に腰掛けた。
柔らかく沈む。オリヴィアが自慢していた通り、柔らかく、触り心地もいい。寝返りも楽にできそうな寝台だ。立ち上がる際にも支えになる弾力があるので、慣れていない事以外は満足している。
体が温かい間は布団を被らずに、寝台の上で転がる。
何もせずにただ寝転んでいると、寝巻に着替えたニーシアが寝台に上がってくる。隣の寝台で寝ているレウリファを見て、ようやく寝ていた事に気付いた。部屋も暖かいのでうずくまった状態で布団も掛けず寝られていた。
「起こしてしまいましたか?」
「まあ、そうなるが気にしないでくれ」
体を伸ばしてから上半身を起こす。手足を這って隣まで来たニーシアは自分にもたれかかる。
「ダンジョンが無くなった後も、一緒にいてもいいですか?」
「ニーシアの好きなように選んでいい」
自分では決められない。こちらの立場が不安定であり、他人を守り切る力が無い事はニーシアもわかっているはずだ。
「……ダンジョンを失わない方法は無いのですか?」
「このまま留まっていても滅ぼされるだけだ」
仕方がない。
「何も知らない人間のために、貴方の才能が壊されるなんて嫌です」
「俺も嫌だが、ダンジョンを守るほどの力は無いんだ」
討伐組合の探索者全員を相手に守り切る力はない。
自分も対話無しに探索者を殺している。何も知らないのは同じだ。
「ダンジョンから生み出された魔物と共存できるなら、都市の人々も今以上に安全に暮らせるはずです」
「確かに共存できているが、一方的に命令しているだけだ。いつか言う事を聞かなくなる可能性もある」
自分でも把握できていない、与えられた能力だ。人間を殺すために生み出されたはずの魔物が、命令に従って人間を守っている。配下の魔物に自殺を命令したとしても能力に確信ができない。
「今可能なら今後も可能と考えるべきで、聞かなくなる事があって始めて心配すべき事です。起こった場合に対処できる力が用意できていれば問題ありません。獣使いも同じはずです」
獣使いの詳しい話を知らない。自分と同じように多数の魔物を操っているのだろうか。魔族と勘違いされないのか。
「交渉しようとしても、相手に従うしかない状態だ。多数の人間の危険を残してまで、こちらの要求を受け入れる必要がない。力も価値も認められていない」
軍の獣使いと違い立場も保障されていない。能力を認めてくれていたオリヴィアでもダンジョンが壊されると言っていた。
「この生活を奪われたくない!」
「まだ、死にたくないんだ」
何か目的があって生きたいわけではない。
「私はどうすればいいのですか?」
「わからない」
自分の身の危険も無く、ダンジョンを残せるような案は知らない。
「ニーシアも、今は寝た方が良い」
「はい」
ニーシアが寝転んだので、布団を一緒に被る。明日はダンジョンに帰る準備をするはずだ。ニーシアは何日分を想定して食料を買い揃えるのだろうか。
身を寄せるほどの寒さではない。部屋も暖かく、この寝台なら離れていても温かい。震えているニーシアの背中に手を回すと、身を預けてくる。ニーシアの背中を撫でる。




