45.サブレの正体
「君は隣に座ってくれ」
前後の座席の間は、荷物を置いても通れる広さがある。
オリヴィアの指示に従い、座席に座っていく。ニーシアが入りレウリファが入ると座席は埋まり、最期に乗り込んだサブレがオリヴィアを見る。
詰めれば座る事もできるだろう。
「サブレ、ここに座るかい?」「いいえ」
オリヴィアが膝の上を示すが、即座に断られていた。
「あの、ニーシアさん」
サブレがニーシアの方を向いた。
「何でしょうか?」
「膝の上に座っても構いませんか?」
「……どうぞ」
ニーシアの膝の上に収まると、ニーシアの腕がサブレを支えるように包んだ。
周りの視線が集まっている事に気付いたサブレがオリヴィアを見る。
「マカロン様、出発しないのですか?」
「まあ、嫌ならこっちに渡してくれて構わないよ」
オリヴィアが座席の脇にある収納に手を伸ばして、書類を取り出す。
「それじゃあ、出発しようか」
馬車が動き出す。
座り心地のいい座席が気になって、手で確かめてみる。
「いいだろう? 特注にするなら細部までこだわりたくなってね」
「これなら長時間座っても疲れないな」
「金を使う場所は間違っていないだろう」
オリヴィアの口角が上がり、書類を持った手が膝に落ちる。
「屋敷にある寝台はこれ以上にこだわっていてね。使う機会があってよかったよ」
この座席でも十分に寝心地が良いと思う。
馬車の内部も木で作られているが、磨かれているのか表面が滑らかになっている。座席脇の収納は肘置きにもできそうな高さだ。
「……サブレ。寝台は3人分あったかな?」
「安心してください、マカロン様。客室は2人用で、従者部屋があります」
サブレはニーシアに頭を撫でられている。
「という事だから、後でサブレに案内させるよ」
サブレの手に印が出ていない。洗礼を受けていないようだ。
ニーシアに収まる身長しかないサブレが洗礼を受ける頃には、この都市の教会も復旧しているだろうか。
「それにしても良かった。護衛を雇えたんだね」
オリヴィアがレウリファの方を向く。
「教えてくれた店に行ったよ」
「助けられたなら嬉しいよ。あれから生活も良くなったかい?」
「レウリファのおかげで改善できた事は多かった」
顔を向けると、目が合う。
レウリファの知識には助けられたし、戦闘でも彼女無しでは生きられなかった。
瞬きを数えていると、目が見開かれて、顔を逸らされる。
「うん、問題は無いみたいだね」
今では欠かせない存在になっている。
「サブレも何故か馴染んでいるようだし」
会話をしていない二人だが、互いに安心しているように見える。
「サブレは使用人なのか?」
「そうとも。それに加えて私の娘だ」
オリヴィアはサブレの様子を見ている。
「屋敷に突然現れてね。持っていた手紙には遠縁の子と書かれていたから、一緒に住むように言ったんだ。最初は子供のいる生活に慣れなかったけど、今では欠かせない存在だよ」
足を組み直すと座席にもたれて書類に目を向ける。
「サブレを向かわせたのは良い判断だったかな」
オリヴィアの著書を読んだ時は、サブレに助けてもらった。
討伐組合の資料館を利用していた事をどう知ったのだろう。馬車で待機していた時点でこちらの居場所は確信していたはずだ。
「俺たちの居場所をどうして知っていたんだ?」
「仕事関係でね。呼んだ理由に関わっているけど、家に着いてから話したい。馬車の中とはいえ外だからね」
オリヴィアが壁の方へ顔をそらした。
息を吐き、書類を収納に戻すと、陶器の瓶と杯を取り出す。
注いだ杯を傾ける。
「遠方の果実酒だよ。荷物を整理した時に見つけたから減らしているんだ。一口飲むかい?」
瓶と杯を片手で持つと、予備の杯をこちらにうながしてくる。
「かなり甘い味だから、気を付けて飲んだ方が良い」
「マカロン様が珍しく動いていますね」
注ぎ終えたオリヴィアは自身の杯に注ぎ直す。
「恩人だから気にしてもいいだろう」
「いつ知り合ったんですか?」
オリヴィアは答えない。
瓶の中の酒が揺れないように、収納に戻す。
「……サブレが逃げた時だよ」
「いつの時ですか?」
「一番最近だ」
「あ、あれは。当然でしょう! 危険なところに残るなんて正気じゃありません!」
オリヴィアがダンジョンに来た時にサブレはいなかった。
サブレ言う通り、衣服に焼け跡や切り傷が残るような仕事は危険だろう。
「主人を置き去りにしてかい?」
「子供を危険にさらさないでください」
「重要な仕事の時ぐらい――」
「子供に働きを期待しないでください。洗礼前ですよ私」
サブレが目を開いて笑っている。
撫でる手を止めていたニーシアは、サブレの前に腕を置いている。その腕を包むように、サブレの腕が覆い隠している。
「まあ、こんな子だよ」
逃げていても許しているのかオリヴィアも怒っている様子は無い。
思ったより甘くない酒を飲み込む。
「着いたみたいだ。サブレ」
「はい、マカロン様。ニーシアさん、ありがとうございました」
サブレがニーシアの膝から降りると、馬車の扉を開ける。
「皆さん、こちらへどうぞ」
レウリファが先に降りていき、ニーシアも続く。
馬車を出ると大きな建物が見える。
石組みの建物は2階建てのようだ。
色の揃った外壁を作る際には石を厳選しただろう。白の窓枠が映える落ち着いた壁色からは、庶民とかけ離れているという印象を受ける。
硝子窓はこの都市では高級品だ。市街の戸板だけの窓では、風だけでなく光もさえぎられてしまう。網や布を張ったような窓は、この建物には似合わない。
それに空気は清らかに感じる。都市で普段嗅いでいた臭いは密集した市街特有のものだったのだろう。大勢が歩くために巻き上がる砂、屋台の料理の混ざった臭い。それらがここでは感じられない。
建物を細かく観察できている事も、他の建物と違う点だ。建物だけでなく、建物を見るための環境まで整っている。人混みが見えないため警戒する事も少ない。
オリヴィアはこちらの前に立ち、サブレが隣に従う。それぞれが箱鞄を手にしている。
「ようこそ我が家へ。貴族街でおそらく、一番小さな邸宅だよ」
案内に従って進んでいると、後ろで音が鳴る。
振り返ると馬車が敷地内の脇道を進んでいた。邸宅のそばの小屋まで道は続いている。
自分が振り返った事で、後ろにいたニーシアとレウリファも同じ動作をした。
先に進むのも悪い気がしたので声をかける。
2人がこちらを向いた事を確認してから自分も体を戻した。
玄関の前の段差を越えて軒下に入る。
マカロン邸の入口には硝子に守られた照明もあり、油を使っている様子は無い。
「残念ながら他と違って、使用人を並べる趣向は無いよ」
サブレが両扉を開くと、温かみのある空間が先に広がっていた。
泥落としを踏んでから邸宅に入る。
視界に入るのは通路と階段。石の外壁と違い、木目の内装が広がる。
「こっちに付いてきてくれ」
薄い絨毯が敷かれた通路を進む。
通りがかった使用人に食事の追加を伝えた後に、オリヴィアが振り返る。
「サブレ。一度休憩をしたいから、奥の応接間に案内しておいてくれ」
「かしこまりました」
オリヴィアが通路の先を曲がって見えなくなった。
「皆さんはこちらへ、お手洗いの場所を先に案内しますね」
2階のお手洗いは客室を案内するついでに教えてくれるらしい。
1階にも複数あり、これは来客用と身内用でわけたようだ。
「ここが応接間です。奥に置かれた長椅子でお待ちください」




