35.文字の学習
レウリファが速度を落として読み上げている内容を木板に書いていく。
手は既に黒く汚れ、炭筆を包む布には汗が染みている。強く握りすぎたために崩れた欠片を木板を傾けて捨てる。
「ここまで!」
レウリファの一声を受けると握る手を緩めて、大きく息を吐く。
隣にいるニーシアは自分よりも余裕があるように見える。何より彼女が木板に書いた文章が読めるのだ。
ニーシアに勘違いされないように、静かにため息をつく。
書いた文章の内容は、既知の動物の特徴についてである。
未知の内容だと話に夢中になって書き損じる事もあるだろう。
レウリファも慎重に教えてくれている。言葉を話すことはできているので、単語の読み書きから始めて、文章、長文、作法の順に学ぶ内容を増やしていくらしい。
討伐組合の資料館にある図鑑を読める実力は欲しい。
「ご主人様は焦り過ぎています」
「そうだな」
「炭筆の質もあるかもしれませんが、筆圧が高くて消費も大きいです。炭筆の向きを変えるために持ち替える手間も原因だと思われます」
自覚はしている。早めに書こうとした事が逆効果になっている。
「砕ける事は作法としては良くないのですが、予備は十分にあるので問題はありません」
室内で書く際には汚れが増えてしまうから、貴族は炭筆を使わないらしい。
レウリファが自身の持っていた木板を見せてくる。
表面を削ってある木板には目を流して読める文章が書かれている。
ニーシアのものよりも文字同士の間隔が整っているのは、時間をかけて用意したためだろうか。
机の脇には積まれた他の木板が出番をレウリファの手を待っているように見える。
「ニーシアさんは文字も読みやすく、書く際の腕の動きも滑らかで綺麗です」
料理で手先の動きに慣れていると、ニーシアが言った事は事実だろう。
自分も一人で暮らしている間に料理を工夫していれば、文字を上手に書けたかもしれない。
「慣れていないが当然なので、時間をかけて数をこなしていきましょう」
書き終わった木板は燃料になるので、自分の書いた文字を後で目にすることになる。
最初に比べれば良くなった。書いた単語を後から見てみると読めない事もあったのだ。今日書いた分は大丈夫だろう、手放すまで火は残っているはず。
木板は燃え始めるまで時間がかかる。最初に文字の部分に火が移り大きく燃える。木板が燃える時には文字は焦げ付いた跡になっている。
地面に書いていたのは最初だけだった。以降はレウリファが炭筆を作ってそれを使用して文字を書いている。
すり鉢に炭を削り落として砕いていた様子を何度か見た。手伝おうとしたが何回か断られたので気にしないようにしている。
そんな手作りの炭筆を余分に消費しているのが自分である。
「討伐組合の資料館にある本を一人で読む事はできるか?」
「難しいです。都市に行くまでには、店の看板に書かれた文字の大半は読めるようになっているとは思います」
看板に書かれた文字には商品を示す絵も付いていて、覚える事にも役に立つ。あるいは人の名前だったりするらしい。
人の流れに付いていくだけで疲れていた前回よりは、町並みを見る余裕もあるだろう。
「新しい調度品を探してみるのも良いかもしれないな」
ダンジョンの生活で具体的に改善できる場所が見当たらなくなっている。都市の町並みや商品をみれば思いつくものもあるだろう。
ここで住んでいて用意できない素材や道具があるため諦めているものもある。
食料や道具は都市に依存はしている部分はあるものの、生活は出来て不便なぐらいだろう。
これ以上の改善は3人で住む場合には必要ないものが多いのかもしれない。
小型の家畜を飼育するか都市に向かう前に聞いてみようとは思っている。
ニーシアの提案で川を見に行く事にした。
「遠いので毎日通う気にはなりませんね」
ダンジョン付近の林と比べると、背を超える植物も増えて視界も狭くなっている。
地面は枯れ葉や緑に覆われていて湿り気もある。足の置き場所も探さなければ滑る事もあるだろう。
足元にある隠れた石でできた凹凸を注意して進んでいくと、水の流れる音が良く聞こえるようになる。
案内をしてくれている配下のゴブリン達は狩りの際に何度か来ているらしい。
ダンジョン周りと都市の方向しか出歩かない自分たちでは見つけることができなかった。
「ダンジョンから水が確保できなければ住み着けなかっただろうな」
「村にあった井戸も作るために数日かかったみたいです」
交易の中継のための村であれば平地に作る必要があったのだろう。
川のために山をまたぐ場所に村を作っては道を荷馬車が進めない。
ニーシアの村は魔物の脅威があるために、素早く都市までの移動ができる事を優先したのだろう。
「これが川か」
土から顔を出した小石や岩で囲まれた水の流れが見える。岩の表面には苔や小さな植物が分かり易く生えている。
渡るには膝まで水に濡れそうな深さで3人が手を繋いでも対岸には届かないだろう。
川の底まで見えていて何かが泳いでいる気配も無い。
「これだけ水があれば食べられる植物も見つかるかもしれませんね」
そう言うニーシアの背負子には衣類や桶が入れてある。川に行くなら川の水で身体を洗ってみたいというのが彼女の提案だ。
自分の背負子には植物が半分まで入っている。土ごと掘り返して土を布で包んでいるものは乾くことを防いでいるのだろう。
ゴブリンの数体にも背負子を持たせて、川の植物を持ち帰る準備が整っている。
彼らは普段から狩りの獲物を運んでいるので、荷の詰まった背負子を運ぶ事も軽くこなせる。
「水の中に住む魔物には気をつけてください」
レウリファは護衛の目線から自分たちを注意してくれる。
「……周囲を確認して水を汲むだけにします」
川を通している都市の場合は水路が厳重に監視されているらしい。
魔物より人間の侵入を防ぐ事を目的にしているが、水質確認のための水棲生物を逃がさないようにするという理由もあるそうだ。
一番近い都市では川は無い。共同井戸が複数あり庶民が使う水は確保されている。
貴族の住む区域では水の流れる水路もあり、魔法で水を生み出しているらしい。レウリファでも魔法は詳しくは知らないと言っていた。
「川の水が冷たいですね」
「ダンジョンから生み出される水より冷たいな」
雨も降ってないと思うが川には水があるみたいだ。
解体の手間や肉の鮮度を保つことを考慮すると、狩りをする場合は川の近くで行う方が良いとレウリファが言っていた。
ダンジョンに一番近いこの川を往復するだけで日の半分を失う。肉の鮮度は諦めるしかない。
内臓を抜いた後に流れのある冷たい川に漬けておくのが良いらしい。
レウリファたち獣人の村では狩りをする上で都合のいい距離に川があったらしい。
「ゴブリン達が周りを警備をしていますので、害獣が来ても服を着る時間はあると思います」
レウリファは可能な限りニーシアの要望に応えている。
川の周りは視界も広がっているので近くの木々の中よりは警戒しやすいだろう。
「それなら山菜取りよりも先に、水浴びをしましょう」
そう言ったニーシアが川に近づいていく。
途中で背負子を降ろすとおもむろに服を脱ぎだす。
「アケハさんも早く来てください」
隣にいるレウリファの方を向くと頷きを返される。
ニーシアは既に桶と布を持って川の方へ向かっていた。




