33.彼女と魔書2
ダンジョンに近づく。男は広場に置かれたものに興味があったようだった。
「質問ばかりで悪いな。どんな魔物が出現するかわかっているのか?」
離れてついて来ている探索者の男はダンジョンの情報を聞いてくる。答えられない内容だ。
振り向くと男がこちらを見ている。
「敵を逃がさず殺せ」
ニーシアもレウリファも、魔物に命令する際の言葉を理解していなかった。敵の前で命令しても意味を気づかれる事はないだろう。
背後にあるダンジョンから気配が近付いてくる。
「夜気鳥は隠れている人間を探せ」
「ダンジョンから魔物が!」
魔物に驚いた敵が地面に片手を向けると、姿が隠れるほどの土ぼこりが巻き上がる。
配下の魔物たちが自分の前を進んでいく。
自分の前に並ぶゴブリン達が手に持った槍を投げた。
飛び散った土が落ちると、盛り上がった土が投げ槍を受け止めていて。数本が地面に刺さっている。
ゴブリンは腰に留めた剣を抜く。
土の壁から走り出した敵の後ろを腹切りねずみが追いかけていく。
敵がすぐ後ろを走るねずみへ腕が突き出す。
手の先から火が走り地面へと広がり、火を浴びたねずみはその場に残る。
「お前たちは魔族か!」
逃げている敵が叫ぶ。魔族、聞き慣れない言葉だ。
2体の雨衣狼が敵の行く手を遮り、林への逃げ道を断つ。
敵が向きを変え、こちらへ走ってくる。
自分と敵の間に立つゴブリン達が盾を構える。
横を抜けようとした敵だが、雨衣狼に追い付かれて前のめりに倒れる。
防具の薄い後ろから脚を噛みつかれて、敵が枯れた叫び声をあげた。
敵が振り回す剣から狼が離れる。
レウリファが自分の前に出ると、弾く音が聞こえて、小型の刃物が地面に落ちる。
盾で敵の投擲物を防いでくれたみたいだ。
レウリファが横にずれると敵のいた場所は配下たちに囲まれていて、ゴブリン達は剣で何度も突き刺している。
遠くからでは敵の状態が分からない。
敵の仲間を探させていた夜気鳥は2羽共に林の上を飛んでいる。
夜気鳥からの合図がこない。
隠れ潜む敵はいないだろう。あるいはもう遠くに離れているかもしれない。敵は嘘をつくような様子では無かった。
敵のそばまで近づくと、配下たちも攻撃の手を止めた。
胴に来ている革鎧は傷も少なく、形を残している。防具の無い場所を集中して狙ったのだろう。
敵が動く気配もない。
「死体をダンジョン内に運べ」
ゴブリン達が血で汚れることも構わずに鎧や四肢をもって運んでいく。
盗賊の死体でDPが得られるなら探索者の死体でも同じだろう。
土の壁の裏に落ちていた敵の背負い鞄の中身を漁る。
通貨、衣類に小型の武器。食料は5日分はあった。
鞄の汚れは底部分しか無く、丁寧に使われていたか新しいものだろう。
全体を革でできていて、側面にナイフが収まる程度の収納もある。木材と紐の背負子より優れている。
鞄を持ち上げてダンジョンに帰ろうと視線を上げると、ダンジョンまで所々に血溜まりが見えた。
同族の肉を食べる気は無い。DPを得た後は早めに処分したい。
革鎧は自分の体格に合わないが、残しておけば使う機会もあるだろう。
探索者の識別票は関所を通る際に身分証明として使える。検問を短く終えられるが、既に自分が持っている。分かれて行動する場合しか持つ意味がない。探索者の管理のために名前と番号が刻まれているため、討伐組合では身に着けない方が良い。
人間死体を持ち込んでDPが得られる事に疑問があったので、他の動物と同様に頭蓋を開けて確認した。
人間の頭に魔石は入っていなかった。魔石がある事がDPの増える条件ではないようだ。
戦いも終わった事をニーシアに伝えに行く。
報酬目当ての行動だとしても誠実であり、集団で暮らす人間にとって正しい行動だっただろう。
探索者の男が会話ができて、悪い印象が無かった事も影響している。
同じの存在を殺すことに抵抗があるだけで、対象が人間でなければ今までも問題は無かった。
素材や安全の確保のために人間が魔物を狩るなら、自分も生活を維持するために人間を殺すのは間違っていない。
「アケハさん、大丈夫ですか?」
「ニーシアか」
「食事の手が止まっているのが気になりまして……」
食卓の対面にいるニーシアも今日あった事は話してある。殺人を納得できても嫌悪されているかもしれない。
「探索者を殺せる時点で、人間との共存を諦めている気がするんだ」
探索者がこちらの話を信じてくれる可能性はあった。
「私やレウリファさんとは共存できていますよ」
「それはそうだが」
レウリファは首輪によって行動を制限されていなければ安心できない。
ニーシアに帰る場所があれば、周辺の情報を得た後に殺す可能性もあった。
探索者とニーシアの違いは、ここでの生活を実感している事だろう。
「話し合いができる相手でしたか? こちらの生活を壊そうとした相手ですよね?」
ダンジョンの機能に頼って生活している事を信じてもらえるかは確実でない。
相手はこちらを殺してコアを壊す力があった。
獣使いの獣魔として配下の魔物を紹介する場合は戦力が大きすぎて警戒されただろう。実際に魔物で相手を殺している。
共存を目指そうとすると、自分も相手も危険な立場になる。
相手との信頼関係が築けていない状態では、そんな手段は選択できない。
「命を預けられるほど信頼できなかったか」
「信頼できる人間を見つけていけば、アケハさんの悩みもきっと無くなります」
「そうなのか」
「でもオリヴィアさんは情報を教えてくれましたが、頼りになるかと聞かれると少し不安です」
ダンジョンの入口付近で、無防備に寝ていた人だったか。
人間から見たダンジョンの常識を教えてもらえたのは助かった。
オリヴィアの提案が無ければ、レウリファを護衛にする事も無かっただろう。
魔物に対して恐怖がなかったり、こちらの生活を興味深く観察して、彼女が語った一般人とは違って見えた。
「あの人は良くわからないな」
「都市では貴族の一人でしたね」
ダンジョンを研究していたり、偽名というか著署名で呼ばせたり、貴族だったり、彼女は変わった人だった。
殺してしまった探索者の様子では、オリヴィアはこのダンジョンの事を口外していないようだ。今はオリヴィアの事を危険視していない。
「明日の朝にダンジョンの前で寝転んでいたとしても疑問に思わない」
「魔物も増えたので、またオリヴィアさんに追いかけられるかもしれません」
オリヴィアがここに住む魔物を観察していた時は、驚かれないよう慎重に近寄っていた。ただし、逃げても距離を離せない事が配下の魔物たちに恐怖を与えていた。
雨衣狼ならオリヴィアより早く走れるかもしれない。そうであって欲しい。
「その時は、また止めさせないといけないな」
「言った後は、近付くのを止めて、見るだけになりましたね」
配下たちに近付くことは無かったが、離れる事も無かった。
「そうだったな」
「アケハさん、気分は晴れましたか?」
ニーシアとオリヴィアの話題のおかげで少し楽になった。
「ニーシア、ありがとう」
「はい、アケハさんには長生きして欲しいですから」
食卓にのっている料理は温かいままだ。
ニーシアはいつも通りに料理を用意してくれている。
「私を買う事を提案したのはオリヴィアさんと、うかがったのですが……」
隣に座るレウリファの食事の手が止まる。
「そうですよ、レウリファさん」
「獣人は魔物と同様に扱われて、嫌われているのが当たり前と教わったのですが。オリヴィアさんは獣人を忌み嫌う事の無い人なのですね」
レウリファの眼差しが優しくなる。
わずかに上がった口角が普段の笑顔よりも素が表れているように思えた。
彼女の発した音色も、耳を抵抗なく通り、自分にあわく染み込んだ。
「オリヴィアさんは獣人、人間、魔物なんて区別は特に気にしていないと思いますよ」
オリヴィアを見た時に最初は無警戒なだけという勘違いをしてしまった。
実際は相手を注意深く観察していて、最初から遠ざける事はしない人間だった。
「あの人は、魔獣姦通日話という獣使いと獣魔との絆を記した物語を書いたみたいですから」
レウリファの手から木製の匙が落ち、食卓から軽い音が鳴る。
「ま、まじゅうかん、ですか……」
レウリファの口以外は動いていない。
彼女の顔から朱が染み出してくると、弾かれた手が顔を隠し、打ち震える。
手を宙に残したまま、石臼のような動きで顔がこちらに回る。
「ごしゅじんさまは……」
涙をためた瞳が自分を捉えると、彼女の声が届いた。
レウリファの恥ずかしさに染まった顔がある。
「俺は文字もまだ覚えていない。読んでいないから警戒しなくていい」
ニーシアも冗談として言ったはずだ。
今まで配下の魔物に対して色欲を覚えたことは無い。
「はい……」
レウリファの顔が両手へと隠れる。




