319.光
貫通した外部やラナンの衣服を見ると、暗色に包まれた室内が際立つ。崩れた壁や周囲を舞う塵が、色の違いを明確に示してくる。
見渡すと、窓は遠い景色を映していない。
使い古した小物や絨毯は元々存在せず、金属錆や壁紙の黄ばみ、日焼けといった、経年を感じさせる要素が設置されていない。
唯一、黒い石の彫刻も、長らく放置された痕跡は無い。
直前まで見ていた光景が存在しなかったように、隣にいた少女さえ塵になって崩れていた。
「ここはどこなんだ?」
「……招かれて家に入ったのは覚えている?」
「ああ。武器を手にしたリヴィアが魔石に触れて、……そこから何があった?」
一時気を失っていた事で時間感覚も途切れた。
ラナンの服装を見るに、リヴィアに連れ去られてから日数は経っていない。外から届く光を見れば、今が昼時間にあたるのも分かる。
「ここは訪れた屋敷と同位置だよ。君と引き離されてから、たいして時間も経っていない。こんな空間があるのは知らなかったけど、外からは大樹の根本部分だった」
屋敷が姿を変えただけで、遠くへ運ばれたわけではないようだ。
ただ、ラナンの説明には屋敷と無関係な言葉が続いた。
「アケハ、手を貸してほしい。……外では戦闘が続いている。今僕らがいる、この大樹の成長で街が壊れつつある。広がる根が地面を裂いて、建物も道も崩される」
ラナンが通ってきた穴からは、音が続いている。穴の幅や奥行きで聞こえづらいが、外では物が崩れたり、兵士たちが号令を上げているのだろう。
リヴィアが行動を起こしてから屋敷が倒壊しはじめ、退避した直後には、屋敷の中から木々が伸び広がる光景を見たのだと語られる。
「兵士たちも対応に動いているけど、インテグラが現れて妨害された。聖女二人に抑えてもらっているけど長くもたない。場に繋ぎ止めるのが精一杯で、周囲の被害までは防げない」
魔族の相手を聖女に任せるのは変だが、都市を壊している元凶の排除を優先したらしい。
兵士が殺されるより街の被害の方が大きいのだ。木の根と呼ぶ以上、被害も一点に留まらないらしい。
元々、リヴィアの招待には戦闘も予想されていた。ラナンの専属従者として命令に従うべきだ。
「……待て、リヴィアはどこへいった?」
ラナンの見開きと同時に、近くの飛来物を捉える。
聖剣が振るわれ、弾き落とされた塊が床に転がった。
「リヴィア」
「どうして、上手くいかないんだろうね」
飛来してきた方向には、見知った女性の姿がある。
「都市の破壊を止めるんだ」
「残念ながら従えない、これは私の体であって私でない。……と言いつつ、止める気も無いんだけどね」
リヴィアの広げる手には短剣が見える。
本人の技量か短剣の性能か、聖剣の一撃を防いだ点は警戒すべきだ。
「ここで剣を手にしている時点で、既に対話で済ませる段階ではないよ」
聞こえた後には、ラナンがリヴィアに対して剣を構えた。
「アケハ」
「わかっている」
穏便に済ませるのは期待できない。
呼びかけを聞き、構えを作る。
ラナンと自分、数の優位がある。相手が反応しづらい位置取りへ、できれば背後に回る形が望ましいだろう。
外の戦況が悪いなら、リヴィアの実力を探る時間も無い。
外にはインテグラがいて、この場にも塵になったとはいえアニマと名乗った魔族がいた。隙を狙われるのは自分たちも同じだ。
ラナンに合わせて自分もリヴィアへと迫る。
素手の短い間合いも、相手が短剣だと問題にはならない。ラナンへ向けるような魔法もこちらには通じず、肉体戦にも分がある。
協力するラナンに影響しない範囲で魔力を放出する。領域を乱して障壁を維持する余裕を消す。
背後を狙うこちらに対して、リヴィアの反応は回避一択であった。
それぞれが近接でしか戦わないため位置の入れ替わりも激しい。結果的にラナンも動かざるを得なくなるため、良い結果にはなっていない。
体力の消費を考えると悪くない。
リヴィアを追う自分の体調は万全に近い。リヴィアに軽くいなされる状態でも、最後にラナンの体力を温存できていれば勝ちを取れる。
ただ、見応えに欠ける戦闘だ。
広範囲に影響を出す魔法は使われない。
魔法だって、聖剣を包む光やそれを受け止める障壁くらい。積極性に欠けている様は、魔法が使われない戦闘と変わりないだろう。
いくら身体強化によって常人では扱えない力が振るわれていようと、影響が室内に収まるようでは小さな衝突でしかない。
参加している自分ですら物足りなく感じる。
魔族を活動前に排除するのが聖者の役目であり、大規模な戦闘は本来避けるべき状況でもある。
目の前の戦闘が行われなければ、数か月、数年の先に今以上の破壊が行われたかもしれない。ラナンに語られた外の状況が、別の都市でも起こされる可能性があった。
「弱いね、聖剣使い。……私でなければ制圧に武器も要らない。魔族の皮一枚を斬れるのは、あと何回というところじゃないのかな?」
同時に広範囲に被害を出す攻撃は、今いる空間の倒壊に繋がる。都市の中では残骸をまき散らすような攻撃は使いづらい。
今を楽にするために今後を切り捨ててしまえば、聖者の立場が悪くなる。光神教と連携していない都市で戦闘した頃とは条件も違うのだ。
「ここへ来るまでに、ずいぶん魔力を消費してくれた。単に圏外へ出た場合と異なる。魔力を自由に扱えないというのは存外苦しいものなのかな」
ラナンと剣を交わす中で、返事の要らない質問を重ねる。
一方的に話せるほど、リヴィアには余裕があるようだ。
「そもそもが、君を抑えるための領域だ。都合よく、皆の魔力まで妨害できたのは想定外と言えなくもない。……ま、何事にも例外はある」
不都合でも受け入れるしかない。
ラナンの動きは悪くなっている。
当たり前だ。
今のラナンを妨げているのは、リヴィアの工作だけではない。
魔法を万全に扱えないのも聖剣を振るえないのも、原因を作ったのは自分だ。
聖女の専属従者という立場に、そぐわない行動をした。いくら魔族が好戦的でなかったとしても処分は絶対だったのだ。
発覚して周囲を巻き込む騒動になり、ラナンの身体にも害を与えた。
長時間の活動は難しく、魔法を使うための洗礼印にも障害が出ている。
戦闘のような日常生活から外れた行動には、薬の効果も頼りにならない。効果時間、抑える痛覚にも限度があるかもしれない。訓練を再開して薬の反応も確かめていたが、実戦でも通用するかは別だろう。
魔力を動かした反動が激痛となって表れれば、ラナンの戦闘継続は不可能になる。
「辺境で魔物の襲撃を防いだ事があったよね。……無秩序に大群が押し寄せてきて、対応部隊は広がるしかなかった。総力戦のような形態になり、参加していた君も掃討に加わった」
ラナンが足を止め、リヴィアとの距離が離れる。
異常を感じて、ラナンをかばえる位置に動く。
「初めて見た時から私は、君がこうなる事を、ずっと待っていたよ」
「……いや、あの時に遭遇したのは。……そっか」
リヴィアの領域である以上、制御する本人は魔法が効率よく使える。
遠距離から打ち出した魔法に、ラナンは構えていた。
魔法は受け止められた。
振われた聖剣は取り落され、床に突き立った。




