315.原罪
魔物との衝突は、辺境へ向かうほど増加する。
中でも数少ない魔族の事例の対処に、聖者は関わる。
襲撃に乗じて外から侵入を試み、各地に潜んで工作を練る。一度事件を起こせば、都市は傷つき、数万人の経済活動が失われる。
一体ずつ現れるわけでもない。複数が同時に決起されないよう、相手の準備が整う前に直接出向いて内部工作を崩す。
特殊な魔物の連携が見られたり、事件が連動して起こる場合には、即座に出向く必要がある。
周辺都市も対抗戦力のために連携する。逃亡を防ぐために即断即決が求められ、兵を集結させる度に多大な費用を要する。
その点、聖者は十分な戦力を効率よく運用できており、一人しかいない存在でも多くの支援が寄せられている。
平時から各地を並行して警戒する。
その中に、リヴィアの案件は加えられた。
隣の都市とあって情報の伝達は早い。
現地の教会に依頼して、一日待たずに情報を受け取る。リヴィアの実在が確認された後は、直ちに移動を決定する。
期日までには軍との協力も確立して、一帯の避難指示も完了できた。
富裕層向けの住宅街にて、馬車を降りる。
道幅は整い、傾斜も最小限に設計されている。庭付き一軒家が道を空けて並ぶ光景には、検問のある貴族街にも劣らない快適さがある。
平時に出歩く人間の服装も、貴族の儀式的な衣装ではなく、ただ余力を感じさせる服飾が見られるはずだ。
おそらく、使用人の足取りも軽い。
落ちている石は荷車の中身を心配させない小物ばかりだ。
店側が家まで届けに来るか、あるいは使用人が長歩きをするのか。どちらにしても、この景観に関わる多くの者は緊迫感も持たないだろう。
近くの塀は通行人が覗き込める低さであり、土地の所有権を示しながらも見た目に遊びが加わえられている。
地区の周辺に軍の部隊も配置された今、近くに人影は見当たらない。
指示を無視して居残る場合でも、警備の人間を困らせる真似はしないだろう。
自分の前には、聖者と聖女がいる。
馬車に同乗するだけでも変だが、従者が一人だけ連れられているのも変だ。
魔族が関与する事件で、これから現場を押さえに行く。
戦闘を予想しているなら従者ではなく、聖騎士でも良かったはず。魔族の協力者が対話を求めてきた、という軍部への説明も聞けば異常だろう。
専属従者だとしても、聖者と聖女が揃う場面に一人だけ留まる場面は少ない。
「……アケハ」
ラナンに呼ばれる。
三人はそれぞれの武具を携えている。
聖剣に杖。アプリリスは鎖が欠けた手錠のような物体だ。
目的地の前で立ち止まり、ここからは自分が先頭になる。
開け放たれた門扉を過ぎて、十歩も数えない内に玄関前に着く。
管理人が去って長らくという芝の庭には、一人用のテーブルセットが放置されていた。
無人を疑ったのは一瞬。
呼び鈴には反応があり、扉が開かれると同時にリヴィアの姿を見つけた。
貴族街の邸宅では似合わない。
遠征用の仕事着か、あるいは逃避行に見合う服装だろう。
「久しぶり、アケハ」
「待ち合わせは今日で良かったよな?」
「そうだよ」
リヴィアの表情には歓迎の笑みがある。
「ああ、お連れさんがいるよね。他人を呼ぶような場所じゃないから、多少の失礼は許してほしい」
こちらの後方に移った視線は、聖者や聖女に向けられていたようだ。
言葉の最後には、視線も戻る。
「……こんな事なら、改修に費用を出してしておけばかったね」
「聖者を呼び込むために、近くの家を持ったわけじゃないのか?」
「まさか? 元より仕事用だよ」
軽い会話は中身に意味が無い。
仕事という言葉も疑えば、キリがなくなる。
「派遣される側は身も心細くてね。一時的な宿泊所を探すより、現地の家を買って管理人を雇った方が安全を安く買える」
「資料だけ運ばせれば、現地に出向く必要はないだろ?」
魔物に関する資料収集だったか。
貴族であったように、リヴィアには表向きの仕事が存在する。
「こればかりは仕事だよ。正直、その方が早いんだけど、上の指示や決まりがあってね。……特に所有者が個人だったりすると直接交渉したりもする。口伝えだったり、伝聞から調査したり。手紙上で権限を貸すにも限度があるから、とにかく出向くのが一番なんだよ」
「それは、そうかもしれないな」
この家を去った元管理人は、既に別地区へと居を移している。次がない事を察したリヴィアから十分な量の補償が渡されたようだ。
残る資産の処理も、おそらく財政側で行われる。
他の管理人は、ここほど優遇されない。立ち退きを命じられ、以降に住み続けるとしても短期間しか認められない。
所有権が失われ、地区の不動産屋の受け持ちになる。
新しい所有者が現れても、過去の管理人を呼び戻す可能性は少ないだろう。
「さ、申し訳程度にお菓子も用意したから入ってよ」
案内に意気込むリヴィアに続く。
一歩、屋内に踏み込んだ瞬間、全身を包む違和感に立ち止まる。
明らかな異常は、周囲の魔力が原因だ。
迷宮酔い。あるいはリヴィアによって、室内の魔力が制御されている。
一方的に優位を得るために、自身の領域を作ったのだろう。
居場所を知らせる不利は、同時に設営の有利も得られる。こちらが武具を持ち込む以上に、リヴィアは多くの準備が可能だ。
「リヴィア。……これは何だ?」
「ごめん、少しだけ魔法の妨害をさせてもらう。アケハと話ができず、そのまま取り押さえられる可能性もあったからね」
相手の領域に踏み込んだところで、最初から全身強化を保っている自分は影響されない。元々、魔力面に優れるため押し返す事も可能だろう。
リヴィア側も防御を突破するような意図は無いらしい。
体内への干渉は感じられない。あくまで狙撃や拘束への対策、体外での魔力操作を妨げたいだけだろう。
「私の洗礼印は、特別強いわけじゃない。面と向かって話をするために強がらせてほしい」
魔法制御に優れていなければ領域を試みるのも難しい。
空間中の魔力制御を保つなど不可能であり、何らかの外部補助があるはずだ。
領域を作る魔道具は一般に知られていない。
実際の用途も使用場面も限られる。入手は困難だ。
「そんなもの、どうやって用意したんだ?」
「長話は座ってからにしない?」
後ろへ振り返ると、ラナンの頷きを見る。
周囲の魔力の変化は、体調面も含めて戦いに支障がない程度らしい。
リヴィアの背を追って、廊下すぐの扉に入る。
玄関を見て思ったが、特別高価な家具は見当たらない。
貴族の体裁を最低限整えただけの室内だ。
椅子にしても座面の保護や、表面の磨きはある。
材木を組み立てただけの代物とは、値段も違う。
ただ、それだけ。
標準の生活から見て贅沢だと思える程度であり、富裕層の実態と見比べてしまえば、劣る要素しか見当たらない。
家具も面が少ないものばかりで、彫刻なんて摘まむ程度だ。照明にしても長い鑑賞には向かず、文筆に困らないためという用途が明確に感じられる。
たとえ子供の腕で抱えられる彫像であろうと、埃落としには時間がかかる。
数少ない小物も筆記に関係するものばかりで、それさえ扉付きの棚に収まっているとなると、掃除の手間も最小限だ。
家具を庭に運び出しさえすれば、後は風が勝手に掃除してくれる。そんな雑な管理でも許されそうな室内があった。
聖者が招待される場に見かける設備ではない。仕事用という名目も偽りではないだろう。
装飾の華美を気にする者は、少なくとも、この場に現れない。
今も同じだ。
招かれた部屋は、空間に対して椅子が多い。
書き物机があり、少々の談話をする空間がある。
多くを招かないと言うわりに、談話用の机は四面に椅子が置かれている。
主用と客用。
あからさまに付け足された両側面は、別の部屋から持ち込まれた個人用の椅子だ。客用の長椅子をラナンとフィアリスに譲り、自分は動線のひとつをふさいだ。
「ごめん……。稼ぎの大半は維持費につぎ込んでた。本国で見栄を張るのが精一杯だった」
「気にしていない」
「温かい飲み物も準備したから、持ってこよう。お菓子も奮発したんだ」
配置決めが終わるとリヴィアが部屋を出る。
取り残された自分は、少々物足りない室内を警戒した。




