310.粗探し
普段は聖女棟を離れないアプリリスも、職務には従う。会議室の目印として、数名と共に廊下で立っていると、フィアリスの後に姿を現した。
談話室と比べて質素に見える内装は、用途に見合って観賞に向かない。壁面の装飾は、建物で一貫した部分をのぞいて無地が続く。修復も部屋単位で行われるため変色が見られるわけでもない。
小さな傷に気付くより、室内で行われる議題に注視する事になる。
中央より偏った位置に四人用の円卓があり、壁回りには混在しない程度に資料が集まる。それぞれの専属従者の席も少なく用意されている。
同席しているリーフも眠気は見せない。
昨夜、ニーシアと分かれた後に帰宅を確認しており、直前に風呂を利用した事もあって、お湯の用意は進み出た。
水拭きより、眠りに入るのは楽だっただろう。
全員の入室を確認した後には、飲み物や資料など準備を進めた。
掲示台に貼られた地図は、書き足された痕跡より、大量に刺さる色付き針が目につく。魔物の傷害事件や魔族の発見、糸で示される一部の経路は法国よりも周辺国に集まっている。
会議で使われる資料は事前に目を通してあり、それらを元に今後の活動を決定する。
聞きに徹している自分も、資料の再編には関わっている。技術を要する書写には立ち入れず、力仕事を主として空き時間に原文を読んだ。
十代前の世代となると領土拡張で参考にならない箇所も現れるが、変わらない特徴もある。
いつの時代も、領土の最前線では魔物との衝突が頻繁に起こる。おおよそ、特定個体の排除によって数えられる件数は、境界の延長に対して意外に数を保っている。
被害を受けた側からすれば、数値の一部として扱われる現状は恐ろしくもある。
自身の死が何ら社会に影響しない。最初から個人として周知された事も無いのだから当然だ。それこそ、聖者のような唯一の存在でもなければ個人を覚えらえない。隣に立つ聖女ですら交代可能な制度がある。
日常で意識するのは、もっと身近な共同体であり、全域の地図で表現されるなど誰も想定しない。
聖者が関わるのは、領土より外から来る襲撃者だ。
探索者の圏外派遣で得た情報から、魔物の増加傾向を予測して駆除に向かう。辺境村での衝突を事前に回避して、領土の保護と開拓を支援する。
過去の遠征記録を並べても、活動範囲は全土を保護できる規模ではない。
空白期間の中で、魔物は生息域を移し、個体数を回復する。各国の遠征を求める声は止まないだろう。
優先順位の変更は各方面に大きな影響を出す。専属従者としても馬車の仕様を指示したり、中継となる教会に連絡する。時季に予定する面会なども調整しなければならない。
家事の延長とはいえ、一人の生活を最大限に効率化させるために多大な労力がかけられている。
議題を終えると気軽な話題も混ざる。
一時的に滞在する地域の生活情報は欠かせない。食環境や街の風景は、自由行動を制限される聖者にとって数少ない楽しみになる。
教会が贅沢に各地の食料を収集している事も、聖者の活動意欲に貢献しているだろう。
「ね、アケハ」
積み重ねた紙束から手を引き、リーフに振り向く。
「不備でも見つかったか?」
「いんや」
否定の次に広げられた両手は物を持たない。
さらに距離を詰めてくると、一度だけ視線を他に向けた。
「視線に気付かない?」
「足りない一人の方を見ているんじゃないか?」
示された方向には、かつての同僚、エルフェの姿がある。
向こうも視線に気付いて、作業の手を止めている。
会議室に残さない資料は各自で持ち帰る。主人の分の片付けを少人数で済ませるため、怠けた一人の作業分が他に積み重なる。
全ての従者を連れてくるわけでもなく、不満顔も仕方がないだろう。
同行中に必ず一人の手が空くよう仕事を分配するといっても、室内に留まる間は別だ。
中断できない作業でもなければ、呼び出しには応えられる。移動中は荷物運びになるだろうリーフが、室内の片付けを怠けているようにしか見えない。
今の時間に手が空くのは、ラナンの専属従者だけだ。
全体の進行役を任されていたり、場を準備する関係で人数が多い。それでも暇を与える労働環境ではない。
「話しかけてきたら?」
「時間があればな。今は難しい」
「硬いよ」
聖者付きになって普段留まる建物も変わった。
休憩に出歩くとしても、出入りに制限のある聖女棟は、まず候補にならない。
職務中の主人に雑談を聞かせるわけにもいかず、秘書課といった他施設で遭遇したり、あるいはアプリリスからの呼び出しを受けた帰りに廊下で見かけるなどしなければ困難だ。
挨拶や顔見せをするだけであり、手紙や合図で休日を揃えて、一緒に出かけるような長話も持たない。
「今、声をかけても、仕事をしろと怒らせるだけだろ」
「それがいいんだよ。わかっていないね」
改善の余地があるというだけで、精神的な余裕は大きい。
とはいえ、指摘される労苦を積極的に起こしたくはない。
「技術を与えた弟子が、遠い地で活躍できているか心配になる。久々に再会した時には接し方が分からず、以前の関係を頼って、ついつい怒ってしまう。いい師弟愛だよ」
エルフェも怒る場面は多くない。眼前に立つリーフが誘発させるため、二人が揃うと印象が強まるだけである。
「……リーフが怒られるのも同じ関係なのか?」
「まったく、違うね」
「おい」
断言して去る、リーフの背中に不満の声を返しておく。
夕方まで仕事を続けて、帰り道で途中の音を拾う。
一軒家の多い地区に来ると、騒音は数えられるほどに減る。廊下を駆けまわる音、水浴びをしたように多くの水が音を立てる。
生活に因んだ音も、おそらく雨音には負ける。
帰り足を助ける街灯も早めに灯され、普段と違う景色が存在しているはずだ。
「ただいま」
「アケハさん。お帰りなさい」
帰宅すると、待たずに現れたニーシアから言葉を受け取る。
「手紙を預かってますよ」
弱い突進を受け止めると、珍しい経験を聞かされる。
移住を繰り返し、他人を遠ざける生活も多かった。
識字教育は一般的ではない。集会の日時を記す程度ならともかく、文章が続くようなら代読屋を頼る状況になりかねない。
少々の内容は口答や伝言で済むため、手紙を用いる相手も一部だ。
配達費用もあるため、都市の中で暮らすような人間は使わない。
「差出人は誰なんだ?」
「表には書かれていませんでした」
手紙というより、書置きだろう。
都市を越えて運搬される手紙には書式がある。大量の運送物を扱う中では、住所が記されない物は正しく届かない。毒殺や密輸の危険性もあるのだ。
地区ごとに保管所に集まり、用のある者が定期的に確認に向かう。
個別に届ける場合は費用も加算される。
「誰が届けに来たんだ?」
「配達屋だったみたいです」
内容を気にしなければ掲示板で十分なのだ。
秘匿性を求める外装だと、運搬時に他と区別される。
憶測だが、配達側が宛先まで書いた包装を用意する。届ける直前にはがすのも手間だ。
差出人は確実に一般住民ではない。
居間で実物を見た後には、配達人と会話したレウリファにも話を聞く。
新たな情報は得られず、仕方なく手紙を開封した。
”君が忘れた過去を知っている”
ひとつの文章と、差出人の名前が書かれていた。
「……リヴィアだ」




