307.加飾
板張りの天井と壁を見る。
日の出前でも色褪せた木目が見える。日に焼けた跡は、これまでの住人が日頃から窓を開け放していたためだろう。
網戸が外気を引き込み、朝の冷えを届けてくる。聖都に吹き通る風には、近隣の料理の匂いが含まれている。
寝転ぶ体を揺らして、寝覚めの感触を早々に打ち切った。
廊下の両側には扉が並んでいる。
人数分の個室を備えた住宅というのは、聖都周辺では一般的だという。大人数で利用する共同住宅に限らず、小規模のものでも血縁のない者たちの共同生活が見られるらしい。
不動産の店で質問してみると、古くからある慣習だと教えてもらった。
探索者の一団が拠点を持つ場合にも、個室の有無は大きな判断材料になる。死傷や引退によって顔触れが入れ替わる。不慣れな者は常に届く視線に緊張するかもしれない。
出自が違えば生活習慣にも差が生まれる。個々に宿屋で泊まって酒場で集合なんて事も、ひとつの形だ。私生活の相性にも良し悪しがあり、壁で区切られた空間があるだけでも、いくらかの緩衝になるだろう。
魔物の被害が少ない聖都では、仲間内で設備を共有すれば、稼ぎが少ない中でも生活が続くかもしれない。
聖都の討伐組合に出向いた事が無いため実情は知らない。
とにかく、自宅の場所選びには困らなかった。
一律だった扉も数日のうちに布飾りが足されており、
物置を省くと片側二つしかない扉にも、手製の絵柄で利用者を区別している。
廊下を抜けて居間に着くと、朝食を作るニーシアの背を見つける。
「ニーシア、おはよう」
「いい朝ですね。アケハさん」
火を扱っているため、視線が向けられたのは短い間だけだ。
鍋料理の熱は、換気の行き届いた中でも伝わってくる。
外寄りの壁には塗装が塗られており、経年によって白から黄みがかった壁も、天井や床との色の対比は十分に感じられる。
備え付けの家具は質も良く、大きな買い物は少なく済んだ。住み慣れるのにも苦労しないだろう。
「朝食まで、まだ時間がかかりますよ」
「皆も起きてないから、ゆっくり待つよ」
飲み水を確保した後は、室内で唯一ある動きを食卓の席から眺めて待つ。
「毎食作るのは大変じゃないか?」
「そうですね……」
昼夕と、人数に差があっても調理を行う事に変わりはない。調理技術はあるだけ損にならず、得意であっても一人に集中させる作業でもない。
「毎朝とはいかないが俺だって調理はできる。頻度を分けて当番制にしても誰も不満は言わないと思うぞ」
「良いんです。私が提案した事ですから。……それに調理本の一冊も試し切らないうちは、やめられません」
手持ちの調理本は厚みこそ少ないが、製本されるだけの分量がある。あと数日の食事はニーシア任せになるだろう。
独占されない分には構わない。間食のために厨房に立ち入るのは拒まれず、夕食に間に合わない日もある今の生活では助かっている。
「まあ、家でも健康的な食事が食べられるのは、感謝するしかないな」
「そうですよ。毎日、感謝してくださいね」
「これから数えきれない回数になる。伝え方も考えておくよ」
「楽しみにしておきます」
部屋に暗所が残されていても照明は全灯されていない。
節約意識でもなく聖都で一般の考え方だが、自前で補充できる魔力に関しては惜しまず使ってほしい。
都市では通貨が頼りになる。炭や薪の入手も購入に限られ、以前のように林へ直接伐採に向かう事もできない。
着火に関しては魔道具一択になったが、他では魔道具が頼りにされない。交換式の魔石を取り替える作業も、おそらく日課になりえないだろう。
明るさも魔力も、過去の生活を惜しんでいるのは自分の方だ。
以前と異なり、薪や炭の管理も任せきりになる。状況を見て、火の番や下準備に手を貸すべきなのだろう。
「風呂に入ってくるよ」
「じっくり浸ってきてください」
鍋の具材をかき混ぜるニーシアに見送られて、朝風呂に向かう。再び戻ってきた時には調理を済ませた様子を見た。
頼まれて同居人の起床に出向くと、来た丁度に扉が開く。
中から現れたリーフは、あくびをしながら移動を続け、居間へ向かう途中で自分と衝突する。
「おはよ」
「リーフ……」
注意が散漫で、衝突後も静止まで間があった。
「温か。……風呂入った?」
「つい先ほどな」
前進を止めても体重を預けたまま。摩擦がなければ横へと倒れていきそうな雑な姿勢を諦めない。
「昨夜は水拭きしただけだから、私も朝風呂したい」
「あまり長湯すると、置いていくからな」
ため息を聞く。
両肩を掴んで引き離したところで、ようやくリーフとの視線が合う。
「ここに住むようになってから、朝出勤だよ」
「良いことだ」
過去の生活では、常習的に勤務時間を無視していたらしい。
教会の仕事も様々で、各部署に回るような仕事でなければ自由も効く。規律の厳しい時期をやり過ごしてしまえば、警告を受けるかは上司次第だ。
上手く生き延びてきたようだ。
内部監査に関わる人間なので、単独行動が許される役職に優先して組み込まれるのかもしれない。
監視のための作業時間を昼寝に消費するなど、リーフ以外では実行できない。同僚になれば必然的に知れる実態だが、問題行動を素直に話したりと、やはりリーフは変人だろう。
レウリファを起こした後には朝食をとり、庭にいるヴァイスを様子見した後には、見送りを受けてリーフと家を出発する。
早朝の鐘が過ぎた聖都中央部では、既に活動が始まっている。
石造りの多い街並みで、通りの人々が各々の目的に動く。互いの間隔を残しながらも列を作り、都市の日常生活が演出される。
「リーフ。今日の帰りは遅くなるのか?」
「多分ね」
リーフの帰宅は不定期になる。
アプリリスの専属従者という仕事に加えて、本来の職務も求められる。
不正の摘発や交流関係の監視。説明されない仕事まで予想しても、個人や特定集団に対処する点で現場対応な部分が多い。複数の役職を抱えるといった、リーフ自身の権限が強い点も非公開の予定が順当に進まない事実を示している。
ここ連日は顔を見せているが、教会の方にも寝床が確保されており、事態によっては長期間不在という場合もありえる。
個人の部屋も、あくまで拠点の一つを提供した形だ。
「朝になってから聞く話?」
「通勤時間は暇だろ? こっちで泊まる場合は睡眠優先でいい」
寝起きに細かい会話を求められても、疲れるだけだ。
求めたのはこちらだが、特別リーフに利のある提案でもない。
口約束で始まり、終わりも似たようになる。
軽い関係だ。
帰宅が遅ければ、出勤も揃えない。
頼まれた場合に起床を手伝う、そんな関係で問題ない。
「抱えて運んでくれるなら通勤時間も節約できる計算なんだけど、どう?」
「それで眠れると思えるのか……」
リーフの顔には、当然とばかりの表情があった。
「そこまでするなら、まず教会に泊まれ。寝床ごと台車で運ばれてみるか?」
「そんな見世物みたいなのは嫌だよ」
「抱えて運ばれるくらいなら、元々、往来の目も気にしてないだろ」
「いや、いくら私でも、そうだねとは答えないよ!」
選り好みもある。素人目で似たような行動に見えても、確かな差が存在するのかもしれない。
実際、睡眠時間を増やす以外の条件は捨てた。
「まったく。……アケハに頼むと、本気でされそう」
「できてしまいそうだから頼まないでくれ」
「一度くらいは許してくれるよね? ……うん、駄目みたい」
断るに決まっている。変な眠り方では疲労から回復できない。
街歩きの決まった速度を続ける内に、地区を渡る。
通りの景色も変わり、建ち並ぶ建物も高さが一段増す。
「アケハみたいに飛び回れたら、通勤も早いだろうな」
見上げるリーフのつぶやきを耳が拾う。
都市の防壁は越えられないが二階程度なら対処できる。実際に行う場合なら、建物の壁を伝って登る方が確実だろう。
「いや、試した事は無いし。混むようなら着地に困るだろ」
「なるほど、そうだね」
屋根伝いに進むにしても通りの交差場所では苦労する。飛び越えるにしても、着地の次第で建物を壊しかねない。
「……窓から入るのは、どうかな?」
「そんな真剣に解消案を考えられても、見せないぞ」
妙な会話をリーフと進めながら、中央にある教会を目指した。




