304.乍
聖剣が何度もこちらの腕を傷つける。
わずかな痛みの成果は、接近したという事実だけ。
源泉をたどれない魔力を延々と腕の先で消費していく。
魔力の枯渇が決着になるなら、勝敗は不意に決定されるのだろう。自身の魔力量を把握しているはずのラナンの方からも確かな表情は探れない。
防御のために多大な魔力を消費させているはずだが、聖者が経験していく戦闘に比べれば、自分のあがきは小規模かもしれない。
人間が何のために道具を持つようになったのか。
生身で武器に対抗するなんて愚策を選んだ自分を疑う。
見込んだとおりに聖剣を受けて生存している。異常な光景だが、魔力量という特異を持った時点で、常人に当てはまらなくなるのは当然だろう。
生死に関わる戦闘でも、飽きて思考が外れる。
致命的な攻撃を受けない。
聖剣を奪いとるような動作は察知されて、移動をともなった衝突が連続するだけ。薄皮一枚の傷、指の一本も切り落とさない攻撃で油断が染み出す。
初歩的な罠だ。
平坦な戦況に慣れて、不意の変化に対応できなくなる。
対人間の戦いに慣れない自分が警戒すべき要素だ。
こちらの攻め手に対して、確実に防御が行われる。
合間を突くような剣技も見せかけであり、相手の狙いは後にあるのだろう。
ひたすら弾く、掴む。
呼吸を深めるのは、次の踏み込みのために距離を空ける間だけ。
聖剣の振りを支える足が機敏に動き、重心を保つために姿勢は留まらない。
応じるこちら側も、深入りしない程度に足跡を追う。
身体強化のおかげで戦闘が長引く。
聖剣が他の剣と変わりない重量なら、百も振れば腕が疲れてくるものだ。振り方を選び、扱う筋肉を変える。疲労を抑える戦術を取っても、体幹となる部分の酷使は避けられない。
お互い、決着のために決定的な一撃が必要になる。
素人の予想は外れず、ラナンは姿勢を低めた。
踏み込みを強め、剣先をこちらに向けた。
正面から突き出される剣。
だが、無謀だ。
こちらの腕は既に構えてある。
避けるだけでも、こちらの手はラナンの胴に届く。引き戻しの効かない体勢になれば、聖剣も奪い取れるだろう。
それでも、ラナンの前傾は止まらない。
最後の一歩を踏み出した後には剣先さえ方向を失っていた。
聖剣を掴めるはずだった。
次に迫る全身を腕払いすれば、確実に勝利できた。
消失の魔法を放つ腕を遠ざけ、相手の全体重がかかった突進をまともに受ける。足が浮き、勢いを逃がす先も得られず、背中から地面に倒れる。
こちらの体に乗り上げたラナンは、転倒で手放した聖剣を拾い上げた。
「どうして引いた!」
首元に刃を当てられた状態で、静かに呼吸を置く。
魔法の効果が薄れた腕を、ようやく地面に下ろす。
「……殺したかったわけじゃない」
「そんな不利な条件で、勝てるはずがない」
「だから、引き下がって欲しかった」
不利有利など、勝敗の前には無関係だ。
聖者と罪人では、対等であるはずもない。長棒を切り落とす程度の威嚇で引き下がる相手ではなく、最初から期待は薄かった。
それより、不満を告げる暇があるなら、今は斬るなり距離を取るべきだろう。
ラナンを殺す前提なら、至近距離に留まる今が最も危険だ。
聖剣で致命傷を受けるより先に、相手の胴体を分断できる。衣服に防護が備わっているとしても、肌が露出する部分までは守れないはず。
「ラナン。上から降りてくれないか?」
頼んでも、表情が変わるだけで動いてくれない。
「ごめん。体を持ち上げるだけで精一杯なんだ」
「……横に避ければいい」
聖剣は遠ざけられ、不調を隠さない動きで加重が去る。
隣で仰向けに転がったラナンから聖剣が手放された。
「単なる疲労、ではないよな?」
疲労で力が抜けるとしても、一瞬にして動けなくなるものではない。日常動作の範囲内なら身体強化で補えば困らない。
「薬の効果が切れた。痛みで強化も維持できない。……戦闘で全身に魔力を動かしたから、普段より厳しいよ」
痛み止めの薬。
以前の負傷から回復していないなら、ラナンの方も万全とは言えない。
「最後に服用したのは何時なんだ?」
「村を訪れる前かな」
村で合流してから今まで、薬を服用する姿は見ていない。
薬効が切れる心配をするなら、視察を手短に済ませる。戦闘前に休憩を求めるなり優位を保つ手段はあった。
奇襲に対する警戒を優先したとしても、戦闘中に異常をきたしてしまえば無意味になる。村の訪問でも馬車に留まった方が体力も温存できただろう。
負傷の件を内密にして、遠出に不利が重なっている。
「薬が無ければ、村の視察も厳しいか?」
「……足を引きずる姿なんて見せられないからね」
事件の後遺症は、確実にラナンの活動に支障をきたしている。
今になるまで長い治療期間があった。今後、症状に改善がみられるとしても以前の正常は取り戻せないのだろう。
「僕の勝ちでいいんだよね?」
「……ああ、好きにしてくれ」
戦いの勝負は主導権の有無だけだ。
極端な要求をされるなら今度は自滅覚悟で動く。
「アケハ」
ラナンが真昼の空から顔を背ける。
「アプリリスが嫌なら僕の元に来るんだ。……君の力は、多くの者のために使われるべきだと思う」
ラナンの指摘通り、特定の誰かを守るには適していない。
他者より強力でも、訪れる脅威に対しては非力だった。
身の回りで活用するには極端なのだ。必ず衝突が生まれる。ダンジョンを扱える事で生活が保たれていただけに過ぎない。
安心を得るために危険に踏み込んだ事と同様、引き際も判断できない。
光神教の下で長く留まらず、元専属従者という経歴を利用して、都市で暮らしていけばよかったのだ。
とりあえず、ダンジョンの件で不審な点は残るが、魔族でないのは確定だろう。後で秘密裏に処理されるとしても、聖者が魔族を味方にするような騙りは一時でもあり得ない。
ここまでしないと自分の存在に安心できない。陰謀好みのアプリリスでは信用ならなかった。
「……駄目かな?」
「駄目じゃない。不義理な人間だが、尽力は約束する」
答えに納得したのか、ラナンは言葉を続けなかった。
二人して硬い地面に寝転ぶ。
内にフィアリスが様子見に現れ、動けなかったラナンは介抱を受けて立ち上がった。
薬の管理はフィアリスに任せているらしい。身を起こす際には飲み薬を与えられていた。
訓練場を離れてラナンと一度分かれて、視察の手伝いをしていた三人と広場で合流する。専用の機器を持ち込んでいた調査員は、休憩の間も資料を書き上げていた。
「負けたよ」
「熱意に?」
平然と出歩ける時点で、最悪な結果とは思われない。
最初に応答したリーフも気軽に話しかけてくる。
頷くと、安心を動作で伝えてきた。
「心境はどう? 落ち着いた?」
「まあ、負けたわりに気分は良い」
負けた事で一応の諦めがついた。
殺される可能性は残されているが、悩まずに済むのは楽だ。
「そっか。じゃあ、この後は手伝ってくれる?」
「当然だな。調査は長くかかりそうか……」
「夜の様子も見たいようだから、立ち去るのは明日以降だろうね」
安全が確保されているなら、日を通してダンジョンで滞在するのも悪くない。人工的な建物が並ぶ光景は見飽きた者も少ないだろう。
視察団は野営の設備も持ち込んでおり、滞在の延長にも対応できる。
不足が無く、向上を任されるだけなら楽な作業だ。
こちらとしてもダンジョンの放棄を予想して飼育施設も停止しており、食料面では余裕がある。後は人数が多いことで足りなくなる設備の問題も仮設で対応できるだろう。
「この機会に既存の資料とも照合するみたい。中々楽しめる部門じゃないから、準備も相当だったらしいよ。聞けば数年以来の実地調査だって」
「それは相当だな」
ダンジョンの規模や全体の話題は確認程度でしかなく、一番注目されたのは食料生産らしい。
現在はダンジョンに出現する魔物を適宜していく形で効率が悪い。大勢で管理するために、野外と違って、狩猟罠の管理も難しい状況にある。長期間かつ個人で管理できている実例は貴重な資料になり。ダンジョンを操作できる者がいなくても、必要な設備を知る上での参考になるだろう。
ダンジョンの構造は皆と相談して設計した。おかげで自分が不在でも調査員への返答には困らなかったようだ。
「教会に戻れば、会わなくなるのか?」
「まあ、私は聖女付きだからね」
リーフの同行は、アプリリスの命令によるものだ。
教会への帰還が決まれば、報告のための監視も不要になる。常に近くに留まる事も無くなるだろう。
一歩、リーフが距離を詰める。
「……養ってくれるなら考えなくもないよ?」
「まあ、こちらの待遇次第になるが、部分的に出費して欲しいな」
「考慮しとく」
リーフの視線をたどると、半端な長さになった袖を見つける。
戦闘で破損させてから着替えていない。三人と話した後は一度建物へ戻り、以降は調査を待つだけになった。




