302.寸劇
ダンジョンの調査にひと区切りがついた頃に、二人を連れ出す。
視察先で戦闘が行われる事など通常ありえず、ダンジョンとなると緊急事態を思わせる。強度試験なんて言い訳を持ち出すのも必然の妥協だろう。
行き着くのは数日前まで訓練に使っていた場所だ。
地面は平らに整い、壁に囲われた中では戦闘音の流出も抑えられる。
現状になると、フィアリスも自身の杖を持ち出してきており、ラナンと揃って戦闘前の姿がある。
やはり、聖者聖女の外見は。傷や汚れが生じるだろう戦闘に似合わない。
光神教としての意匠を見せながら、防具としての強度も合わせ持つ。多大な費用を投じて用意された服だ。常人の考える戦闘風景になじまない事もあるだろう。
食料や通貨といった即物に囚われる身と、言葉で利権を操る者とは隔絶した差がある。
こちらが聖騎士の訓練着を着ている点でも異常な関係なのだ。
「やっぱり、ダンジョンは便利だね。ここは今日のために作ったの?」
「日々の訓練場所だよ。目的を厳密に問われるなら、今日のためという答えも間違いじゃないな」
普段は地形に埋もれて見えない部分こそ、ダンジョンの本質だ。
取りうる形は平面に限らない。必要があれば自由に設計できて、強度の上でも通常の建築より寛容だ。
内部に張り巡らされたラインがダンジョンの機能を果たす。形状を変えるほか、転移を仕掛けたり、魔物を出現させるのも、ラインが繋がった範囲に限られる。
操作して初めて意識した事だが、調査を長年続けた者からすれば語るまでもない知識なのだろう。
周囲を見回す二人から離れて、壁際の棚から長棒を一つだけ掴み取る。
「この長棒もダンジョンから作り出したものだ」
「形状を細かく調節できるなら、武器が作れるのも当然かな」
軽く左右に持ち替えて、質量を示す。
「厚みを減らす分、切り離した後の強度も下がる。手軽に入手できる石よりは、断面も揃って多少の粘りがある。……それでも上質な石材という程度だから、刃物として扱うなら調理道具が限度だろうな」
ダンジョンから切り離す以上、修復もしない。
逆に言えば、小さくまとめたダンジョン自体を武器として扱えなくもない。石柱を振り回すような豪快な戦いになり、盾として扱うにも取り回しが悪い。動かす事を前提にしない利用法が良いのだろう。
「……今回みたいな場合には、強度を補うために、個人的に魔法で強化する必要がある」
「魔法を維持できるだけでも、魔道具を名乗れそうだ。どのぐらい訓練したの?」
「いや、練習も必要なかった。おそらく、魔法が使えるなら素人でも難しくないから、加工次第では魔道具の素材になると思わないか?」
「専門じゃないから詳しく語れないけど、明確に優れていると気付けるなら素材として優秀そうだね」
単なる石材ではなく、内部にダンジョンのラインを張り巡らせてある。複数の魔法を制御するには向かない素材でも、魔力を通しやすいというだけで用途は広いはずだ。
身体強化を扱える自分が長棒全体を強化できる。
手元も含めて全体に伝わるため、炎を生み出すような魔法だと対策が要る。近距離を光で照らしたい場合には光球を操るより制御が楽になるだろう。
「試しに触ってみるか?」
「魔法は試さないけど、振り回すくらいはいいかな」
ラナンに渡した長棒は早速、使用感が確かめられている。
振り下ろされては風切り音が鳴る。地面を突く音からは、振り回すに足る強度が伝わってくる。
「予備があるから壊しても構わない。ダンジョンの機能を使えば大量に作れる」
「量産できるだけで十分便利だよ。家具や装飾も同じように作れるでしょ」
「ああ、その通りだ」
ダンジョンの壁は、表面に模様がないため見て楽しむには難しい。それでも職人の手が石材を切り出す手間も時間も不要なのだから、陶器のように塗り薬で色を付けて装飾家具にしてしまうのも手段だろう。
十分に確かめた様子のラナンから長棒が返却される。
受け取った長棒は素直に強化魔法を受け入れる。
直前に魔法が使われたわけでもない。変な細工を疑われないために、長棒の性能を探るのは最低限にしたのだろう。
「アケハ。戦いの合図は何にしようか?」
「十分に離れたら、ラナンと向き合うように構える。その時点で開始にしよう」
「わかった」
殺される側が律儀に約束を守る必要は無い。全てを失うくらいなら、信用を使い捨ててでも生き延びるべきだ。
それなのに、どうして自分が平然と歩いていけるのか。
聖者聖女は人間相手に負けるはずもなく、離れていく背中を見逃す余裕がある。振り返る直前でも、ラナンは聖剣に手を伸ばしていなかった。
初撃だけでも、不意打ちを狙うべきだった。
自信があった。
確証を得られないままでも、自身を危険に差し出せるほど。
聖者は今後も魔物を相手に戦いを重ねていく。こちらに成長は望めず、この機会に敗北するなら今後も力量差は離れるばかりだ。
この瞬間に劣っているなら、そのまま殺されてしまえばいい。理想も諦めも、この場で解消してしまえばいい。
向かい合う。
重心近くで構えた長棒に、聖剣の刃が向けられる。
聖者にとって、敵までの距離に大きな意味はない。
人間と比較にならない巨体を打ち倒す聖剣は、見た目と攻撃範囲が揃わない。
魔法によって剣の刃を延長する機能は、一度でも剣を持った者なら利便性を直感する。投石や弓のように遠方を狙える上に、取り回しも利く。魔族と戦う中で軽々と振るわれる様子は、誰が見ても聖者の強さを理解するだろう。
依然として眼前でラナンは構えを取ったまま動かない。聖剣の力を見せずにいるのは、観察のためか、あるいは特殊な攻撃に警戒しているためだろうか。
こちらは敵だ。
戦争では人も殺める。
抵抗する罪人を殺す事だってあるだろう。
人間の姿をした魔族だって殺すのだから、目の前の一人に臆するのは不要な動作だ。これから殺していく何十、何百の敵の一体でしかない。
一歩進むと、視線の外れに動きが生じる。
フィアリスによる魔法攻撃だ。
魔力を操り、効果を生む。影響を与えるのは手元に限らない。性質を保った魔力を遠方に差し向ければ、自身の制御が外れた後でも効果を残す。
異なる魔力は確かに、痕跡を広げながら距離を詰めた。こちらが知るのは接近のみ、生じる効果までは予想できない。
魔力を放出する中で確かな抵抗を示す存在を、接触前に消失させる。
予想した結果は起こらない。
ラナンと違って、驚きを隠さないフィアリスがよく見えた。
制御を離れて魔力の供給を絶った魔法など、攻撃に足り得ない。
効果を生むまで隠密性があるとしても、魔力放出の勢いに負ける程度では、制御に費やした魔力も知れている。
大規模な魔法を使わないなら、遠距離を警戒しなくて済む。
同行していた調査員に知られず事を収めたいようだ。魔法を制御する途中の妨害を警戒する以前に、騒動を大きくしないよう威力を抑えた魔法しか使わない想定だったのだろう。
魔力的な優位があって、魔力放出を常に使用できる。こちらが一方的に得をする戦法だ。
長棒の構えを緩めて、先端を下方に傾ける。
短い歩幅で歩みを進め、ラナンへ突き出すと同時に、両手の間隔も詰める。
刺突は弾かれる。
身体強化に支えられた勢いにも反応して、ラナンの肉体は瞬時に横へ跳ねた。
衝突音に続いて、遠ざかる相手へと長棒を力任せに薙ぎ払うも、今度は接触もなく回避される。
詰めた距離を失い、攻撃の手を止める。
こちらの明らかな隙を見せても、ラナンはその場に留まっている。
「切れなかった。そうだな?」
質問を投げかけるも、ラナンからの返事は来ない。
両手は、長棒を通じて聖剣からの反発を受け取った。
長棒の先端付近には、確かな傷が生じている。
聖者が持つ聖剣の威力は、切断という結果で語られる。数多の魔物を切り裂く一撃は、大抵の魔族にも通用してきた。
そんな武器と接触してなお、長棒は形を残している。
切断が不要な場面もある。
使用者が意図して調節でなければ整備も難しいはずだ。
だが、飛び矢を弾く程度なら長棒に傷は生じない。
確かに、聖剣は備えた切断効果を現し、その攻撃に長棒は耐えた。
無謀は叶ったらしい。




