301.要求
馬車は止まり、車内に御者の合図が伝わる。
「先に降りるよ」
「……見てもいいかな?」
対面の座席にいたラナンは、交戦を告げた後でも遠ざけようとはしない。聖者の軽装と携える聖剣も、外出時の通常の姿だ。
不意打ちで襲いかかる予定もなく、馬車を壊す意味もない。
「……そうしてくれると助かる」
同行していたリーフは場に残す。
実演すれば説明の助けになるだろう。
馬車を降りた後は、皆と別れて、ダンジョンコアの元まで向かう。
防壁の一部を崩して馬車が通れる道を確保できる、と再び現地に戻った。
ダンジョンを操作できるか否か。
結果を見せれば、真偽は容易に判明する。
防壁の門は、四人の生活に合わせて設計した。人力で開閉させるため重量も抑えており、村や林へ向かう日常では荷車が使えれば十分、街中を走る個人用の馬車でもなければ通過できない。
光神教が遠出に用いる馬車も、あくまで都市や村に合わせた物だ。多数の往来を受け入れる門は、この場に存在しておらず、今回の場合でも通過のために新たな入り口を用意する必要があった。
ダンジョンの構造は簡単に変更できるため大した手間は要らない。
来訪に合わせて出入口を設置すれば、意図的な操作が可能な事を疑わないだろう。
外で待たせる面倒も、警戒を促す上では効率的だ。
本来は、立ち入りを探索者のみに制限するような場所であるため、徹底的に管理されている事実を示す。魔物が動き回るような状況では馬車を乗り入れようとは考えないだろう。
防壁の一部を崩すついでに地面も整え、現地に戻った後は御者の案内をした。
全員が入り、防壁を修復した後には表向きの理由が果たされる。
視察団に同行した調査員は、リーフに任せる。広場を見れば居住環境は推測できるが、魔物を飼育する場所やダンジョンの構造自体を調べていくらしい。
向かう場所を相談している光景を、離れた地点から見つめる。
隣に立つラナンも、調査に加わらない。
「調査なんて表向きの理由があるんだ。負ける可能性は考えていないんだな」
「いや。ここで負けたら、もう隠せないよ」
聖女や聖者が害される状況を見れば、視察団の面々も異常に気付く。今まで関係を保てていた事も変だが、今回は光神教との決定的な対立になる。
こちらが聖者を殺した場合には調査団も生きて帰れず、聖者が勝つなら討伐と調査を二度に分ける必要も無いか。
「アプリリスは同行しなかったのか?」
「対面させない方が良いと思って。誘わなかった」
少なくともラナンが心配すべき相手ではないだろう。
間接的とはいえ、こちらは負傷の原因を作った。話題に加わらないフィアリスでも距離を残して警戒している。
「まあ、……この場にいれば、会話をする余裕も無かった」
だが、ラナンの予想は正しい。
必要以上の支援されていた事実があろうと、アプリリスとは会いたくない。
ダンジョンを操作できる問題についても、調査という形に落ち着いた経緯には、アプリリスの擁護があっただろう。聖者の回復を待たずとも、軍に要請して即刻排除する手段もあった。
保護に対する十分な働きを返していないどころか、聖者を負傷させた失態にも処刑までの猶予を与えられている。
厚遇されておきなら敵対行為を働くなど、邪魔者でしかないだろう。
自分の異常は自覚できる。
それでも、アプリリスとの接近は危険に感じた。
聖者の代わりになれという短い言葉だけで、過去の一切に疑いを持った。
ダンジョンを操作できる事に気を取られて正しい忠誠は育たず、半端に力を持っていた事で教会を逃亡した。
ありえない厚遇を得ていたのだから、今後一切を捧げるべきなのだろう。聖者の損失に対して懸命に償うべきだったとも思う。
それでも、アプリリスの指示に従い続ければ、単に殺されるより苦痛になる。
無駄に殺されないと知っていようと、判断基準を知らなければ常に死の恐怖があるのと変わらない。
負い目を隠す演技もできず、アプリリスの思惑を理解できるほど賢くもない。
これまでの経験を捨てられず、ダンジョンの為に殺人を行った事も、専属従者の立場にあって魔族を保護しようとした事も、一度に解消してしまいたい。
罪人として存在する方が気楽なのだ。
おおよそ他人の利益にもならず、討伐に多大な費用がかかろうと自分の理想に近似する。
ダンジョンを操作できる事と、ダンジョンで暮らした中での出来事は別だ。悪人は裁かれるべきであり、裁かれる環境であってほしい。
何にしても、アプリリスは人選を誤った。
「戦闘を予想できていたなら、連れてくるべきじゃないか?」
「え?」
ラナンの疑問が分からない。
アプリリスの異質を知っているとして、簡単に否定できる質問だ。
「単純に数を揃えた方が優位になる。聖者を支える聖女は、そういう役割でもないのか……」
ラナンの横にいるフィアリスを視線で示すと、揃って視線が返ってくる。
「頼めば来てくれたと思うけど、強制ではないよ。アケハも、嫌いな相手を連れてこられても困らない?」
「……戦う相手に配慮するのは、どうかと思うぞ」
「敵だとしても手段は選ぶよ」
魔族とも異なり、問答無用で殺されるわけでもないらしい。
こちらは聖者を害した過去があるため、ラナンが問答無用を選んだところで誰も反対しないだろう。
「アケハだって、ダンジョンを利用すれば奇襲もできたよね?」
「それは一度きりの手段だ」
視察団をそのまま落とし穴に向かわせれば、一撃で解決するかもしれない。
馬車の中で身動きも難しまま、落下の衝撃を受ける。ダンジョンを利用すれば、極端な落差を作れる。
準備の時間は十分にあった。おそらく殺せただろう。
ただし、聖者を殺すのが最良ではなく、生き残った場合には容赦のない攻撃が始まる。ダンジョンの機能を利用するにはダンジョンコアに触れなければならず。顔合わせを拒む状況は警戒されるだろう。
「勝てると思って油断しているわけじゃない。優位は欲しいのは事実だが、最高を選べる状況でもない」
勝利を得ても次がなくなる。
聖者の殺害は、全てを費やせるほど価値のある結果ではない。
ダンジョンで静かに暮らせるなら十分だった。
石材や食肉を供給できる。ダンジョンの中でしか行えない研究があるなら、場所を提供する事だって構わない。
全面交戦になれば、余生を徒労に費やすだけなのだ。
「理解している。許されない失態をした」
他人を頼れば、今ほど大事にはならなかった。ダンジョンを利用した生活に、後ろ盾があれば回避できた衝突もあったはずだ。
最良を予測できるほど優秀ではなかった。
「……そんな俺に、ラナンは何を求めるんだ?」
振り向けば、ラナンと正対する。
殺されるだけなら小言を残して諦めたかもしれない。
放置されるなら衝突を避けて暮らしただろう。
光神教に連れ戻され、再び従わされるというのなら全力で抵抗する。
「君に勝って、君を連れ戻す」
「そうだろうな」
損失を補わせるのは納得できる。
組織への損害を利益で償わせる。単純な答えでもある。
だが、正しく償わされるとは思えない。
下働きに降格しようと、独房で監禁されようと、光神教の元ではアプリリスに介入される。一切の損失は聖女の名で立て替えられて誘導されるだろう。
戦う決心はついた。
戦える場所も用意してある。
妥協しかない足取りは、普段より実感が得られた。




