300.末路
一昨日に雨を過ぎた空は、重たい雲が見当たらない。
遠出をする者の足取りも軽いだろう。
自室から周囲を見渡すのも、この数日で終わりになる。
「意外に長かったな」
短い一言に、隣のニーシアから同意が届く。
「家も建てて、畑も収穫できて。前より上手く暮らせましたよね」
「ああ。どちらか選べと言われたら、今の方だろうな」
後がないと判明しても快適な暮らしを選ぶ。
快適を得るために生きてきた。
「すまないな。ダンジョンについて教えてくれたのに」
「え、全てを活用する状況なんて嫌ですよ。一緒に過ごす時間を多忙で潰したくありません」
「でも、達成した後は気ままに暮らせるだろ?」
「達成できたら、ですけどね。それに何年も待たせる気ですか? 途中で愛想が尽きて別れますよ」
今の生活は同居人のためでもある。
一人で暮らし続けるなら、国を荒廃させる手段も使ったかもしれない。
広範囲に大量の魔物を送り込めば、社会活動も大幅に制限される。聖者も一人でしかなく、各国の戦力が動く間に、いくらかの都市も崩壊に追い込める。
いくら光神教でも、支える民衆が減ると規模を縮小せざるを得ない。包囲を維持できれば、人間の暮らす範囲を大きく縮められるだろう。
初期の内に殺されなければ、周囲から隔離した土地で悠々と暮らせる。
家と食料が保たれれば技術や知識も必須ではない。趣味になるなら街の残骸から回収して自前で学んでいけばいいのだ。
身軽なニーシアなら今からでも実行できてしまう。
「それは嫌だな」
「だから、今でいいんです」
笑顔のニーシアを連れて、部屋の内側に戻る。
休憩を過ごして、自分とリーフだけ外出の準備を進める。リーフが教会から持ち出した衣装を着込んで、ダンジョンを離れた。
村の方でも視察に備えており、こちらの訪問は素早く迎え入れられた。
村長と補佐の者だけ日々の仕事から抜け出したと言いつつ、他の村人の姿も見える。人類の守護をしている聖者が訪れるのだから、一度でも顔を見てみたいのだろう。
知らない人間でも、名が通っていると違う。最初に訪れた際も光神教という名を出すだけで、いくらか警戒は減ったのだ。
門の周囲は普段より掃除が行き届いている。放置されていた壊れた台車も、被せていた汚い布と共に移動させたらしい。
滞在中の面倒を謝罪する短い会話をして、以降は来訪を待った。
今回の訪問は広く公表する行事ではないが、秘匿するものでもない。
光神教という名を掲げて動くため、訪れる一団も姿を隠さない。
村を訪れる者は少なく、行商も見知った顔が多い。知らない馬車の到来には誰でも気付き、光神教が専用に使う馬車なら特に判断がつきやすい。
見張りの最初の報告から、門番が門を開けるまでには、食事を作って食べるくらいの待機時間があった。
長く待った。
行商が利用する広場に、馬車の一団が停まる。
先頭を進んでいた一台は特に見覚えがある。
現れた人物が着る貴金属や宝石であしらわれた衣装は、色の少ない村には異質に映った。
視察団の中、聖者だけは護衛以外で唯一帯剣しており、今は刃を見せない聖剣も後には使われる。
村長の斜め後ろで待機して、近づいてくる二人を見た。
ラナンとフィアリス。
どうやら、アプリリスは同行しなかったらしい。
手紙にも聖者が出向くとしか書かれていなかった。
視線の先で行われる会話は、今回の試験への感謝だ。
ダンジョンを制御する間に問題が起これば、村が最初に被害を受ける。説明を受け入れた村に礼を告げる。
ダンジョンが隣接する事で、税の低減や肉の供給という利益を得たが、試験の終了に伴い、協力に対して改めて感謝が送られる。
従者の手で、箱馬車から運ばれてきたのは道具類だ。農業に使われるものから、木を加工する際に使うものも含めて、どれも高価ではないが邪魔物にはならない。
村の規模に合わせて数を揃えただけだとしても、単に通貨を詰めた袋を渡されるより確実だ。
特に刃物の道具は、新品と修理品では大きく違う。村の鍛冶では修理にも困る。毎日の整備が基本で、廃品を釘に変えるのも一部だけなのだ。
行商を経由して、都市の鍛冶から修理品を得る。都市部で働いたとしても大して変わらず、新品を揃って得る機会は貴重だ。
倉庫に空き場がなくても民家に押し込む。そして翌日には使われる。数本ごとに紐で縛られた道具が運ばれる様子を、周囲の村人が目で追っていた。
今回の行動に光神教の利益は無い。
ダンジョンを操作できると判明しても、各都市で運用するには事例と信頼が足りない。こちらとしても操作権限を他者に与えられる件は隠しているため、同じ手法を他で利用できないはずだ。
知らずにいた脅威を学んだという理由で光神教も納得するしかない。同じ存在が出現した際の備えになる。ダンジョンの最奥に関する警備も厳重になるだろう。
現地の作業員でしかないリーフと自分は、一度だけ挨拶をして場を離れる。
以降の時間は、聖者が村の視察を行う。ダンジョンを設置してから異常が生じていないか、手紙に書かれていない部分も確認するのだろう。
再び、待つ。
村の視察に向かうラナンたちを見送り、馬車の一団に近寄る。
聖者が訪れた今では、このまま立ち去ったところで光神教の名を騙った者とは疑われない。とはいえ形式上、同じ組織の人間としての挨拶が必要だろう。
リーフに関しては、変わらず聖女付きの専属従者だ。
接近に気付いたの反応は、おおよそ2種類。
一団は視察の工程を把握しており、村を離れた次に向かうのはダンジョンだ。本来危険である場所を数人で管理するのだから、実働部隊でも戦力的に期待される人物が派遣されたと予想する。
教会から離れている立場でも、出世から遠いとは思われないため、軽い目で見られる事は無いらしい。
リーフが話しかける従者の面々は平素の対応を見せている。
だが、専属従者は違う。聖女付きに限らず、仕事場が離れていた聖者の専属従者も、こちらの顔を知っている。
聖者を負傷させて教会を脱走した者が接近するのだ。内情を知る者が難しい顔を見せるのも無理はない。
「アケハ。緊張しなくても、結果は変わらない」
「……そうだったな」
リーフの声で、以前の所作を思い返す。
多少の無作法も、現地の調査員らしいと許容されるだろう。
後に聖者との戦闘が予想されるため、視察団との接触は最低限にする。挨拶の後は、工作を疑われないように馬車から引いた位置で待機する。
視察団に伝えたのはダンジョンへの侵入方法だ。人が定住する施設と知っていても警戒は避けられない。停車位置や内部の安全について事前に確認しておけば、視察団の御者も順調に動ける。
照明代も抑える村では昼の時間は貴重だ。
休憩があっても仕事に終わりはない。広場に集まる村人も非日常に慣れて、数を減らす。
ラナンも視察を短く済ませて、村長と共に戻ってきた。
感謝を告げて村長と別れたラナンが、こちらに来る。
一歩後ろのフィアリスは警戒を明らかにしている。
「ダンジョンを案内してもらえるんだよね」
「ああ。……まあ、ダンジョンを期待すると落胆させるかもしれない」
「あれ、そうなのかい?」
「食料生産と言いながら大半は、村とも違わない居住施設なんだ」
待機する広場の中では、数々の測量機器を点検する姿があった。長さを測る単純な道具から知らない道具まで、ダンジョンでの使用を想定して直前に最終点検が行われていた。
おそらく、視察団には正式な調査員も含まれている。
「ダンジョンを利用した点で驚きはあっても、他は見た目通り。造形の出来を調べた後には、どこにでもある石造りの建物に見えてくる」
大工の手で家が作られるより、手間と工期が少なく済む。
実用性が高いのは確実だが、内容は単純に言い切ってしまえる。
「……暮らす間に危険な異常は起きなかったが、警戒は残してくれると助かる」
「わかった。注意しておくよ」
ダンジョンの事を全て理解したとは言えない。大勢で立ち入った際に、新しい反応が出ないとも限らないだろう。
ラナンとの会話を終えて、出発になる。
ラナンの決定で、視察団はダンジョンに進む。馬車を村に留めて徒歩で移動するという手は使わないらしい。
ラナンの誘いで、一緒に馬車に乗り込む。
遠出の際に何度も利用した。見慣れた内装がある。
「後続に乗せなくて良かったのか?」
「構わないよ。普通の関係でもないからね」
こちらが強行手段に出た場合、武力で抑えるならラナンになる。
後続に乗せて対応を送らせるより、同乗させる方が確実な方法だ。
リーフと並んで座席に着く。
しばらくすると知らせの音が鳴り、馬車は動き出した。
「ラナン、俺は戦うよ」
「……そうだね」
再び停車するまで、沈黙が続いた。




