298.釈明
「卑劣だよ」
休憩を置いて、呼吸を落ち着けたリーフが隣で告げる。
今になるまで水分補給は欠かさず、声質に渇きは感じられない。
「組織の一部を狙えば卑劣か。……卑劣に仕向ける方も卑劣じゃないのか?」
「そう考えられなくもないね」
薄暗い空間の中、天井を見上げる姿勢はこちらに向けられる。
「私、どうすればいいわけさ……」
夜の冷えを気にして、リーフの身体は毛布の中にある。
腕の小さな動きも、布が擦れる音を出す。
「これまで通りで構わない」
「昼寝も食事も奪わないと約束できる?」
たとえダンジョンを追い出されても、リーフは自力で生き残るだろう。
近くに村があり、多少の出費をして都市まで着けば、大抵の危険は解消する。実行には過酷な部分もあるかもしれないが不可能ではない。
今の暮らしに留まる必要もなく、立場を利用して高圧的に接する事もできた。
協力的に接してくれるだけで、満足すべきだったのだろう。
「約束する。……終わりは見えている生活だけどな」
「巻き添えだよ。ほんとに」
ため息を聞き、リーフの姿勢が上向きに戻される。
「今の状態でも防御を解かないとか、まったく油断してくれないね」
身体強化を保っているため、直接攻撃が難しいだけ。
考えが足りない点では常に油断している。
「君の能力、相性が凶悪過ぎる。いっそ、諜報員にでもなる?」
「情報を聞き出せなかったのに誘うのか?」
光神教でも裏工作の部隊に属するリーフは、尋問を得意とする人員の実在も確認しているのだろう。
短期的な餌で相手を誘導する。今の自分も後先を考えていない。
「それはそうだけど、なんかさ、そんな気がする。見た目だって半端にいいから、油断してくれそうじゃない?」
リーフの答えが事実であるなら、自分は諜報に適している。
成果こそ得ていないが、既存の技術の底上げになりうる。情報を届ける上では生存率が高い点も有利だろう。
「……いや、本気にしないでよ。単に思っただけだから」
「まあ、なれないさ」
光神教を裏切った時点で重用されない。
従順でいられない自分には、ありえない経歴だ。
悪質な行為を働いた後でも会話を許されている。
実用的な力も役立つ環境になければ無益だが、力の活用を諦められるほどの十分な成果を得ている。
「頭が悪いなら、愚直に鍛えていればいい。下手に手管を用いるから迷う。……正面の相手だけに構えば、君に立ち向かえる相手はごくわずかだ」
一時の静寂を経て、リーフが新しい話題を出す。
「そのわずかと戦うためだろ」
「彼女は……。アプリリスは、あくまで人間に収まる。どこまでも人間でしかない」
人間の中でも聖女は強力だ。
魔法だけが力ではない。魔法に頼らない多くの暮らしは存在して、社会を維持する大半の労力は魔法と無関係だ。魔法という一点で優れる聖女も、人の範囲に収まると言える。
たしかに特別な脅威ではない。
聖女に並ぶ存在がいるとしても、それでも侮る理由にはならない。
洗礼印が特別だとしても聖者も人間である。聖女も聖者も比較でしかなく、比べ方次第で簡単に常人の枠から外せる。
「だからラナンなのか」
「聖者の事は調べていたよね……」
リーフの一貫する主張も判断基準は定かでない。
功績を比べても、聖女と聖者は別格だ。最近の聖者に不足が感じられようと、聖女が成り代わるには困難な隔絶した差が存在する。
リーフがラナンを注目するのは必然かもしれない。
だが、自分を追い詰めるのは強力な個人ではない。
仮にラナンを倒せたとしても、平穏は望めない。
ダンジョンで暮らす。
噂が広まれば、真偽を疑う者は現れるだろう。
探索者とは異なり、ダンジョンを操作する。本来は敵とされる魔物をダンジョンから生産した場合において自由に指揮できる。獣魔と違って魔物と親しくなる過程も存在しないのだから、危険視する者も多いだろう。
多数の魔物を操る姿は、魔族による襲撃を連想させて拒否感も生まれる。
必然的に、運用には秘密が多くなる。
関与する者を制限して、表向きの説明を用意する。都合の悪い事情を隠すくらい誰でも起こしえる事であり、規模こそ違えど、似たような生活をする者は存在するだろう。
既存の権力に寄りつく形でしか存続できず、大衆から反感を買えば取り潰される。
ダンジョンの生活に限ってしまえば、ラナン個人に対する脅威より、社会全体による報復を恐れていると言っていい。
ダンジョンでの生活を想定する前に、自分自身を心配すべきなのだ。
「君にラナンを殺せるの?」
「……無理だろうな」
力を比較するまでもなく、戦えない。
聖者は大義の下で活動する。
魔物の脅威が実際に存在して、対応する人員だ。危害を加えるだけでも人類の敵に等しく、聖者を出動させる現状も妨害行為になっている。
第二とはいえ、聖女であるアプリリスを攻撃するのも同様に敵対行為だろう。
最初から行き詰まりだ。
後はどのような結果を残すのか選択するだけだ。
力を隠して生きるには物を知らなかった。
人間を害する力を持ち、都市で暮らす中で魔族に似た存在だと自身を疑った。光神教なら魔族を判別する方法があるだろうという予想も誤りではなかった。
教会に訪れるのを避けたのは、決して誤った判断ではない。
魔族ではないと判明しながら、洗礼を受けていない事が判明した。
洗礼を受けずに魔法を使える。
今でも不審な存在から変わりない。
アプリリスに発見された時点で似たような避けられなかった。
魔物の判別が教会全体で行われているか、洗礼や魔族の判別方法は誰でも習得できるのか。そんな細々とした情報を知っても現状の改善にはならない。
ただ、力を活用する機会が得られない事など、あたりまえに存在する。
ダンジョンの力を借りないと宣言できるくらい、他人に生死をゆだねる選択ができれば違う結果もあっただろう。
考え込む中で、リーフは黙っていた。
聖者との戦闘に勝機は無い。皆が同意する事だ。
「リーフ……、アプリリスのたくらみは実現できるものなのか?」
実現するか、とは質問しない。
可能性として、他人が聖者に成り代れるのか。
儀式や儀礼で困る事態にならないのか。
内部監査というなら聖女も対象だろう。アプリリスの指示で監視役になったと言いながらも、細かい事情を把握しているとみていい。
「わからない。状況次第かもしれない」
聖者が絶対的な存在なら否定的に断言してしまえる。あくまで洗礼によって選ばれるため、女神の思惑を察するのが不可能という考え方もある。
未知の手段によって成り代わる。なんて都合の悪い可能性を追いたくない。
賛同が得られる行為ではなく、アプリリスの独断だろうとは予想できる。
本当に聖者を殺してしまっても、見た目だけなら解決する。
特別な洗礼印も、直接、肌の上に描いてしまえばいい。実力だけ整っていれば機能的に問題は生じないだろう。
専用の儀式があったりして支障の出る場合については知るところではない。
「状況次第か」
「今日のためにも、もう寝ようよ」
迷惑を与えている自覚があるため強く追及できず、睡眠不足で日中に困らせるのも好ましくない。
半端な自分を自覚する。
「……水で洗うか?」
「諦めていた事を指摘しない。眠気を削がない」
リーフの返答はそれきりで、窓を解放した後には自分も眠りにつく事にした。




