296.背
ダンジョン生活が終わる。
教会を脱走した当初から予想できていた事だ。
あくまで一時的な滞在であり、途中で設置される建物も状況次第で撤去される。
近場の村にも最初に説明している。監視役のリーフから何度も質問を受けていたため、光神教による実験という口実も嘘ではない。
結局、光神教の影響下でしか暮らせない。
生活用品を補充するために、生活拠点は言葉の通じる地域に限られた。近郊に住み着く場合でも自治の問題が生じる。国土を外れて圏外に住もうとも、個人が往復できる距離では警戒させてしまうだろう。
生活基準が高すぎたのだ。
自分だけの生活なら、自身で補うしかない。
道具や服も、自力で作るべきなのだろう。
例えば、都市を一歩出た周辺は元々魔物の生息地帯だった。街道も維持できないような環境であり、人類が世代をかけて魔物の数を減らしてきた土地なのだ。
部外者が住み着くべきではないと言われれば納得だろう。
圏外で生活を新たに作り上げるくらいが必要だが、それすら許されない。
いつかの魔族と同じく、光神教側も危険になりえる存在を放置してくれない。
外に逃げるのは許されず、新たな生活も築けない。
最初から行き詰まりだったのだ。
生活を依存している以上、国や光神教に恭順すべきだった。生き死にも光神教の方針に従うのであれば、生存を許容されるのだろう。
すべては仮定だ。
光神教と関わる以前に能力を知られていた場合の予想だ。
自分は既に、光神教に害を与えた。
教義に背き、結果的として聖者を負傷させた。
討伐されるべき対象である。
ダンジョンが築き上げた光景は、少なからず外への関心を減らしてくれる。
住居も倉庫も、広場の机ひとつでさえ同居人と協力して作り出した。地面に残った足跡の多くも、見知った人間が雨日に出歩いた結果だ。
背丈を越える二重の防壁は、視界を狭く留めてくれている。
大抵のダンジョンは地中に隠れて空間を広げてしまうが、人間の利用に合わせるなら別だ。
地上に作ってしまえばいい。建物の構造を自由に設計できるなら街の住宅にも劣らない。極端な設計をしなければ強度にも問題は現れない。
日常生活の補助として利用できるならダンジョンは有益だろう。
暇な時間に見回りついでの散歩を行う。
土の足元も悪くない。雨の日に泥で汚れるとしても、建物を一つにまとめて掃除に苦労するのも下手な手段だろう。明確に掃除範囲を決めても、建物の形しながら汚れを放置する事になる。
荒れた芝の地面を見渡して、視線が広場に届く。
長椅子に寝転んでいるリーフを見つける。
「リーフ。薪拾いを手伝ってくれるか?」
「あー、行くから。少し待って」
呼びかけると素早い反応が来る。
身を起こしたリーフは、丁寧にも長椅子の座面に布を敷いていた。
薪拾いは必須ではない。
魔法による火付けは手早く、火加減も制御しやすいが、自分が一緒にいる場合に限られる。着火用の細い枝も用意しておくだけ便利になる。
リーフの準備を待って、近くの林に入る。
木々の間隔は広く、荷車を任せたリーフも移動を苦にしない。表層では木漏れ日が十分に届き、見通しにも優れる。
自分たちが訪れる以前から村が利用しており、古い切り株も見つかる。間伐は運搬の面倒を減らすほかにも、風や光を通して木の劣化も防ぐ。林業を継続する工夫だ。
見渡せる一帯から自然の余力は感じられるものの、専門知識を持たない自分では林を枯らす結果になるかもしれない。成熟した木々を通り過ぎて、余力が多いだろう奥へと進む。
村人は害獣を警戒して、奥に進む機会は最低限らしい。生物に限らず、落下の危険のある上方向まで注意しなければならないため、長居したい環境ではない。
村の規模が小さく、問題対処に充てる人材も少ない。外部に頼るような状況を避けるための無難な判断だろう。村の付近に魔物が現れた際には、総出で対処した事もあったと聞いている。必要なら全力で動くのだ。
途中で落ちている枝を拾いつつ、進んだ先で都合の良い木を見つける。
リーフにも伝えて、伐採の準備を進める。
とはいえ、自分がいる場合は作業も単純だ。持ち込んだ道具は使わず、魔法で済ませる。
リーフが木から十分に離れた事を確認してから、背丈の倍ある樹木へ近づき、倒す方向を決めた後には根元へ触れる。
触れられた部分は消失する。
倒木の音は最小限だ。道具で削るより早く、騒音も抑えられる。地面に倒れ途中で伸びた枝が周囲の木々に引っかかろうと対処は楽だ。
重い衝撃と共に細かな葉が音を立て、静まった後に木の加工を行う。
中心となる幹を残して、枝葉を取り除い。必要な部分だけを拾い集める。長い幹も薪の長さに揃え、丸太になった状態で荷台に積み込む。
一本切れば荷車は満載になる。重量が増した帰りは自分が担当する。
四人暮らしで火を共有すれば燃料の消費は少なく、次の薪集めは七日を待っても問題は無い。
加工した炭も、用途は多いと言いつつ予備が溜まっている。
「ねぇ」
帰還に移る直前、リーフに声で制止される。
「どうした?」
「本当に、このまま過ごすつもり?」
問いかけの意図は分かる。
聖者が訪れると知りながら対策を取っていない。監視役であるリーフに隠しているわけでもなく、ただの日常を続けている。
「不満があるのか?」
「ある。……当然だよ、アケハ。ないわけがない」
先導をするはずのリーフが、こちらに距離を詰める。
付近に来て、敵意を示すような表情を見せる。
「抵抗しろよ。死にたくないんだろ」
「……殺されるだけだ」
「殺されて構わない、って。本気で言うつもり?」
殺されたくなくても殺される。
意見を否定したところで、結果は変わらない。
諦めているのは事実だ。
「今後、あの二人が生きられると思う? ……分かっているよね。お前が生きているから生かす価値があるだけ。都合よく身分も低い。孤児と獣人奴隷なんて、不都合な事情を知られて殺さない理由が無い」
レウリファは主人の処分に準ずる形で殺害されるだろう。ニーシアも逃げる準備をしたと言いつつ、実際に行動に移すとは思えない。
一時的に逃亡できたところで、光神教が逃すとは考えられない。
「一緒に死んでくれるから満足なの? そこまで尽くしてくれる相手に死を迫るのが理想だったの?」
無理なものは無理だ。
逃げられず、勝てもしない。
ダンジョンの事を隠していた場合でも、油断してくれる状況ではない。
「諦めているなら、いっそ殺した方が良いんじゃない? 他人任せにするより、アケハが直接やった方が二人も喜ぶ。感謝の言葉も聞けるかもしれないよ?」
「リーフ。……殺されたいのか?」
こちらは触れるだけで殺せる。
直前に樹木が分割されていく光景を見たはずだ。
リーフの防御手段も無意味だ。魔力的な優劣は個人の技量で補える段階ではなく、身体能力も比べるまでもない。
離脱したいなら勝手にすればいい。
監視役でも有益だから、協力を欠かさなかったから同居を認めた。
不快な相手を生活環境に留める余裕は持っていない。
「自分の発言を忘れた? 連絡役を殺したところで結果は変わらない。無抵抗に殺されるつもりなら、私を殺せないよ」
「無関係だ。死ぬと分かっている以上、光神教への多少の損害を与える事にもためらわない。……個人の問題だ」
傷つけられた聖者が追撃に来るのは不快じゃない。
元々、生存を望めない環境にいたから、優先できないだけだ。
「口先だけだね」
「……理性など信頼ならない。論理など衝動に劣る」
「そうならないようにするのが、まともな人間だろうよ」
ダンジョンを操れるなら、まともでいられない。
権力下に収まるために行動制限を受け入れるのが当然だと言いたいのか。
「……殺される事と反抗する事も無関係だと分からない? 面倒だから死にたいだけだろ。殺されずに済むくらい、……お前自身の価値を示してみろよ」
有害が証明された存在を許容するのは破滅的だ。
聖者を見下していなければ、可能性を残す判断にもならない。事情が考慮されたとても、別の状況で事態が再現されないと断定できないだろう。
聖者を失って構わないなど、代替を求める行為と大差ない。
「……今でもアプリリスの専属従者だったな」
「どうでもいい。アレの意図した結果にならずとも、こちらはこちらで対処する。資源をみすみす廃棄するのは集団のやる事じゃない」
「その資源とやらを、不快にさせてまで言いたい事か?」
「さあね」
リーフは、視線を固めず雄弁に語る。
回避の備えを残している。攻撃が避けられないとは理解しているだろう。
「認められなかったから自罰するとか、敵ながら心打たれる決意だけど、有益を認めない奴の責任だよ。アケハという存在を予想できなかった失態でしかない。備えにも限界はあるが、怠った結果の損失は事実だ」
知らない存在に対処できないのは当然だ。
実力差がある魔族を安全に収監できないからといって、環境を責めても何の解決にもならない。
「だいたい、誰も予想できなかったから悪くないなんて勝手な理屈だ。いかにも優位を誇っている。……皆という範囲から除外されないと慢心して、いざその時には違うと嘆く。今のアケハにそっくり。常に違わない人間なんて意図して行う者くらいなのにね」
生きるための妥協は自分も行ってきた。
成果など環境次第でしかない。皆と同量を要求されても実現できるとは限らない。個人などその程度だ。
自分と同じ環境でも生き残れる者は多くいるのだろう。自分は違っただけだ。
「誰もが勤勉なわけじゃない。妥当な判断も状況によって評価が変わる。全員の賛同を必要とする選択など愚かすぎると知っているから、優遇してくれる一部に寄りつく。……生き残りたいからね」
リーフが、こちらの手に触れる。
「失敗なんていくらでも経験するし、才能のある人材を潰す判断なんて日常的な事だ。……アケハが無駄になれば、私の時間も無為に終わる。監視を別に向けていれば、未然に防げた損害もあっただろうね」
洗礼の無い手を見せるように、互いの間まで持ち上げてきた。
「死ぬくらいなら、あの二人に身を捧げろよ。誰にも従わずに逃げるのも、もう飽きただろ?」
一点に向かってくる視線から顔を背ける。
溜め息が聞こえて、帰りの足が動く。




