284.蠱惑
翌朝になると、それぞれが街へ出かける。荷車を押していくニーシアとレウリファを見送り、自分とリーフも宿屋を離れる。
都市の町並みには変わらない景色がある。大通りという広い空間がありながら道に沿って建物が整列する。街道上の村でも真似て作られているが、奥行きの差や道の曲がりで区別できてしまう。
石造り建物には落ち着いた色の外装が塗られて、一体感の中に個性を出している。
二階以上を引っ込めた建物では日陰を作る布が張られている。区分けの角にある料理店は特に見通しも優れる。砂塵の届かない高さにあって、道を歩くより混み具合を把握できるだろう。
人とすれ違う間隔では腕も広げられない。流れを同じくする者はその半分にも狭まる。
それでも路地を横切る間には、ひとしきりの風が透き通る。
広めの路地を見通すと、二階方向に緩やかな階段や渡り廊下を見つける。建物上部の住民でも物の移動が楽になる。大通りほど連結していないようだが、住み慣れた者なら人混みを避けるために利用するだろう。
地上部の道は、光を届けながらも木々の合間のように休む隙がある。花壇や置き物を飾ったりする勝手な自由は、都市の中央部に近づいても残されていた。
「にしても二人を放って、私と一緒に来るなんてね」
「悪くないだろ」
「意外と嬉しい。……けど、門前までってのは、どうなの?」
「街も安全じゃないからな」
ニーシアやレウリファにも自衛の武器は持たせてある。探索者がいて、獣人や獣魔を連れていると知ると店員にも納得される。解体用の刃物であれば街中でも携帯できて、服の下に隠せるため怪しまれない。
必ず二人に付いていく必要は無い。
求められているのは教会の中を含めての同行かもしれないが、敷地の中には入りたくない。街中では隣を歩く。帰りも付き添うから妥協してほしい。
「なあ、リーフ。俺から神威は感じられるか?」
「……無いね」
使徒ですらない。
なぜ、魔力に優れながら神威が無いのか。
「ま、女神にでも嫌われているんじゃない?」
「それは違いない」
聖者を傷つけ、聖女にも敵対を宣言した。
これで嫌われないなら女神は人間を傍観している。洗礼以外で女神の存在を聞かないため、傍観と言われても否定できないだろう。
アプリリスは洗礼を受けていないと言った。
洗礼を二度受ける話は聞かないが、ラナンは、洗礼の機会を逃していた時に特別な儀式で呼び出されている。聖者になる特別な洗礼がある可能性もわずかに残る。
だが、聖者の数を増やさないという当たり前の疑問が生じる。血筋も関わるようだが普通の洗礼で聖女が見つかるため、聖者だけが特別な洗礼とは断定できない。
洗礼自体を受けていないという方が楽に認められる。
魔族であればフィアリスやラナンが区別できるはず。
なのに、自分は魔法が使えている。魔族と人間との区別が魔石の有無なら、魔物という可能性も無い。
洗礼を受けずとも魔法が使える人間とは、何なのだろう。
「手、繋いでみ」
リーフが差し出した手に、手を重ねる。
「どうよ?」
表面に魔力の抵抗が生じた。接触させる事で他者の魔力が近づいたためだ。指ぬき手袋があっても魔力の変化は感じ取れる。
リーフは手を放さないまま移動を続ける。
「途中から感触が変わったか?」
「まあね。ある程度は調節できる。こんなもの技術だよ」
繋いだ手が引かれて途中の路地に入り込む。足を止めたリーフが手を放して、こちらを壁際に追い詰めてくる。
「私からの印象を教えてあげよっか?」
答えを求めると、リーフが体ごと顔を近づけてきた。
頬は接触しない。すれ違った顔は呼吸を感じられるほど接近しており、体の前面を密着させてきている。
背中に触れた手を逃がす。
離れる際にリーフは視線を重ねており、鋭い眼差しを向けていた。
「君からは迷宮酔いがする。……内緒だよ」
途中で穏やかな笑みに変えたリーフが距離を取る。
止めていた呼吸を戻してから、話題を作れないまま大通りに戻った。
中央の広場を進んで教会の門に到着する。
リーフは裏口の門番に声をかけると、こちらに待ち合わせを告げ、後には敷地に踏み込んでいった。
待ち続けるのも暇なため、門の付近から離れる。
教会のある広場一帯は朝の時間帯でも人が少なくない。道とは違った足並みは、目的を知らない群れのようにも見える。年齢も一様ではなく、それぞれが都市に少ない景色の中で楽しんでいる。
馬車も気にせず、走り回れる。
一般が出入りする正面と片側面に広く作られた広場を含めても、この都市の教会は、聖都のそれより小規模だ。
木々を見渡す中に、探索者らしきの男を見かける。
体躯もよく。経験もあるだろう。外歩き用の靴も街中では見かけない。
「すまない。あんた探索者か?」
「そういうそちらは、……魔法か」
「どちらかといえば魔物を使う方だな」
「獣使いって言うんだったか? 珍しいな」
「ああ。あくまで自分も渡りだ。国境側に向かおうと思っている」
男が長く続けているなら、同業者の顔もそれなりに覚えているだろう。
見かけない顔に呼び止められて、警戒もあるかもしれない。
「なるほど、どうしてここに?」
「連れが教会にいる」
「ああ、……あんたもか」
男の仲間は敬虔な信徒らしい。教会に向かうなら、祈るか助言を求める時くらいだ。
仲間を放置して広場を歩き回れるのだから、喧嘩の仲裁を求めたわけでもないだろう。第三者へ判断を頼みたい場合には教会という存在が都合良い。
「おたがい暇潰しとは、まったく残念な信仰心だ」
大抵は洗礼の時しか訪れない。定期的に訪れるほど時間に余裕のある生活も少ないだろう。
「この辺りでの活躍を聞いてもいいか?」
「言っておくが、あんまり美味くないぞ。……外で狩ってくるか、村への護衛くらいだ。野草の判別までできて、ようやく独り立ちできる。大物狩りでもなければ、稼ぎは厳しいな」
「やっぱり、魔物は少ないか……」
この辺りの探索者は、都市を活動拠点とするより村に定住した方が安定するかもしれない。行商の護衛を選ぶと都市での滞在も短いだろう。
「気にするってことは、中央の出じゃないよな?」
「辺境も辺境。数日歩けば圏外との境目に着くぐらい端だ」
「おお! そっちはどうだったんだ?」
「まあ、魔物には困らなかった。街道を進めば必ず魔物を見かけて、森を歩けば群れにも出会う。狂暴な魔物ばかりでもないが、還らない人もそれなりに聞く。毎日、組合前に行列ができるかわりに、村の数も安定しないところだ」
「怖えーな」
「かなり。そう感じて逃げてきた」
「そりゃ当然だ。……まあ、中には圏外に向かう連中もいるんだけどな」
「一年過ごせば、そんな連中と顔見知りになれる」
「おお、頼むからそれ以上は勧めるな。早まらないのが長生きの秘訣だぞ」
男は自身に言い聞かせるような発言をする。
「それが言える、あんたは長生きしそうだ」
「連れに悪いからな。……っと、俺の方は来たみたいだ。じゃあな」
「ああ、今度会った時もよろしく頼む」
「おうよ」
男は歩く。
目立つように腕を振り、気付いた女性も男に駆け寄る。
遠ざかる会話で、連れの女性がこちらを聖職者と予想していた。
半ば近い。悪事の発覚で逃亡した元聖職者だ。衣服が違っても、長く親しんだ雰囲気が残っているのかもしれない。
時間も過ぎて裏口の方に戻る。
門番から離れて待っている内に、リーフが姿を現した。
「待たせた?」
「合間に周辺をうろついていたから問題無い」
「そか」
リーフの背負い鞄は中身が詰まっているように見える。
決して手紙だけ貰ってきたわけではない。とはいえ、村で補充できない生活用品もあるため、細かく探るべきとも思わない。
「帰りに この辺りの菓子でも買って帰るか」
「お。いいね」
「俺は味に疎いから、選ぶのを協力してくれ」
「おお! って、それ私だけ扱い悪いよね」
従者扱いは否定できない。
「試食を任せる分、数は食べられるだろ」
「実利優先かー。まあ、確かに部外者だけどさ。……ほんと、よく使ってくれる」
「寝転びながら摘まめる物も探すからさ」
「そんな暇与えてくれないよね?」
同じ道でも帰りの足取りは早かった。
昼過ぎに戻った宿屋で、四人揃って菓子を食べた。




