28.盗み去る者
「ご主人様、静かにしてください」
気付かない間に近付かれて耳打ちされる。
「レウリファか、どうしたんだ」
振り向くとレウリファが真剣な顔でこちらを見ている。
ニーシアも料理の手を止めてレウリファの傍に移動している。
「嗅ぎ慣れない獣の臭いがします、隠れましょう」
レウリファほどの嗅覚は無い。風向きも感じられない。隠れる場所の無いこの広場で長居しない方が良い。
護衛をするレウリファも料理用の刃物を手に持つ程度でしかないし、二人も護衛対象がいるのは荷が重い。
作りかけの朝食を置いたまま、ダンジョンへと歩く。
ダンジョンは入口も一か所であるため、相手の来る方向が限られる。入口自体も狭く作ってあり、複数の相手が一斉に襲い掛かる事態を避けられる。
周囲を見回しても動くものは見えない。すぐ後ろにいるニーシアも警戒している。
入口にレウリファを残して自分とニーシアは装備を取りに行く。
物置部屋に向かう途中にいた配下のホブゴブリンには、武具を揃えて入口近くに待機させた。
このダンジョン内にいる配下は、木材を加工させている2体のホブゴブリンと一度だけ襲い掛かってきたレウリファを監視させている雨衣狼だけである。ダンジョンの主戦力である6体の武装をしたゴブリンは夜気鳥たちと共に狩りに出ているし、腹切りねずみたちも食事のためにダンジョンにいない。
自分たちの装備の他にも投げ槍も持てるだけ持っていく。相手の情報が分からない今は、出来る限りの準備はしたい。
ニーシアにはダンジョンの奥で隠れていてもらう。
「装備をレウリファに渡した後は、自分の部屋の入口を物で埋めて隠れてくれ」
「アケハさんも戦うのですか?」
「後ろから魔物たちに命令するだけだ」
日頃からレウリファと訓練しているが、対人訓練では彼女に一撃を与えた事は無い。
自分が装備を調えたところで大して強くならない。レウリファも自分が積極的に戦う事は許してくれないだろう。
物置部屋から武具を持ち出す。外の監視を任せたレウリファの分も一緒に運ぶ。
レウリファは渡した武具を装備をして戦える態勢を整えた。
入口を隠すために盛られた土壁からレウリファが顔を出している。
「見つけました」
「相手は何だ?」
すぐ隣にいる自分に状況を知らせてくれる。
相手の正体を確認したいが、彼女も判別できていないのだろう。
「右側の林、人より大きいです」
雨衣狼でも人ほどの大きさしかない。
「林から出てきました。周辺に生息するものであれば、恐らく墓守熊です」
襲った餌を埋めて隠す習性があり、埋めた場所を覚えているほど知能も高い獣である。遺体を掘り起こして持ち帰ろうとすると、臭いをたどられて村の柵を越えられた事件もあったらしい。
「対処できるのか?」
「この大きさの獣は、罠で捕獲することが基本です」
罠は持っていない。
「墓守熊による被害では、魔物狩りに慣れた探索者の死亡例も多数あります」
レウリファは獣人だが人間より強いだけだ、今の戦力では耐えきれないだろうな。
「ダンジョンから配下の魔物を呼び出す」
「ダンジョンから……ですか」
外の監視を止めて、こちらに顔を向けてくる
「そうだ」
配下の魔物と近い距離で暮らしているが、彼女自身は安心できていないのだろう。彼女に拒否感があったとしても、魔物を使う事をためらう事は出来ない。
ダンジョンの奥へ向かう。
ニーシアの部屋の入口は物置小屋に置かれていた箱で塞がれている。熊に長く留まられる事も考えて食料も確保しているだろう。
コアに触れてコアルームに入り、ダンジョンの前方を確認する。
入口付近の露出した壁からの視点では、複数の存在が見えている。
広場の食卓にいる一体。4つ足で歩く茶色の姿を観察する。レウリファに言われた通りに人より大きく、2倍ほどの全長があり、体格は太くたくましい。
その離れには一回り小さいが十分に脅威になる個体がその子供を連れている。
外に設置された干し棚も壊されており、干してあった肉を漁られている。この様だと手前側にある畑も荒らされるかもしれない。
これら以外の姿は近くに見えないため、合計4体の群れと考える。襲われた場合は一体を抑えるので限界で、守りを持続できずに殺させる結果になるだろう。
気を取り直して生み出す魔物を選ぶ。
5993DP
水や食料しか生み出していないため溜まっていたDPを消費して、雨衣狼を2体呼び出す。
配下の一体を囮にして2体目の熊が襲い掛かる時間を稼ぐこともできるし、全員で攻めて一体を倒してしまえれば事態が好転する。防具が無くても牙や爪で襲い掛かることもできる。
コアルームを出て、レウリファの元へ急いで向かう。
「ご主人様」
レウリファも成体の熊が2体もいる状況を知って、こちらの判断をあおぐ必要を感じたのだろう。盾や剣に革鎧をきていて戦士の姿をしているが顔の表情は暗かった。
レウリファの予想も自分と同じ殺されるという事だったが、配下が増えたことで形だけの余裕は生まれた。
「レウリファ、最初は相手と話せないか試してみるつもりだ」
離れてくれるなら後ろから襲い掛かる事はしない。
こちらの戦力も増えて相対する覚悟はできた。相手が急に襲い掛からず警戒してくれれば良い。
足音を残したまま入口を出る。
3体の雨衣狼が横並びで進み、その後ろを自分が歩く。横ではレウリファがには盾を構え、相手を睨む。ホブゴブリンの2体は後ろで広がって歩いているはずだ。
目の先にいるオスの墓守熊は足を止めて、こちらを観察している。奥ではメスの墓守熊の周りを子供たちが動き回っている。
低い呼吸音が聞こえる。騒音の少ないこの広場では警戒音がよくわかる。
「ここから離れてくれ」
聞こえるかは分からないが、相手に伝える。
相手は体を向けるように動く、ゆっくりとした足取りだが進む距離は大きい。
「止まれ」
勢いを増して向かってくる熊の突進にはレウリファの盾も意味がないだろう。
威嚇か攻撃か、相手の行動を判断できない。
「それ以上、近づくな!」
変わらず突き進んでくる。距離はまだあるが、至近に寄る事を許すほど力量差を忘れていない。同じ立場だとしても存在が違う。
「囲んで襲い掛かれ」
配下の雨衣狼の1体は敵の視界を遮るように前進して、2体は左右から胴を狙うようだ。
レウリファは狼の攻撃の隙を狙うように、剣を構えて対峙している。
自分はホブゴブリンたちと共に少し離れて、オスとその家族たちを視界に収める。
ホブゴブリンには数十本の投げ槍を背負わせているため、襲ってくる事があっても少しの間は妨害をできるだろう。
メス熊の方はこちらに近づかないが、オス熊の戦いの経過を眺めている。
2体の子供も動いてはいるものの、親熊に寄っているように見えた。
敵の突進は止められたようで、前にいる狼一体は細かく動き避ける事で敵の注意を引き付けている。
敵は相手を前足で叩けば容易く重傷を負わせられる。あの重量から放たれる威力は腕で逸らす事など不可能だ。
敵の横を狙う2体の狼は振り回された腕に当たって大きく転がる事はあるが、態勢を立て直して敵の元へ向かう。
動きの少ない後ろ足に噛みついたり、爪で引っかき昇ろうとしている狼たちを嫌って、敵は体を動かし狼を離れさせる。
レウリファは狼がいない隙に胴へと剣を振り下ろすが、毛皮が傷ついた様子は見えない。
投げ槍を敵に投げたくなる事を抑える。味方にあたる可能性もあるがメスをこれ以上に刺激したくない。
メス熊はそのまま子供を守っていてほしい。動けば狙わざるを得ないが、2体の成体を相手にする余裕は無い。




