274.動向
ロ―リオラスから貰った鍵は、光神教の古い施設と関係していた。
地上が魔物であふれていた時代に、地下で都市を築き上げた。
地下施設以外にも存続していた都市があったと聞くが、魔物から人類を救う上で有効な対策だっただろう。
過去の功績というなら、大切に保管されてきた事にも納得できる。
だが、長年の間に忘れ去られた。既に所有者を選ばなくなった鍵だ。託されたものの、経緯を知ったところで行動が変わるわけでもない。
光神教が古くから方針通りで、多少の汚職があれど、今なお人類のために活動している事は知れただけだ。
外聞は悪い。人間を地下に閉じ込めたと聞けば、良い行いとは言えない。今は都市の外も平然と歩けるのだ。それこそ圏外でもなければ、魔物への対処は護衛の数人で足りる。
あるいは効果があったとしても、存続した都市があった以上、称えるべき行動にならなかった。隠れ潜むより、守り抜いた方が耳通りも良く、表立って宣言する機会を失ったのかもしれない。
仮に強制的に監禁していたとしても、光神教であれば、と納得できてしまう。
結局、ロ―リオラスが敵視するアプリリスから情報を得てしまった。
聖都の教会に戻ってきた今でも、期待外れの結果を疑ってしまう。
鍵にしても、決定的な情報だと明言されたわけではなかった。光神教自体の崩壊を示す証拠品でもない。高官が所持していただけ。
明確な期待を抱こうにも、信頼足り得ない物品だったはずだ。
とはいえ、鍵を捨てる事はしない。
ロ―リオラスが監禁を解除され、鍵の返却を求めてきた際には素直に返す。状況次第で入手した情報も伝えてみればいい。光神教に詳しい者なら、違う見解を出すかもしれない。
今は専属従者として働くだけだ。何をしても不安が解消されないなら、今の生活を保つことに集中すべきだろう。
庭での運動を済ませて、ヴァイスと獣舎に戻る。直前の触れ合いで満足しているらしく、個室に来た後は積極的に迫られない。
外出中の世話を任せたレウリファには感謝しなければならない。
獣魔との接触を好まないと知っていても、他に頼める相手がいなかった。獣魔の世話で汚れた状態では屋内の作業に移れず、毎回体を洗うにも獣人の体は苦労が多い。獣人であることを考慮しても、決して適した扱いではない。
アプリリスが主導した休暇だとしても、同僚を含めて、埋め合わせは考えておかなければならない。
「とは言っても、教わる一方には変わりないな」
地面に腰を下ろし、横にいるヴァイスに手を伸ばす。
こちらが腕を宙に留めるだけで、自発的に顔を寄せてくる。魔力を浴びせるように毛並みへ触れ、押し付けてくる体に構う。
獣魔に嫌われた事があるだろうか。
見た目や動作で推測する程度だが、敵視して襲われる事態は経験していない。
様子次第で接触を控えた事もあるため、ヴァイスの方から平常を演じている可能性はある。他に生き方が無いのだから、飼い主へ媚びは正しい。
獣魔という役が演じられるなら何でもいい。
ダンジョンから生み出した魔物は極端な命令にも従う。撲殺して食料に代えたり、死地へ向かわせられる。便利じゃないか。抵抗されるよりずっと良い。
ヴァイスの心底を探りたくなるのは、似た不安を持つためだ。
異常を知られれば周囲から敵視されるかもしれない。無知による不安は身近にも存在しており、結局のところ解決は無い。
ダンジョンを操る事が判明するまで、自分はただの専属従者なのだ。
室内に小さな侵入者が現れる。
部屋の上部にある通気口から入り込んだ 蝶が室内を舞う。試しに手を差し出すと、蝶は指先に留まり、小さく羽を揺らした。
何度も見かけているため警戒は薄い。ヴァイスも顔を向ける程度である。最初から接近が許されており、今では止まり木にされている。
獣魔にするにも、飼育手段が分からないのは問題だ。
庭園で見かける事から、小さな虫や花の蜜でも食べているとは推測している。
蝶が乗っていない方の腕に魔力を出してみると、反応したように蝶が手を移る。
賢いのか、元々魔力に反応する生物なのか。ヴァイスが拒絶しないなら積極的に危害を加えてくる部類ではないのだろう。通気口に布を張る必要も無いらしい。
光神教の資料で見つからず害の有無も確認できていない。
前例が無い以上、慎重を期すべきではある。
実物を捕まえて、詳しい人に見てもらうべきなのか。手のひら大の大きさでも、薄い羽は見た目からして脆いだろう。今いる個室の隙間を塞いで捕えたとして、貴重な存在が死なないとも限らない。
ここで暮らしているなら、あえて自分の元に寄せる意味も無い。
今を変えれば、失われる光景かもしれない。
蝶に限らず、生物など月日の前では脆く、こうして見かける機会も翌日には失われるものかもしれない。
真意を知らず、表面的な部分を楽しむだけでも構わない。後を追いかけて生態を探るほど、不可欠な存在ではない。
庭師が見つけられず、気ままに訪れる自分は見つけられるのだから、変な話だ。
「……そろそろ、行くよ」
蝶が手から離れた事を合図に立ち上がり、ヴァイスを残して個室を去る。
着替えと片付けを済ませて、聖女棟に向かう。
庭園の途中で、蝶が再び姿を見かける。
飛んでいる姿に手を向けると、気付いて舞い降りてきた。蝶の羽ばたきでも、ひと作業の間に意外に距離を進む。
蝶は、こちらの手の上で羽を広げてみせる。
光の元で鮮明になる色合いは、やはり、庭園を背景すると目立つ。基色の黒が羽の輪郭を強く際立たせている。
これで他の人は気付けない。一度は庭師に尋ねてみたが、長く働いてきた者でも知らないそうだ。
おそらく、緊急時に姿を隠す手段を持っている。
姿を現すようになった要因は不明だが、自分も聖都の教会に来て、最初から見つけていたわけではない。獣魔と触れ合う様子でも見て、警戒を解いたのかもしれない。
蝶は何度か動作を見せると、宙へと飛び去る。
離れていく姿を見て、伸ばしたままの腕を下げた。
「おーい」
呼び声がした。
進路の外へ振り向くと、低い生垣からリーフが顔を出していた。昼寝だ。すぐ背後にある広葉樹のおかげで、日向と日陰を行き来する光景が思い浮かぶ。
リーフは手の振りを止めると、生垣をまたいで歩み寄ってきた。
「こんな時間から、大丈夫なのか?」
「頼まれごとは無いから安心して。もちろん、眠気は去ったから夜番は万全だよ」
「まだ、夜まで長いぞ」
「眠りを極めた私が言うんだから大丈夫。駄目なら叩き起こしてね」
リーフは服に付いた草葉を叩き落とす。
昼間に怠けている状況も強く責められない。緊急時の行動は素早く、実際自分も助けられた経験がある。夜番には必ず顔を見せるため、仕事に対する特殊な思いがあるのだろう。
最後にリーフの見落としを指摘してから、移動を再開する。
「リーフも庭園に通っているんだったな」
「三日に一度は欠かさないね。植物は語れないけど、庭師の配置には詳しいよ」
「それは極めすぎだ」
庭師は聖女の管理下ではない。
共有されない業務内容は、リーフ自身で調査したのだろう。庭師がいる部署で工程表のような資料を覗き見した。あるいは、日々観察して覚えたのかもしれない。
「……変わった蝶を見たことないか?」
「蝶というと、以前話していた奴? 大きくて鮮やか、だったよね。……やっぱり、見覚えは無いよ」
人目を避ける程度ならともかく、魔法で身を隠すとなると蝶への対処も変わる。現状無害とはいえ存在を認識できていないのは危険だ。同じような能力を持った別の魔物がいないとも限らない。
蝶の動向を調べる必要が出てきたらしい。
今以上に休憩時間を求めるべきかを迷う。
ひとます、連れているリーフを待機室に押し込み、エルフェからの頼まれごとを完遂した。




