273.地下
村で宿泊した翌々日まで移動が続いた。
隣の都市での滞在も中継としての意味しかなく、現地の教会にも立ち寄らずに、身支度の後は出立した。
目的地は市壁の外にある。
他人が立ち寄る場所ではないため、街道で運行する馬車も途中で下車する。都市や村の近郊でもなければ街道を外れる者も少なく、徒歩の移動では、自分とアプリリス以外の存在を見なくなっていた。
旅の良好を支えていた晴れの光が、辺りを照らす。
木々の散らばりは十分な視界を保ち、各所に土台だけの建物跡が見える。草が乱雑に生え、土に埋もれていれば、露出も小さくなる。
廃墟だ。
村と呼ぶにも小規模だが、石造りの土台がある。土台自体はそれなりに大きいため、もしかすると、大きな建物だけ形を残しただけで、他の住居などは跡形もなく、埋没したのかもしれない。
長く放置されていながら、形を保てている方だろう。
地図にも書かれない。街道からの道も消失している。後付けで野営の跡もあるが、どちらにしても古く、野盗も寄り着かない場所のようだ。
荷物を置いて地面に触れると、砂のように崩れる乾いた土があった。
「この場所で合っているのか?」
「はい」
断定するアプリリスの案内に従う。
井戸のような設備を見つける。
薄黄色い塗装で保護したような表面があり、上部には蓋として石板が置かれている。表面の細かいヒビに汚れが染み着いているものの、地面より高く作られているため、土に埋まらず残ったようだ。
「開けてもらえませんか?」
「ここを開けるのか……」
水を汲む必要は無いが、指示には従う。井戸の蓋にしては不便な重量だ。数人集まらないと横へ下ろす際に壊してしまう。普段使いはありえず、廃村の折に誰かが蓋をしたのかもしれない。
厚みのある蓋を慎重に下ろすと、直下に向けた穴が存在していた。穴の径は大きく、掃除の際には紐で吊られた大人が二人同時で作業を行う余裕がある。
予想と違い、井戸の水は枯れている。
底には、積もった土が見えている。
「明日、ここを降ります」
「……今からでは駄目なのか?」
「長く密閉されて、空気が汚れているかもしれません。この後で、数回に分けて換気を行うつもりです」
井戸を降りる事には疑問がある。とにかく、降りられるだけの幅があり、厚めに作られている壁も強度は保たれていそうだ。
空気を警戒するというなら、底に洞窟のような空間が続いているのだろう。
「晴れが続きそうなので、蓋も不要でしょう」
昼の空を見て、アプリリスは告げた。
日を跨いだ翌朝には、井戸への侵入を試みる。
荷物はアプリリスが隠した。今は旅の格好もいらない。立ち寄る者が現れないとしても、放置しておくわけにもいかなかった。
自分では木の上に隠したり、土に埋めるくらいしか思いつかない。アプリリス本人しか発見できないと言われば拒めず、箱鞄は自分の目の前で姿を消した。見た目以上に物が入る鞄も存在するのだから、魔法や魔道具と仮定するほかない。
アプリリスが井戸に乗る。
「障壁です。乗ってもらえれば、後は私の方で下ろします。不安であれば、私の体を掴んでおいてください」
「信頼するよ」
穴の上に立つ。見た目では宙に浮いているように見える。アプリリスの真似をして、井戸の穴に足を置くと、確かに落下は無かった。
合図と共に、足場の障壁が下りた。
底に着いた時には上の空は小さく。都市の壁を真横から見上げた印象がある。標準的な井戸の深さだ。
底にあった地面も、壁面と同じように塗装されている。多少土が積もろうと、平らに作られた面は隠れない。
井戸ではない。水を得るには無駄で過剰な加工も、目の前の建築物を見れば納得する。
「鍵の印と似ていませんか?」
縦穴を降りた先には横への入り口が存在した。
馬蹄のような形で短い空間があり、すぐ先に丸形の入り口がある。入り口の半分ほどは巨大な丸い石で塞がれているが、侵入には困らないだろう。
アプリリスが示すのは、扉のような役割を持つ巨大な丸い石だ。
表面に彫られた紋章は傾いているものの、鍵の持ち手にある装飾に似ている。
「もしかすると、彼女もここを訪れて、中を見たのかもしれませんね」
呟きには反応しない。
早く内部に向かい、説明が欲しかった。
扉の隙間をすり抜けて、奥に進む。自分の真上に光球を浮かべると、近くの形があらわになる。
黄色がかった白。一色で埋め尽くされた空間があった。
「少し、奥へ歩いてみませんか?」
「ああ」
光神教の関係施設というのは理解した。
個人が作るには壮大すぎる。たとえ飾り気のない空間でも、掘削の手間だけで一生では済まない。大勢が関わり、長期間をかけて築いたものだろう。
壁も床も天井も、塗装されており、劣化で表面が剥がれた内部には埋め込まれた石材を見つける。
壁際にある崩れた木板は、家具の残骸だろう。
直線の通路に並んだ部屋は、それぞれに違いがあった。
机と椅子が存在した。形を残した棚が存在した。
細長い台座が並ぶ部屋では、台座に菌糸に覆われた土が盛られていた。
かまどが見つかり、浴槽があり……
吹き抜けに行きつき、下の階を見下ろす。
広場として作られた空間の周辺には、扉を失った入り口が並んでいた。
天井からは、照明に用いられただろう配線が垂れている。
光は灯っておらず、視線の奥は未だに暗い。
「ここで大勢の人間が暮らしていたのか……」
「分かるのですね」
教えてくれと言いつつ勝手に歩き回った自分を、アプリリスはそばで見ていた。
こちらの動きを止めないよう会話を控えていた。
「……最後の都市と呼んだそうです」
「最後なのか?」
「ええ、最後です」
都市は数多い。
光神教が最後と呼んでいたなら、今の状態は何なのだろう。
「大勢の人間がここで閉じ込められ、陽の光を一度も目にする事なく死んでいった者もいる。……でも、中にいる間は幸せだったと思いますよ」
アプリリスは階段手前の腰壁に手を置く。
「地上は強力な魔物に溢れ、外の危険は今よりずっと多かった。大抵の人間は壁に閉じこもり外を歩けなかった。地中で食料を作りつつ、資源が目減りしていく状況を眺めていた」
アプリリスは頭上の光球を手元まで操ると光を薄める。
「時々、部隊をまとめて遠征を行い、帰らないそれを皆で見届けた。太陽の光を目にしておきながら、それが照らす大地を見られなかった。そんな時代です」
今度は腕を上げる。再び持ち上げられた光球は、上に留まりながら明るさを取り戻した。
「アケハさんの持つ鍵は、おそらく、当時の官職が保管していた物なのでしょうね。……時代が移り変わる記念として」
今の人間が外に出られるのは、過去に多くの人間が犠牲になってきたから。
魔物を殺して領土を押し広げるのは、辺境国が行う圏外への遠征のようだ。
「今生きている者の祖先は、皆ここの生まれなのか?」
「いえ、そうでもありません。滅びを免れた都市はあったはずです」
視線を向けたアプリリスの否定は、語り時点より高く聞こえた。
「この地を知る者は少ない。本当に皆の故郷であれば、言い伝えがあって然るべきでしょう。ただ、光神教は最後を見越して、この施設を建設したというだけです」
最後という名目通りではなかったが、実際に使われていたのだ。光神教は当時の限られた資源を無駄に消費したわけではない。
住人から編成した部隊を外に送り出していた事も、おそらく無駄ではなかった。
「壁の外が危険であれば、都市間の連絡は今ほど緊密ではないでしょう。それぞれ国として独立した形で維持していたかもしれません」
地中で暮らしていれば行き来は難しい。穴を掘って繋げるにも距離が遠く、人力が限られた中では整備も困難だ。
「滅んだ都市があるなら、以前はもっと栄えていたという認識で正しいのか?」
「確かな資料はありません」
「推測で構わない。今と比べて、どちらが広い?」
「今と以前を比較して良いのであれば、……以前の方が圧倒的に広いです」
半ば予想がついていたため驚きはしない。
「光神教が各国の遠征に順番を定めている理由を知っていますか? 当事国が自由に決められるものではない。圏外の調査を進めて、資源や地理的情報を集めた上で、有益な場所を選ぶ。……それだけではありません」
有力な探索者が圏外へ向かう理由も、貴重な資源を得るためだけでなく、次に侵攻すべき場所を探すためでもあるらしい。
普通は、強力な魔物がいるかわりに依頼の稼ぎが良い、程度の認識だろう。
「計画の根幹は全盛期とされる地図です。新たな都市の候補地は、かつて滅んだ都市の近くが多く選ばれています」
地図も嘘ではない。信頼性が低ければ、何度も参考にしないだろう。
「都市を構築する最低限の資源が集まりやすい。……過去に都市か建造されていたのだから当然。廃材もまた流用できます。周辺資源の見当がついており、調査にしても埋蔵の程度を確認するだけで済む」
公に知られていない内容だろう。多くが推測であったとしても、資料の存在はアプリリス自身で確認したのかもしれない。
「かつての領土を取り戻すために、効率化したと言えるでしょう」
アプリリスは気付いているのだろうか。
この施設はダンジョンに似ている。壁に囲まれ、日の届かない場所で過ごす。無地の石壁を見ると余計に感じる。
参考になるのだ。ダンジョンで長く暮らす場合、他人が立ち入らないよう入り口を塞ぐべきと考えた。勝てない敵に狙われたなら、隠れるしかないのだ。
わずかな光があれば、自分は生きていける。




