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魔法迷宮で暮らす方法  作者: 朝日あつ
10.先導編:268-295話
270/323

270.息抜き



 晴れ日の日差しを薄雲が抑えている。

 教会の敷地を一周する庭園は、敷地を囲む壁や教会施設の圧迫感を大きく減らす。植えられた草木が細かな輪郭を持ち、生み出される奥行きは建物の見慣れた印象を薄めてくれる。

 細部が風に揺れる姿は、人が廊下を渡る光景より流動的で飽きないものだ。汚れを是とする立場であれば、雨でも外を歩いていたかもしれない。


 虫の付着や雨で濡れる欠点があるため、書類作業の合間に訪れる者は中庭の方を好むだろう。自分としては、廊下で横切る広さでは、建物の隙間という印象を強く感じてしまう。


 庭園を通って獣舎に向かう。

 日に数回往復するうち、昼に一番長く獣魔と接する。運動不足を注意して、獣舎の外に出す機会を貰っている。

 庭の利用は時間に正確に従わなければならない。このあたりは、教会側で飼育されている馬との兼ね合いになり、無断で連れ出す真似ができない。


 専属従者として雇われながら、休憩時間は獣魔の都合を優先できる。

 主人から優遇を受けていると断言していい。獣魔の不調には、専門家の紹介も構わないと言われた。


 最初に雇われた際の条件が、今でも守られている。

 保護を受けた時とは状況も変化しており、数々の騒動ではアプリリス自身も危険な場面にあった。一人の特別を維持する必要など無かった。

 獣魔がたった一体になった後も、休憩の短縮を求められた事は無い。


 着替えをして、獣魔用の個室に入る。


「ヴァイス」


 扉を開けた先にはヴァイスがいた。

 こちらの接近を足音で知ったのだろう。駆け回る事も不可能ではない広さで、物が置かれない壁ぎわに留まる理由も少ない。

 背後の扉を閉めた後、目線を合わせるよう足を屈めると、手を伸ばした事を合図に、人より強靭な体が駆け寄ってくる。


 込められた勢いを腕で受け止め、以降の接触を許す。体をこすりつける動作は、完全に離れる瞬間がなく、毛並みに隠された質量を常に感じさせてくる。


 抑揚を下げた声で呼びかけ、ヴァイスの首元をほぐす。正面から抱きかかえる手は、軽々と肩回りまで届く。


 前半分を掴みかかるような体勢でも抵抗されない。ヴァイスから信頼されているのだろう。


 最初とは違う。

 こちらの体は、既に雨衣狼を脅威としていない。わずかな弱点も隙を見せなければ取り繕える程度でしかない。こちらに本気で締め付けられてしまれば、ヴァイスは潰れる苦しみを伴って殺されるしかない。

 体を張って信頼を示すには危険な関係だろう。


 ヴァイスも感じているはず。

 最低限だった接触も、今では日常的な行為にある。一緒に駆け回り、触れ合う内に、こちらの変化を察しているだろう。

 襲いかかり押し倒すまでできても、牙や爪では傷つけられない。


 いくら雨衣狼が魔物だとしても、縛って捕らわれた状態なら素人でも殺せる。個の強みも大抵は環境ありきだ。抵抗されなければ、殺す術はいくらでもある。

 強みである足も牙も封じられた状態で、どうして安心を得られるだろうか。


 こちらは信頼に足る相手ではない。

 雨衣狼に命令して、離れて戦闘を眺めていた存在だ。危険があれば足止めとして消費される立場で、どうして尽くせる。

 今のヴァイスは命令どころか、しなくても自死を選んでしまう。不慣れなダンジョンで格上の魔物と遭遇した際、自身を囮にして逃亡時間を稼いでくれたのだ。


 信頼が報いられることはない。

 獣魔の飼育を拒否されれば、専属従者の地位を保つために必ず切り捨ててしまう。ヴァイスが信頼する相手は、いつか自身の首をへし折る者だ。


 背も腹も隠さないヴァイスに触れるたびに、不調の有無を探してしまう。こちらの本願にとって不可欠ではない存在でも、軽々しく死んでほしくはない。


 ダンジョンを操る存在でなくても、自分の性格では安心を得られなかった。力を増したところで次の脅威を当てはめる。ヴァイスのように信頼を演じる余裕さえ生まれないだろう。

 いずれ、自分の限界を知った時にはヴァイスの姿を目指す。理解から遠い存在でも、行動の価値を認めざるをえない。分かりきった未来を意識しても、経験するまで納得できない。


 ひと通りの接触を済ませて、軽い掃除も終える。運動場へ連れ出したところで手荷物を置いて、自分もヴァイスと一緒に地を走る。

 掃除中は邪魔しなかった代わりに、遊べる機会には存分に遊んでいる。


 速度のある四つ足の走りは、こちらの近くを周回する。

 競争するまでもない性能差があり、進行方向を反転させようと、寸分の内に追いつかれるだろう。

 並走では走り足りないのが明らかなため、ある程度を走った後は玩具に頼る。


 投げ飛ばした布の束を、ヴァイスは揚々と咥えてくる。

 数度続けて、次の狙いを探そうとした時に、近づいてくるラナンを見つけた。


 ヴァイスを手元に留めて、相手に礼を示す。


「ごめん。邪魔したみたいだね」

「いや。こっちも気にしないさ」


 知らない顔ではない。話す距離にあってもヴァイスに緊張は見えず、少々の反応を返す片腕に甘えてきている。

 ヴァイスから視線を戻した直後には、ラナンの視線も同じ向きにあった。


「外歩きには良い空だ」

「だね。今日くらいの明るさだと目も疲れない。……こんな日が続いても、それはそれで農作物が困ってしまうから、惜しいね」


 ラナンの金髪が輪郭を捉えやすい。

 自分の仕事着だって変わらず、日差しの強い屋外では少々色が強い。


「操れないから良い、か」

「困り事もあるから、その時は思うくらいかな」

「それもそうだ」


 屋外活動は天候に左右されやすい。雨続きで日程が遅れた時には、空を変えたくなるだろう。

 たとえ、空を自由に調節できたとしても、結局、人同士で意見が衝突しそうではある。どちらにしても節度が存在して欲しいものだ。


 会話だけに集中すると、ヴァイスの時間が無駄になる。玩具をヴァイスの顔の高さまで運び、強調するよう揺らした後に放り投げる。

 迷いなく駆けていくヴァイスを見送り、ラナンに注意を向ける。


「良い暮らしだ。獣魔も暮らせる広い土地がある。専用の部屋があり、昼には庭を駆け回れる。こんな生活は都市の住民でも中々実現できない。……感謝しているよ」


 決して、自分個人では用意できなかった。

 家を借りた事も一年弱の猶予しかなく、稼ぎが貯金まで回らない。探索者としての貢献も足りなければ、必要な環境が整うはずもない。都市生活において、獣魔を持つべき立場ではないと示されていた。

 壁の外で暮らすにも、自力で食料を得る必要があり、害獣の対処に追われる。戦闘を獣魔に頼っていた時点で、今ほど安定した生活はできなかった。

 ダンジョンでの暮らしを諦めたのも、力不足が原因だった。


「今より開拓が進めば、人の生活は良くなるのか?」

「正直、難しい。……土地を広げたところで生活は変わらない。新しい都市ができても、同じ環境を整えようとする。移住当初はともかく、頭数が増えるだけだろうね」

「難しい話だな」

「僕も詳しくは知らない。実際は良くのなるかもしれない。……余力を集めれば、今より大きな問題にも挑戦できる。生活を改善する機会も増えるかもしれない」


 ラナンとの会話の隙に、ヴァイスが戻ってくる。布束を取ってきた事を褒め、押し付けてくる半身に広く触れる。

 繰り返して覚えさせた行動であり、ヴァイスの楽しむ様子も偽りには見えない。


 落ち着いた頃合いに、ラナンは触れてみたいと頼んできた。

 対象を変えても反応は変わらず、避けられた事に苦笑いを見せていた。



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