267.原理
貴族街の端。王城からも遠く、敷地が小さく区切られる一帯に着く。
塀のおよそ中間に作られる正門は間隔が縮まり、脇道の幅も小さい。敷地の大小で資産が示される以上、誇示する力の無い者という区別もできてしまう。
実際は、簡単に引っ越しできる場所ではなく、敷地の大きさも一要素でしかない。それに貴族街の中で比較すればという話だ。
市街では建物ひとつに数十人が詰まっている。井戸のある庭とも言えない空地を、囲む建物で共有していたりしている。
どの貴族も、市街の住民と比べれば、豊富な生活をしているだろう。
決まった主に仕えるわけでもなく、目的も揃わない人間がひとつ場所を共有する。
複数が円滑に利用している事も褒められるべきではあるが、他人の影響を受けやすいのは事実だ。顔も知らない相手を信用できるか。心持ちが悪い者のせいで、自分の生活を壊されるかもしれない。
庶民が互いの信頼を頼りにするなら、貴族は自身の金で解決している。貴族街が壁で囲われているとしても、敷地内には警備の者を配置する。管理に対して強い意識が見える。
劣るように思える端の地区も、市街へ下りる際の利便性は悪くなく、馬車に隊列を組ませる者たちと道が重ならない点も良いはずだ。
落ち着いた匂いと静寂に包まれている。
歩き続ける内に一点、騒がしい光景を作る敷地を見つける。
門の正面に武装した人間が立つ。自分の隣を歩いている者と同じ、衛兵だ。門から離れた位置には馬車も停められており、周辺を巡回する者も増している気がする。
日常的な光景ではない。
客であれば敷地に迎え入れるべきであり、道に長く留まるような状況にはならない。緊急でもなければ衛兵が警備に加わる事も無い。
近づいてくる存在に気付いて、視線を向けてきた。
こちらは不審者ではないため、急に駆け寄られる事も無い。一定距離まで近づくと、警備の方から一歩進んできた。
簡単な応対だ。
礼を示した衛兵は、すぐ隣の敷地で起きている事を端的に告げる。内情までは話さず、今の状態が数日維持される事を謝罪して、訪問の意図を確認してくる。
自分は光神教の首飾りを見せてしまえば、一言二言で侵入を許される。
服装を見て、印を見て、案内の衛兵に預けていた手紙まで見れてしまえば、疑う気にもならなかったようだ。
案内してくれた者に礼を告げ、新たな衛兵を連れて、厳重な警備を通り抜ける。
こちらの手荷物に向けた視線も、ここへ来るまでの状況を察して、預かるような仕草は見せてこなかった。身分が明らかにされているため、問題を起こした際に責任から逃がれられる心配も無い。
敷地内は表の道以上に馬車が集まっていた。
屋敷付近には人の出入りも見えており、庭に敷かれた複数の布には、運ばれてきたらしい家財が置かれている。
馬車へ詰め込む前に、書面に記録しているのだろう。重たい家具を数人で運んでいたり、書類の束を別の容器に収める姿も見える。
数日後には屋敷の中が空になっているかもしれない。
忙しい状況から距離を置いている小集団に近寄る。
周りの会話を止めた、女性が顔を向けてくる。
「リヴィア」
「あ、ああ。……アケハだよね?」
光神教の方で見た報告書には、正式な名前が書かれていた。
これまでオリヴィアと著者名で呼ぶ不都合が少なかったとはいえ、今は他人の目がある。正しい名前を使うべきだろう。
「邪魔してもいいか?」
「ひと通り目録も確認してもらったから、私の役目は無いはずだよ。慎重に運んでもらえるから、後は近寄らない事が仕事になる。……大丈夫だよね?」
オリヴィアは、連れている二人の監視に確認を取る。
サブレが魔族だと発覚した。貴族の顔は庶民より広く知られており、服装やらで潜伏先も推測できたのだろう。
形式上の親であったオリヴィアが調査を受けている。魔族は既に死んでいるが、暮らしていた場所に、何らかの痕跡は残っているかもしれない。魔族同士が連絡を取っていたりするなら証拠を探す意義もある。
オリヴィアは一時的でも拘束されるべき立場だが、監視が付いた状態で少々の自由が許されているようだ。
仕事の方では重役であったそうなので、資料関係だけは優先して調査を進めてもらうのだろう。仕事が中断される影響は、オリヴィア個人の損失だけではなく、総括する国まで届く。
サブレの件を聞いた後は、抵抗せず国の指示に従った。おかげで即座に拘束するような事態にならなかったのだと思う。
会話の横聞きは必要な行為であり、最低限、邪魔をしないように監視が距離を取ってくれる。
屋敷の方を眺める形で、オリヴィアと並ぶ。
「……大変そうだな」
「それはもう。客として対応しなくて済んで良かった。これだけの数だと破産してしまうかも」
まともな応対をするには部屋数が足りない。廊下に座らせる真似はできず、屋外で宴会の形を取るくらいだろう。その庭園も大勢を迎える広さではない。
目の前で働く光景からは中々想像できない。
「疑惑が晴れれば地位の剝奪は無い、とは言われているよ」
魔族と知らずサブレを同居させていた事の処分だろう。姿を偽られた状態で、仕事を任せるくらいに信頼していた。
通常では区別が付かないのだから誰も責められない。自分以外を殺しでもしないと証明できないのだ。光神教に全力で判別を進めてもらうしかない。
皆が集まる機会といえば、洗礼だろう。
都市に必ず存在する教会では、光神教の独断か国の指導で、秘密裏に魔族の判別が行われているかもしれない。
となると魔族が子供の姿を選ぶのも頷ける。決して、擬態が子供に限られるという話ではないが、魔族側に一応の利点が存在する。
オリヴィアが故意でないとして、知りながら黙していた自分は、相当な罪になる。後ろ暗い事情を考慮されたとしても、脅威を黙認した事実は変わらない。
結局、サブレも人々が語る魔族の典型に収まってしまった。
人類を害する存在と同類なら、扱いも同じにするしかない。許容されても、獣魔にのように不自由に暮らすしかないのだろう。
自分が専属従者を続ければ、同じ存在の待遇がいくらか改善されるのかもしれない。人並みの貢献が認められれば、特異な能力を有効に活かす事も考えてもらえるかもしれない。
「質素すぎて追及される元もない。かろうじて貴族、一代で独立してこれだと、調査するだけ手間だよ。……これで別宅まで複数あるんだから、都市間の連絡だけでも苦労させる」
本来なら拘束される際に、ついでに他の不正も合算してしまうようだ。
オリヴィアは、そういった事柄とは疎遠で無害だと暗に語る。一人で築き上げた過程で、慎重に行動してきたのだろう。
「運び出してもらえるのはいいけど、戻す際は今ほどの人手は借りられない。数日単位で馬車を借りるのも大変だよ」
活動が制限されている今、検査後の対応を考えておくのも悪くない。方針を定めて復帰が早まるなら、使用人たちの混乱も減らせるだろう。
関与が否定されれば、オリヴィアの方は復帰できる。検査にはかなりの期間を要するはずだが、魔物関係の仕事は担い手が少ないのだろうか。
「サブレの持ち物なんかは、きっと返されないだろうね……。いっそ、本宅以外を売り払ってしまうのも有りかな。もう遠出はいいや」
若々しい口調で老いを語るオリヴィアは、先ほどから顔を向けてこない。暗い内容ばかりを話させるのは最低限にした方がいいだろう。
「こんな状況だから、立ったまま摘まめる物を選んできた。かなり行儀が悪いものになるが、一緒に食べ、……るんだな」
濡れた手拭いを差し出すと、すかさず手が伸びてきた。
「親切が身に染みるよ……」
飲み水も魔法で用意できるため、監視に移動を告げる面倒も無い。一つの袋を分け合う状況も、魔物調査で壁外を歩くオリヴィアなら理解もあるだろう。
この手法を専属従者の一人に提案してみると、当然だが不満を言われた。宴会でもなければ、立ったままの食事は見栄えが悪い。せめて椅子が欲しいと。
代案が思い付かない以上、今の状態に決まるしかなかった。
「親身になってくれるのは嬉しいけど、こういうのは他に任せるべきだよ」
「そんな事は無い。むしろ慣れた作業だ。……素人がそんな立場に収まるはずがないだろ」
「ありゃ? まあ、新人としては普通だけど、少し服装が違うからさ」
家事の大半を任せている時点で、使用人を雇っているのと大差無い。後任を育てる意味で補佐を付ける場合もあるらしく、主人の許可があれば認められる。
その延長で、使用人を囲い込むような事も不可能ではないだろう。
オリヴィアの予想も的確だ。立場によって服装は変わる。従者という容姿から外れずとも、各部の装飾にわずかな違いが出てくる。
違いには気付かれている。
縁故の無い人間が加わるのは下働きからでもいい。初めから従者に迎えられる例は少ないだろう。異常な待遇に気付けば、専属かそれ以外といった、細かな差異にも注目されやすくなる。
ただ、聖女の専属従者になった話を、サブレから聞かされていないらしい。
オリヴィアの手にある洗礼印を見る。
農士の印、……だっただろうか。個体差があるとはいえ洗礼印によって傾向が表れる。本人の資質を示すという噂の中では、これといった特徴のない印だ。色の濃さも平凡である。
どうやら、化粧の時間は多く貰えないようだ。
「リヴィア、疲れていないか?」
「んん。まあ、仕方が無い。閑職に回されないだけ先は明るいし、忙しいのも今だけだ」
オリヴィアが最後のお菓子を頬張る。
魔法の水も順当に受け入れ、立ち食いにも粗雑でない動きを見せる。使った手拭いも、折り込まれた状態で返してきた。
「それはそれとして、……未婚の女性に対して、男性の監視を送ってきた事だけは苦言を伝えたよ」
「ああ、それはそうだな」
解消できる不満を溜め込まない。状況に絶望せず次を考えられる、オリヴィアの見通しは悪くないのだろう。
来訪も長引くと邪魔になる。軽食後の会話は少々に留めて、オリヴィアの屋敷を去る。
昼空の下、視線を広く動かす。貴族街の門まで案内する衛兵から怪しまれない程度に、存在しない誰かの視線を探してしまう。
脅威が目前に現れてくれるなら、確信を持って動けるだろう、と。
不安だけを積み重ねる自分が、妄執に囚われていないと言えるだろうか。
他者から認められない異常なら、身の底に留めておけばいい。たった二人のために、社会に変動を加える意義は無い。
さらなる安全を求めているだけと思えば、いかにも贅沢な悩みだ。
晴れ続きを喜ぶ衛兵も、酒代には悩む。都合よく雨になる事は少ないようだ。
貴族街を出た後は、寄り道もせず教会に向かった。




