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魔法迷宮で暮らす方法  作者: 朝日あつ
9.回想編:236-267話
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266.投影



 日頃から共同浴場を使っていても、今ほど長湯はしない。会話が続けられるのは、汗を気にしないで済む温度だからだろう。


 ニーシアは浴槽の対面に座る。

 水面から時折出す腕には傷跡が見えている。自分と暮らしていた頃、人質として誘拐されかけた際の切り傷だ。


 対処のためとはいえ、武装をして街を出歩くのは好まれる行為ではない。狙われる機会を作った時点で負けだ。顔を知られていない地方に逃げるべきだった。

 襲撃に遭う者も、おそらく自分だけではない。

 街の中でも様々な理由が考えられ、中には知らぬ間に押し付けられる例もあっただろう。


 知っていれば対処できた。対処するために知識を欲しがる。知ったところで、取り返しがつかない状態に気付くだけかもしれない。

 どうあろうと、選択する余裕が無い場合には諦めてしまうのだ。


「この後は、牢屋に戻されるのか」

「そうなりますね」

「向こうの生活で、何か困っている事はないか?」

「牢屋だと物が少ないので、たぶんですけど、暇潰しに苦労しそうです。……幸い文字が書けますから、写本くらいは許されるかもしれません」


 ニーシアは水面で指先を遊ばせている。

 生じる波は浴槽のふちには届かない。指先の細かな動きよりも、姿勢を直す緩慢な動きの方が水を伝わる。


「どうにか、面会を頼んでみるよ」

「いいえ、止めておきましょう。ここで働いているなら、なおさら、接触は避けるべきです」


 聞き取りは光神教だけが行うわけではない。拘束時間は長く、日数もそれなりに経過する。

 聖者が王都を離れる日も遠くないため、次に会う機会は無いかもしれない。


「……今回だけは、許してださいね?」

「わかった」


 ニーシアが全身で強調した冗談に、素直に応じる。

 当たり前の返事に満足したニーシアは、浴槽のふちに手を伸ばす。


「少し……、窮屈ですね」


 本来は聖女が一人で使う浴室だ。二人で利用できただけ空間に余裕が多いと言える。浴槽の中にしても、肌の接触を避けていれば相応にせまく感じてしまう。


「他に誰もいない。気楽に姿勢を崩しても構わないぞ」


 粗雑に腕を広げるくらいでなければ空間を使い余す。上品なのか遠慮なのか、小さく縮こまっていれば窮屈にもなるだろう。


「それなら、胸を貸してもらえませんか?」


 身を起こしたニーシアが距離を詰めてくる。眺めるだけのこちらに笑顔を見せると、背中を向けて腰を下ろしてきた。


「いいです……よね?」


 体をねじらせたニーシアと目が合う。

 頷きを返すと、慎重に背中を預けてきた。


 座る位置が少々遠いためなのか、ニーシアの背中は大きく傾く。浴槽内で滑らないよう、ニーシアの腹へと腕を回す。

 突然な接触に一瞬揺れたようだが、次には腕を重ねてくる。体を引き寄せた後には密着も増えて、残った体重も預けてきた。


「温かくて、落ち着きますね」

「そうだな」


 何度か体を揺らすと、自身の収まりを見つけたらしい。抱き寄せる形になった後には、格段に動きが減った。今では体の緊張も解かれて、見えない湯の中で、こちらの腕を指で遊んできている。

 温度の低いお湯は、肌の温かみを隠さない。


「……ニーシア、後悔しているか?」

「アケハさん?」

「おそらく、助からない。たとえ殺されないとしても、解放される事は無いぞ。監視を逃れられず、許された場所しか歩けず、何もできないまま後は死ぬだけだ」

「急に何? ……どうして、酷い事を言うの」


 ニーシアが動いたおかげで、自分の進める道は狭められた。


「魔族と共謀したんだ。分かっていたはずだ」


 期待させた。


「これまで魔族も殺されてきた。ダンジョンなんて、いくらでも壊されている。必ず……どこかで、負けると分かっていたはずだ」


 大量の魔物を操り、転移まで利用したのだ。

 自分よりダンジョンの扱いに優れていたにも関わらず、聖者に負けた。


「次なんて無い。もう満足でいいのか?」


 ありもしない期待を失った不快を押し付ける。責めるべきは自分自身だ。

 知らないまま無為に過ごしても後悔していたはず。ニーシアはこちらの失望と無関係であり、むしろ参考にすべき情報を与えてくれた者だろう。

 それでも、目の前の同類に執着してしまう。


「一緒に暮らしたいという言葉は嘘だったのか……」


 自分との暮らしを再開する話を、最初から不可能だと知っていたのだ。


 ニーシアが何を目的に活動していたのかは知らない。結果的に聖者に負けて、捕らわれの身となった。


 同類が半端な一生で死ぬ。

 自分も同じ道をたどるかもしれない。


 ダンジョンを使えば増やせる存在でしかない。人間という一種でも、それぞれに違った人生を持ち、異なる結果を得る。ニーシアが失敗したからといって自分も同じとは限らないだろう。

 それでも、いま唯一の同類が、未練のまま死ぬ姿を見たくない。


 暴れるニーシアは、起き上がる事もできていない。手足を動かしたところで拘束は外れず、水飛沫だけが辺りに散る。


「生きたいよ……。私だって、このまま死にたくない」

「ニーシア」


 疲労で弱まっていく体を強く抱きしめる。

 名前を呟くと、ニーシアは震えた後に一切の抵抗を止めた。


「必ず、助ける。信じてくれ」


 ダンジョンを使えば増やせる存在だとしても、実際は貴重だ。自分の存在を守るために、安易に増やせるものではない。

 数少ない選択が、悪い結果になって欲しくない。


 根拠の無い自分の言葉など、信じてもらえない。

 前例など無く、自分で証明するしかないのだ。


「諦めないでくれ、生きてくれ」


 根拠が無いのは、自分の今後も同じだ。


 拘束を解くと、ニーシアが距離を取る。

 振り向いた体を今度は正面から受け止め、重なった体に合わせるよう自分の呼吸を深めた。


 ニーシアと別れた後は、仕事も短い時間で終わる。

 寝支度を済ませて戻った自室にはレウリファがいた。


 専属従者で働いているため、ニーシアが運ばれてきた事には気付いている。昼に見かけなかった自分が面会していた事も予想しただろう。

 ニーシアに会ったことを伝えた後は、毛繕いを手伝い、自身の寝台に戻った。



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