262.逸脱者
物資の保護のために後退した面々も、最低限の戦闘能力は備えている。戦闘音が遠い通路に待機する中、緊迫した状況を理解して周囲の警戒を続けている。
負傷者が運ばれてくると、数人が入れ替わりに戦場へ向かう。
担がれてきた者に限らず、退却してきた者は皆、血濡れた状態にある。
魔族が撒き散らしていた血肉で汚れる。天井まで染め尽くされた室内は、長く留まるだけでも衣服に染み着きそうな濃度があった。転倒などしようものなら、半身は汚れに沈むだろう。
無傷の兵士により武装を外され、汚れを洗い落とされる。ようやく見える姿には、潰れている足が目立つ。
意識確認と心配が混ざった声が通路を伝わる。
見方によっては、怪我を負って帰ってくるだけのように思える。奥で行われている戦闘を知らなければ、無益な行為としか思えない。
兵士が怪我を負うだけの何かがあるとは考えない。
すぐ先にいる魔族、人類の存続に関わる脅威かもしれない。
敵が遠距離攻撃を有しているため、狙いの分散や妨害が有効になる。聖者聖女が戦う中、一撃でも狙いを外させれば支援になるのかもしれない。
怪我をする覚悟の貢献だ。
負傷した後の生活は、一方的に苦しくなるだけかもしれない。そのために療養費の支援がある。人々が安心して生活するためにも、貢献は優遇される。
軍も光神教も信頼できる。確かな功績があり、今の行動にも正当性が示されている。
だからこそ、自分は行動する覚悟を持てない。
愚かな自分の秘密は、いずれ暴かれるのだ。
異質を知られた時、社会に認められない時には、徹底的に排除される。
聖者聖女には勝てない。社会全体が敵になれば、抹殺されるのは必然だ。
脅威の存続を認めないというなら、社会からの排除だけでは済まされない。野放しなどせず殺されてしまう。
まったく知らない内に追い詰められていれば、何もわからず死ねる。予想できるからこそ、積極的に動けない。
意図せずとも、追い詰められている。
誰が、どの組織が。そんな追及もできないまま、障害に悩まされている。
初めから到達できない高みを長く見せつけられている。彼らを同じ人間とは思わない。
ダンジョンを操る事は異常だ。判明すれば扱いも変わる。今の生活も失うかもしれない。民衆とは異なる生活しか得られないかもしれない。
それでも、自分が適する環境に収まるしかない。初めから役割が決められいるわけではなく、社会に認められる範囲に収まればいい。認められれば良い。
誰でもないなら、誰でもない自分の生活を勝ち取るしかないのだ。
きっと、ダンジョンを操る能力を得たのが自分以外なら、もっと快適に暮らせているのだろう。
「アプリリス。俺は今の暮らしも悪くないよ」
「色々言いたい事はありますが、……言葉だけは受け取っておきます」
不穏がないわけではない。生死の危険は存在しており、魔物に限った話でもない。それでも、排除されない確信が得られるなら今の暮らしは悪くない。
専属従者という立場も解かれても構わない。魔法が使えて、魔力量も優れている。力も持つ者としての余裕は残る。
どこまでも力だ。
全てを覆している脅威が取り払われた後は、個人はともかく、社会全体への信頼と貢献は難しくない。
ダンジョンを操るだけなら、今よりずっと荒んだ生活を送っていただろう。平凡として扱われる存在であれば、平凡のまま事件に巻き込まれたり、平凡に別の不足に悩まされるのだろう。
どこまでも自分でしかない。
周囲を見渡したアプリリスを見つめる中、不意に震動が生じる。呼び声を上げて兵士らちは少数で集まり、物資の近くでも対応に人が動く。
不規則に連続する音は通路全体を包み、誰もが不測の事態に警戒する。
「発生地点は奥じゃないな」
「ええ、もしかすると、地上への道が崩壊したのかもしれません」
魔族の方向とは逆、地上までの道のりに何らかの異常が起きている。
経つごとに響きが大きくなり、音源が近づいていると錯覚する。
ひと際、大きな音を最後に音が止む。反響音の中には、確かな衝突音が聞こえた。
この場所から遠くない位置で、どこかしらが崩れて落下した。
「向かいましょう」
「大丈夫なのか?」
「聖女である以上、働きを示さなければなりません」
ダンジョンを止めた時点で並々ならぬ貢献をしているが、自力で動けるまで回復して働くらしい。
魔族との戦闘は難しい体調だとしても、今の状況では、限られた戦力を遊ばせる余裕が無い。
「俺も加わる」
「危険があれば、私を守ってください」
「わかった」
生きた盾として扱えばいい。身体強化のおかげで他より生存率は高い。致命傷さえ受けなければ、アプリリスの方を優先できるのだ。
少数の兵士を連れ、持ち出した投光器で先を照らす。三層に続く円形広場の手前、自分たちがいる通路の入り際に変化を見つける。
何者か。
人型の存在はこちらの照明に気付き、それでも足元へ攻撃を加えた。
通路の途中、砕けた岩塊が積み上げられた中で、各部に光を帯びた鎧姿がいた。手にある槍を横へ投げ捨てて、こちらに近づく。
「その場で止まりなさい」
接近しつつあった相手が、アプリリスの指示に従う。直立していた状態から、両手で兜を外してみせた。
「探索者ルーカス」
現れた相手をアプリリスが知っていた。
驚きは無い。相手は探索者の中でも知名度が高く、圏外に向かう許可を得た実力者だ。
ただ、自分と出会った経緯が悪い。
ルーカスが所属する辺境都市は、自分が以前暮らしていたダンジョンから近い。王都に居場所を移した際に、討伐組合から捜索命令まで出されていた。
探索者であるルーカスは魔物に詳しく、初対面でも連れていない獣魔の存在を察知したくらいに直感も優れている。
なぜ、この場にいる。
「聖女アプリリス。……そうか」
「魔族の討伐に、加勢してもらえませんか?」
「断る」
ルーカスは一言だけ告げると兜を付けなおし、跳躍して落ちてきた通路へと姿を消した。
突然始まり、突然終わる。
理解不能な状況に、周りの兵士も困惑しているはずだ。
攻撃を受けていた存在へと駆け寄る。
「アンシー!」
「大丈夫だった?」
「まず、自分の心配をしろ」
一方的に攻撃を受けていたようだが、流血は見られない。
だが、腕で隠しきれない服の破損は、並々ならぬ威力を語っている。
「なぜ、あんなところから」
崩れた天井には、別の空間が見える。
自分たちが通ってきた道とは別に、ダンジョンに隠された経路が存在していた。
そこから、アンシーが現れた事は異常だ。
「わからない。円形広場で交戦して、壁にぶち当てられて、落下してきたみたいだ」
「どの広場だ?」
「複数ある? 入って最初の広場のはずだよ」
「それは、……ずいぶんと落ちてきたな」
アンシーの身体強化については指摘しない。投光器が照らす上方には、階段のように層が存在した痕跡が見える。多少は落下の衝撃も分散されたかもしれない。
今でも粉々とした破片が落ちてきている。
壁裏に隠し通路が存在した。ダンジョンにいた何者かが利用していた可能性がある点に注意すべきだろう。
「あ、槍もってきて」
状況からすると場違いな要求にも応じる。アンシーは自身の槍をルーカスに奪われていたらしい。
「体は大丈夫なのか?」
「少しだけ休む。勝手に去るから、このまま寝かせてて」
この場に現れた理由も答えず、交戦の理由も分からないまま、アンシーは寝息を立て始めた。
壁が壊された。
ダンジョンが停止しているからとは思わない。入り口を塞いだところで侵入は防げないと考えるべきだ。ダンジョンを操作できたところで強者にはかなわないと、改めて自覚する。
発見された隠し通路を進むには人手が足りず、照明を固定して警戒するだけに留めた。




