261.回想
盾と結界が飛来物を防ぐ。
硬い音を立てて近辺に落下するのは、尖らせた石粒のような塊だ。空間に張り巡らされた敵の肉腕からの攻撃は、数の優位を体現している。
物資の保護を優先するために、部隊全体の結界は縮小を迫られた。
飛来物は兵士の盾に傷を残す。盾の前面に張られた結界を貫き、衝撃は持ち手に伝わる。獣の質量が込められた爪牙と、目の前で空間全体から次々撃ち出される小塊ひとつが同等の脅威だというのだ。
道具として予備を持つ安心感も、この場では頼りにならない。攻撃に尽きる気配は無く、目減りする盾の耐久を意識するばかりになる。
兵士各自に求められる防御は、明らかに許容負荷を越えている。魔族の遭遇に際して、部隊の先頭移動した聖騎士たちも変わらない。
自分は加われない。
軍の組織的な動作を学んでおらず、兵士が用いる魔法も使えない。敵の魔法を妨害できるとしても、味方の魔法を巻き込むようでは邪魔だ。
専属従者の役割を放棄して、単独で突撃するわけにもいかないだろう。
前方から届く小塊は、フィアリスが受け止める。
飛んできた小塊を宙に留めて盾にする。不可視の壁というより、粘りを持った空間だろうか。飛来した小塊は既にある障害物をわずかに押しのけて、盾の隙間に埋まる。
天井から放たれる攻撃にも対処できている。
防戦一方である今、撤退を考えたのは自分だけではなかった。
指揮官が後退を命じる。
敵の攻撃範囲が広いために、物資類を守るために労力を割いている。敵に包囲されている空間から非戦闘員を逃がせば、攻撃にも注力できるだろう。
防御を維持したまま、部隊が敵から遠ざかる。
真横にある肉腕が動き出したものの、元に近い部分から切り落とされて、くねらせた体を地面に横たえる。直後に、重量から来る振動と床の飛沫が生じた。
フィアリスが自身の杖の先から伸ばしていた鞭を消す。赤い一閃を見せた魔法は、敵の体を切り裂けるらしい。
両断を諦めたラナンとの違いは、攻撃した部位が体の末端である事だろう。全身に魔法防御を行き渡らせていない。体の制御が追いつかないのは魔族も同じらしい。
本体から切り離された部分は攻撃も止む。間近の脅威が排除された次には、天井からの落下に警戒しながら後退を続けた。
距離は遠ざかる。部隊を分けて、ラナンの支援に残す。攻撃方向が絞られた事で防御の負担は減り、攻撃範囲を逃れた時点で深呼吸をする余裕が生まれた。
サブレと遭遇した空間と比べれば、通路とも言うべき場所で後退を終える。
一帯は足元の汚れを無視すれば、わずかな汚れしかない。
そのわずかな生活の痕跡も、どちらかといえば使い捨てに近く、分解者の働きは悪い。出来たばかりの空間だと示している。
遠くは暗く、部隊の用いる照明だけが際立つ。
本来の明かりが無い。アプリリスが魔法を使って以降、ダンジョンは停止したままの状態が続いている。
いずれ復旧されると説明されたが、正確な期限は分からない。制圧部隊の一部が転移で消失した際、時間を惜しんで撤退を断ったからには数日維持できるものではないはずだ。
「ダンジョンコアは、戦っている奥にあるのか?」
「おそらく……。これまで分岐も無く、進んだ距離を考えても最深部は遠くない。あからさまに進路を妨害してきた事からも、何らかの要所ではあるはずです」
突然の言葉を聞き逃さず、視線を向けたアプリリスは答えた。
隠し通路は疑わないようだ。自分の場合でも作る機会は無かった。
だが、入り口を複数用意しておくのは、利便性を含めて自然な発想だろう。誰でもダンジョンの広い通路を往復する面倒は避けたい。
迷宮酔いの範囲から出ない。外出が不要というなら入り口も最低限になるかもしれないが、そうでなければ設置して損は無い。単なる経路として扱うなら、不要な時には塞いでおけば管理も楽になるはずだ。
「こんな場所で悪いが、いくつか質問していいか?」
「はい。構いませんよ」
結局、アプリリスは戦闘に加わらなかった。
戦場に留まったフィアリスと異なり、支援の人員と共に少数の聖騎士を譲り受けて、後退した。補助を借りずに歩けている今でも、大規模な魔法を使った事による影響は残っているらしい。見た目には分からない。
「人が転移するなんて話は聞かない。知らなかっただけで前例は多いのか?」
探索者として活動した頃には経験していない。まず、小規模なダンジョンや浅い場所では起こらない現象だろう。
仮に、ダンジョンを操作する者がいるなら、活用しないはずがない。
攻めてきた相手を転移できるなら防衛には困らない。確殺の空間を作りあげて、閉じ込めればいい。それだけで、侵入者を皆殺しにするダンジョンが出来上がる。
転移も条件があるようだが、人間側の対策にも限界はある。魔法に対する防御は魔力あきりな部分も多く、何度も試みれば成功するものだ。魔物を突入させたり、道で分断させるなど工夫は思い付く。
ただし、複数のダンジョンが管理下で存在できている時点で、他の操作者の存在は期待できない。
「いえ、極めて少数ですが、過去に起きています。意図的な場合を除くとしても、一応。分野で変動期と呼ばれている、ダンジョンが成長する時期には、近くの物が消失した例もあるそうです」
ダンジョンが少しずつ成長していく事に関しては既知の情報だ。
仮に、一瞬で広範囲がダンジョンに変化してしまうなら、人間は暮らす地域を間違えている。
「過去、組合で管理されていたダンジョンを占拠された事件では、半端に破壊を試みた襲撃者によって、今回と似た現象が引き起こされました。……それ以前は、大昔に書かれた証言の記録だけで、人が転移される事に関して、確定的な情報はありませんでした」
とにかく、人間が転移される事は一部で知られている。
公表されないのは、意図的に引き起こされる可能性を下げるためだろう。犠牲者の多くは魔物への対抗手段である兵士や探索者になる。わざわざ、内在的な脅威を挑発する理由も無い。
魔族による犯行は疑わないのだろうか。
大勢の人間を一度に処分できる。管理下のダンジョンにある防衛施設も、魔族であれば脅威になりえない。
ダンジョンを意図的に刺激した者がいると語り、実際に魔族がいた。魔族の存在を疑って突入したのでなければ、アプリリスの予想に不自然な点が多い。
まず、暴走させようにも最深部のダンジョンコアへ攻撃する必要がある。道中の魔物を素通りするのは困難であり、大量の魔物を実力で突破できる探索者は数少ない。人間個人による犯行は大きく否定できる。
魔法に長けた者が隠れ潜んでいたり、地上に協力者がいて連絡手段を確保しているなどしないと、制圧部隊への待ち伏せ攻撃は難しい。
となると、貴族が実力者を雇うなどしている可能性を優先してしまう。魔族がいた事に対しては、驚きがあってもいいはずだ。
あるいは、魔物が発生するように、魔族もダンジョンから生み出されるのだろうか。長年、成長しなかったのは強力な魔物を生み出すためと考える事もできる。
どれも推測でしかない。
実はダンジョンを操る存在を知っていて、情報を隠しているなんて事もありえる。転移の件も、実際に起こるまで教えられなかったのだ。
現状とは無関係と思われて、危険存在の情報が共有されない。こちらがダンジョンを操作できると知られており、専属従者という監視できる環境に移したとも考えられなくない。
いいや、全てに原因はあった。
自分がいなくとも、ダンジョンの破壊は起きた。専属従者に加えられたのも、騒動の中で注目された状況で保護するため、政略結婚を防ぐために私的利用した分の援助でもある。
あるいは魔力量を見込まれて、都合の良い手駒を求めていた可能性もある。
どうにも、アプリリスに対しては信用しきれない。感謝すべき点も多いが。最初の方の印象が悪すぎる。
「アケハさん?」
「あ、ああ。すまない、……少し、考え事をしていた」
親しく見えない表情も、以前を思い出す原因でもある。
少ない変化は見慣れた後でも、すぐには気付けない。
「転移は、通常ありえない事態と考えていいんだな」
「……はい。成長が短期間で連続する事も」
また、知らない情報だ。
推測できる範囲であるだけ、納得はできる。
情報を集めてこなかった自分の過失ではあるが、優れた人間に対して疑う目を向けてしまう。
ただ、下手に動いて怪しまれる方が困る。いくら騒動に巻き込まれたからといって、閲覧記録を取られる場所でダンジョンを事細かに調べるのは避けたい。
臆する理由を自覚している分、なお悪い。
アプリリスへの疑心も自分個人のものだ。何にでも当てはめてしまう悪い習慣は、邪魔になりかねない。
侵入した当初は転移が起こるなど予想されていなかった。突然の状況で判断を迫られて、魔族と言う、安直な答えを見出したとしても追及はできない。
展開が早すぎて、考えがまとまっていないだけだ。
自分は賢い部類ではない。事実を追うべきであり、憶測のまま歩いても悪い結果にしかならない。
サブレが魔族として現れたというなら、義親であるオリヴィアの生死も怪しいところだ。
庶民から外れた服装や顔を見せた以上、いずれ知られてしまう。他に魔族がいないとは限らず、サブレが社会に潜んでいた間の動向を探るのは必然だろう。
「人間の姿に化ける……か。俺が魔族なんて可能性はあるのか」
「本気でそう思っているなら、調べてもらいましょうか?」
「いや、……冗談だ」
冗談にしても、アプリリスに話すには危険すぎる。ダンジョンを操れる事と魔族は無関係だと考えていたはず。いくら疲れが溜まる状況でも、油断どころではない失態だ。
嫌いになる。




