259.直下
周囲の明かりが落ちた。
見える変化は、それだけだ。全体が暗くなった中でも投光器の明かりは続いている。ダンジョン本来の明かりが消えたらしい。
アプリリスの正面、宙に浮かんでいた本が音を立てて閉じる。
両手で掴み取ったアプリリスは、自らの腰近くにある固定具に本を戻した。
「停止は最深部まで到達。推定深度も事前計測と同じ。複雑な構造はしていないようです。一部、構造壁が脆くなっているので、崩落には注意してください」
誰宛とも示さず情報を告げる。
リーフがアプリリスの元へ向かった後には、こちらに顔が向けられる。
呼んでいるような様子だったので、アプリリスに近寄る。
「何が起きたんだ?」
「おそらく、何者かがダンジョンコアに攻撃を加えたのでしょう」
何者かという表現をする。話の内容はアプリリスの行動より先に起きた異変の事だ。
「攻撃を加えた? 壊したわけじゃないのか」
「半端に傷つければ、転移以外にも、部分的な崩壊や魔物の出現を誘発します」
ダンジョン内で魔物を転移できるように、人間の転移も可能らしい。
身に危険を感じれば、自分の力を乱暴に振りまく場合もある。ダンジョンも人間と変わらないようだ。
「本来なら、一撃で壊さないといけないのか」
静かに頷かれる。
ダンジョンコアを半端に傷つければ、今の状況を作り出せる。直前に起こった混乱から状況の理解を強要させられた。
部隊にいた一部の兵士が姿を消したのだ。見回す程度で気付けない変化でも、確実に複数人が被害を受けている。照明が落ちた後でも戻らない、先に向かわせたはずの調査隊の安否も期待できない。
「あくまで一時的に停止させただけです。時間を置けば、機能は復旧されてしまいます」
一時的に機能を止める。
相手が聖女とはいえ、魔法ひとつでダンジョンが使えなくなる。
自分がダンジョンを管理した場合、この規模まで成長させるには数十年は要るだろう。それさえ安全に維持できればの話だ。途中で発見されて制圧されるのが目に見えている。
効果範囲に限界はあるみたいだが、はたして追加数年で到達できる規模なのだろうか。
まず、勝てない。
小物ばかりのダンジョンでは、聖者一行と敵対するのは無謀というほかないだろう。
ダンジョンを操作できるだけでは、大した脅威にならないのだ。誰でも今の事態を引き起こせるなら、自分の価値など知れている。ダンジョンに対する安全性も最低まで下がった。
討伐組合が最深部を厳重に管理するのも妥当だ。誤って傷つければ、内部にいる人間が突如として消える。異常を察知できた軍の部隊でも被害を出したのだ。
いくら探索者でも、魔物を求めて入るには危険すぎる。意図的に起こせる時点で始末に追えない。
聖女も聖女だが、ダンジョンもダンジョンだ。
「アケハ」
「何だ?」
リーフが隣で密着しているアプリリスを顔で示す。
「私さ、荷物役だから。ほら」
支えられていたアプリリスの体を譲り受ける。
「ごめんなさい」
「いや、構わない」
リーフの無断参加という言い訳を認めるなら、少なくとも、この場にいる専属従者は自分だけだ。必要であれば補助を行うべきだろう。
腰に片腕を回して、前にも腕を差し出す。座って休憩する気は無いようで、差し出してくる両手を受け取った後には、アプリリスが体重を預けてきた。
「体の異常は、一時的なものか?」
「はい。……ですが、戦闘は難しいかもしれません」
移動に支えを必要とする時点で戦闘は不可能に近い。これまで魔法主体で戦ってきたアプリリスの発言であるため、魔法という手段も使えない状態かもしれない。
使用者が戦闘不能になる魔法でも、少ない負担に思える。
部隊の全滅もありえる状況だったのだ。
「少し、辺りの魔力を押し流すが、構わないか?」
肌で感じる魔法の残りは、決して心地良いものではない。同意を得て魔力を放出すると、神威とやらの威圧感は薄れた。
指揮官の働きもあって、部隊の混乱は収まる。
隊列を整えて魔物への警戒を残しながら、各自で点検を行う。
被害報告をまとめた後には、方針の再検討が行われた。
「確実に主犯がいます。取り逃がさないとすれば、今しかありません」
新しく知った情報だ。
転移対策を備えていた軍では既知にようだが、これまで専属従者として働いた中では聞いていない。リーフがそれらしき話を告げてきた際も、断定的ではなかった。
最深部にあるダンジョンコアを刺激した存在がいて、軍の侵攻を待っていた可能性がある。意図的に異常を起こせる話が事実なら、嘘とも言えない。
急な成長と魔物の大量放出。このダンジョンが最初に起こした異変も、同じ存在が関わっているかもしれない。周辺のダンジョンが複数破壊された事が原因とされていたが、ここへ来て考え直す必要も出てきた。
中で過ごすには危険すぎる場所だが、市民が犯人という仮定も成り立つ。ダンジョンコアを傷つける件も、道具が手に入りさえすれば不可能ではないのだ。
起きた事態を重く見るなら、撤退も悪い判断ではない。
ただし、今回が敵の意図的な作戦なら、次の侵攻でもアプリリスの魔法が必要になる。相手に対策の時間を与えてしまうだけでなく、逃亡の危険もある。
入り口から一本道が続いていた以上、内部に潜む敵もここを通るしかない。別に脱出路がなければ、ここまま進んで最深部にいる何者かと遭遇できる。
物資も人員も、大半は残っている。
制圧作戦は継続となり、侵攻が再開された。
次の一層を下りると、横方向に道が続いていた。
通路の幅は広がり、陣形を崩す手間もなくなる。連続する四角い空間を通り過ぎた。
調査に向かった者から、不審な存在が伝えられる。相手に即時交戦の気配は見えず、調査班には距離をおいた監視を本隊合流まで継続させる。
聖者の部隊は陣形の前方に移された。
地上に魔物を放出したダンジョン。
異変が起きた後でも留まっている存在。
明らかに怪しい存在への疑問は、小さな拍手と共に迎えられた。
「ようこそ、私のダンジョンへ」
聞き覚えのある声だ。
貴族然とした服装の少女だと、各自に伝えられている。
現実的な話をするなら、人間だと疑う者はいない。
「聖者様、ならびに軍の皆々様。……ご用意しました催し物は、お楽しみいただけましたか?」
警戒から無音が保たれる周囲に、一人の声だけが届く。
部隊の誰もが、相手を魔族と捉えているはずだ。
盾持ちの兵士が中央を開けると、聖騎士は秩序立った並びを見せて、聖者の通り道を作る。その隙間から敵の姿をうかがい見る事ができた。
「何が目的だ?」
「虐殺。魔物を放出して、まず、この都市を壊滅させたいところですね」
ラナンは既に剣を構えている。
気楽にたたずむサブレは、距離をあけた対面の暗がりにいる。
照明を空間全体に薄めた結果だ。
極端な明暗より全体を把握できる。
「今度は逃げませんから、安心してください」
「君は……そうなのか」
一度は命を助けてくれた相手だ。
その際にサブレ自身で魔族だと教えてくれた。
専属従者となる際にサブレの存在を告げていれば、とは思わない。
恩のある相手を切り捨てる選択は無く、そうでなくても発言から関係を探られる。ダンジョンで暮らしていた件を知れば、光神教は即刻敵対するだろう。
この状況が自分の責任だけとは考えない。魔族と人間の対立は以前から存在しており、衝突は必然的なものだ。
半端な自分だから関わる結果になっただけ、決断した結果は初めから想定できていた。
どうあろうと後悔するのだ。本心から不満を解消できるとは思っていない。結局は自己否定だ。それ以上の意味は存在しない。
無関係であれば安心できた、だろう。悩みですらない。
参考にする相手がいないのに正しい答えを求める。まだ、決断を迫られていた時の方が冷静だった。
一度助けた命も、戦闘に巻き込む状況では諦めてしまえる。ラナンとの戦闘で、サブレが器用に避けてくれるなど期待しない。
今は、専属従者と魔族という関係だけでいい。
サブレの遠い視線は、部隊全体を捉えている。




