252.修正(第二章)
暖かい。
汗の心配も無い、心地よい熱が全身を包む。
「アケハ」
届いた声は聞き慣れたものではなく、視界に映した部屋には見覚えがある。
「アプリリス……」
「はい、私です。まだ身を起こさないで」
問う声に返事が戻ってくる。
自分は聖女の自室に運ばれたらしい。おそらく、アプリリス自身の部屋だ。第三聖女が不在で部屋数に余りが出るとしても、専属従者に貸すはずがない。
変わり映えしない、調度品の並び。
寝台側からの視点には、悪い記憶しかない。
アプリリスは寝台脇の椅子にいる。腰を下ろした姿勢は良く、手は膝に置かれている。こちらへ視線を向けてくるのみで、動きだす気配は無い。
次に顔を向けた対面には、同じく椅子に留まり、寝台へとうつ伏せに眠るレウリファの姿があった。
「彼女を起こしてしまいますから。……寝る時間も割いて看病を続けていました。もう少しだけ、動かないであげてください」
「わかった」
毛布に和らげられて、重みが伝わってくる。幻肢痛ではない確信を得るまで、言葉にするのを避ける。
「今は何日なんだ」
「あれから三日後です」
窓の明かりからすると、朝だろう。
長く眠っていた。
「教会の治療院は、欠損も回復できるのか……」
「いえ、私が治しました」
「治せるのか……。そうか」
浅い切り傷どころか、欠損した腕まで取り戻す。自然治癒が不可能な傷を、数日で回復できるらしい。
驚くべき話だが、相手が相手だ。
「首輪はこちらで破壊させてもらいました。……緊急とはいえ、承諾を得ずの措置。権利に抵触する行為を、謝罪させてください」
「いや、助かった。どのみち期限の問題で壊すつもりだった。むしろ、手を煩わせてしまって申し訳ない」
聞かれるまでもなく、魔道具よりレウリファの命を優先した。首輪の再利用が可能だとしても、レウリファの方を失っては無意味だろう。
他人の奴隷を勝手に解放する。形式を重んじるなら誤った行為であり、奴隷の主従関係に干渉したのは事実ではある。
ただ、アプリリスも、妙なところで硬い。
相手の意思を尊重しない場面など、いくらでも経験しているだろうに。
規則に優先順位があるのは事実だが、知らない者からすれば一方的に侵害されている気分にもなる。気分と規則は別物だが、全てが順調に進む事など限られたものだ。
「こんな事に時間を使わせて悪かった。ダンジョンの異変を解決するために訪れたはずなのに」
「まだ日程は先です。実行日は決定しても、準備の期間が残されていますから」
「すまない」
こちらが休暇を過ごす間にも、アプリリスは使命に従って活動していた。仕事外の事情に限りある日数を浪費させたのは、聖女の従者としてあるまじき行為だ。
「回復したとはいえ、本調子とはなりません。今は休養に務めてください」
「わかった」
こちらの自責を考慮しろなど考えるのは、的外れなのだろう。負傷をして満足に動けない状況を作ったのは自分だ。通常通りに働かせろなど冗談でも言えない。
会話の声に起こされたのか、レウリファが小さく体を揺らして音を立てる。
名前を呼びかけると、伏した体が起き上がり、目が合った。
「ぁ、ああ」
見開いた目が細まる。
顔を歪めて、悲しい表情に涙を浮かべる。
レウリファの両手が、毛布の下にあるこちらの腕へ触れ、腕の形を確かめるように広く動かす。途中に涙の跡を作る。
「わたし……、わたし。ごめんなさい、ごめんなさい」
謝罪の言葉を不器用に告げる間に、こちらの名前を何度も漏らす。自身の呼吸にも劣る曇り声が室内を伝わる。
一瞬も離さないという意思をレウリファの両腕が示してくる。
随分と気持ちを溜め込んでいたらしい。負傷直後から今になるまで、時間はあっても状況が許さなかったのだろう。
ダンジョン内で不必要に騒ぐのは危険であり、帰還するまでに耐える事にも慣れてしまった。自宅に戻っても世話に手一杯で、思考を整える余裕など無かったかもしれない。
腕の欠損は一生取り戻せないほどの傷だ。レウリファがいくら謝ろうと解消されず、こうして治療されなければ、レウリファが不安を吐き出す機会も現れなかったのではないだろうか。
腕が奪われた事は、どこまでも自分の失敗でしかない。この件でレウリファを追及できるはずがない。
それでも、目の前で見せられる情動は、勝手な想妄として放置できないほど過激なものだ。
「レウリファ……。大丈夫だ」
毛布から出した腕を、遠慮がちに触れてくる。レウリファの肩を掴み、こちらの胸元まで引き寄せる。
顔が隠れたレウリファの背中を抱きしめ、うなり声が止むのを待つ。呼吸が落ち着く頃には、毛布の擦れだけが音を立てた。
怪我の理由も聞かないまま、アプリリスは静かに去った。
依頼とはいえ侵入禁止のダンジョンに立ち入った。聞かれて素直に答えられる内容ではないため、問い詰められなかった事は都合が良い。
元々、負傷について言及すべきだと思っても、自分の立場では何も言えない。
顔を持ち上げたレウリファの、涙で腫れた目元を見つける。
軽く細い体だ。改めて抱き寄せると、無理をさせている事に気付かされる。自分ほど魔法強化も無く、獣人自体も魔物としての脅威は高くない。探索者を続ける間には、身の危険を感じた経験も少なくなかったはずだ。
奴隷という関係である以上、危険な作業も強要できてしまう。技量でいくらか改善できるとしても、探索者の活動は危険と隣り合わせだ。
ひとつ違えれば、レウリファが死んでいたかもしれない。混乱の内に自分も殺されるのであればともかく、自分だけが生き残る状況には耐えられないのではないだろうか。
稼ぎなんて建前はいらない。探索者という活動には個人的な興味を確実に含めていた。魔物を知りたい、ダンジョンを知りたい。そんな欲望とレウリファを、正しく比較できているとは思えないのだ。
自分が知りたい情報の価値も、レウリファの価値も知り尽くしたわけではない。全ては予想でしかない。転機が訪れて優先順位が変わる場合もあるだろう。自分の行動に関らず失ってしまうかもしれない。
だからこそ、せめて、自分が考える中だけでもレウリファを守りたい。
服にシワが付くのも構わず、体を寄せてくる。力加減で殺せてしまうレウリファからの信頼を感じていたい。
今を演じられる環境を守るべきだろう。
自分が死ぬ場合を想定して、奴隷の所有権を他人に預けるなんて事もできないのだ。レウリファを尊重したいというなら、身勝手に死ぬような事態も避けるべきなのだろう。
「腕は治ったが、もう少しの間、補助を続けてくれないか?」
要望を受け入れる言葉と笑みが、小さく返ってくる。
どうあっても、自分は弱い。
大きな勢いの中では、この決意の感情も裏切るようになるのだろう。
どうあっても、外は計り知れない。
ただ、自分の選ぶ先に存在しているのが、平穏でありたい。
選んだ以上、選択を後悔しないだけの価値を探したいのだ。
毛布の内にむかえ入れて、想像ではないありのままを抱きしめる。
自分の感覚では正しい姿を写し取れないだろう。専属従者のありふれた服に隠れた姿も精確に感じ取れるはずもない。それでも、確かに存在する今が続く事を、信じていたい。
レウリファは身じろぎをする。布団の中に風を通した後も、再び預けてくる。




