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魔法迷宮で暮らす方法  作者: 朝日あつ
9.回想編:236-267話
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249.生存証明



 どうにか頭を支えにして身を起こして、動きの悪い自分の体を見回す。


「は?」


 膝立ちに見下ろした自分の服に、点々と赤い染みが付着している。腹周りの染みを数えていく内に、似たような汚れが地面にも見つかり、足元にも大きな汚れを見る。草原の緑に際立つ赤が、自分の体まで続いている。


 新しく落ちた一滴をたどる。


 半端に破れた袖。

 持ち上げた右腕には、肘も見当たらない。


 途端に発した怯え声を飲み込み、荒げた息を抑える。

 残った腕を握り潰して、どうにか流血を防ぐ。


 右腕から魔力が失われていく。硬化魔法のために送り込んだ魔力が、抵抗もなく消える。押し留めようとしても確実に漏れ続けている。

 硬化魔法では足りない。

 あったはずだ。新しく強化の魔法を学んでいた。今使わなければ、延々と魔力が失われていく。


「アケハ!」

「……どうして戻って来た」

「君が飛ばされてきたんだ。早く歩いて!」

「飛ばされた?」


 アンシーは、こちらの体を掴んで立ち上がらせると、背を押して移動を促してくる。

 今は少しでも魔力の漏出を抑えるべきなのだ。魔法に集中したい。騒がれると脈拍も聞こえなくなる。


 諦めて見回すと、はるか遠くに敵の姿を見つける。動いている。こちらへの注視を欠き、自身の周囲へ顔を向けている。すぐそばで動く小さな魔物へ攻撃をしかけている。


「彼らの献身を無駄にしないで」

「……そう、だよな」


 遠く離れてしまえば、指示も届かない。数の有利が働く状況ではなく、攻撃が通用しない敵を相手にして、雨衣狼たちが生き残る可能性は少ない。

 諦めるしかないのだろう。


 アンシーに支えられながら、大樹の森へと走る。途中で意識を取り戻したレウリファに追いつき、会話の余裕もないまま逃走を続ける。

 最後に振り返った時も、敵との距離は残されていた。


 巨樹が立ち並ぶ。

 敵の巨体では入り込めない場所に逃げ切る。


「アケハ。傷口を見るから、ここに寝転んで」


 地面に布が敷かれる。

 屈んだアンシーは、服に血の汚れを付着させている。


 背中に手をそえられ倒れ込んだ後、長く圧迫していた腕を見せる。


「そうか、……使ったんだね」

「ああ」


 すでに流血は収まりつつある。

 腕を切断しながら今も活動できているのは、魔法による効果が大きい。本来なら負傷直後に卒倒するような大怪我だ。

 新しい身体強化を試したおかげで、魔力の漏出まで抑えられている。


 破損した上着を脱ぎ捨ててからも、アンシーは傷口に注目してくる。


「もう一度、切り落とす」

「……は? なぜ」


 アンシーは切り落とすと告げてきた。

 腕を再び切る。これ以上の流出は怖い。


 経験にない流出量だったのだ。今でこそ体内の魔力を取り戻しつつあるが、一度は尽きる寸前まで減っていた。もしかすると、次は魔力が行き渡らないかもしれない。自分の限界を把握できていない。

 生身で活動するなどありえない。それにダンジョンであれば魔物に遭遇するかもしれない。普段以上に危険な場所で防御の手段を捨てられるはずがない。

 血液に関しても一度失っている。安全とは言えないだろう。


「アケハ。魔法を解くんだ」

「い、嫌だ」

「傷口が塞がりつつある。今、噛み傷を洗えなければ、肉が腐る場合もある。……分かっていたはずだ」


 観察していたアンシーの表情が悪くなる。


「ごめん。私のせいだ。いくらでも、嫌ってくれて構わない。……お願いだ。死んでほしくない。今だけは耐えてくれ」


 会話を終えたように、顔を背けられる。


「レウリファ。布を噛ませる。暴れないよう、上から取り押さえて」


 レウリファが体に乗り上げたところで、アンシーは横に置かれた鞄を漁る。いくつか取り出された物の中には、依頼のために採取した植物まで含まれていた。


「調薬なんて余裕ない。洗って口移しで済ませる」


 アンシーが突き出した容器を、レウリファは直接口で受ける

 うがいを続けたレウリファが含んでいた水を横に吐き捨てると、差し出された葉の数枚を口に入れていた。


「あまり待てない。次第に君の痛覚も鈍る、力加減も難しくなるよ」


 レウリファは視線を合わせたまま、咀嚼を行う。退くように言っても首を振って断られ、最後には近づいた口から生温かい液体を注いできた。

 距離を戻した後には、こちらの体を抑えるために要所へ自重をかけてくる。


 正面の視線から逃れるために、アンシーの方へ視線を移す。


「抵抗しないで」

「切れるはずがない」

「……私は言ったはずだよ」


 布を口に詰められて、暴言を放つ隙も無くなる。


 アンシーが鞄から、新たに剣を取り出す。


 塩と炭を極限まで混ぜたような鈍色の全身。切っ先が存在せず、平らな面で形作られた剣だ。煌びやかの欠片もない。石のような材質で、彫刻だけが暗い影を見せている。

 その平らな先端が、こちらの腕に向けられる。


 側面の刃ですらない厚い断面だが、確実に振り下ろされる状況では、異様な存在感を与えてくる。

 アンシーが斬れると確信している。


「やめ――」


 触れた。

 振り下ろした位置は、確実に腕に届いている。


 押し潰されながら、硬化魔法が崩される。

 荒い石の表面で削ぎ落とすよりも不規則で、まるで細かな生物に食い破られるように、身体強化が接触面から浸食されていく。

 傷の痛みが抑えらえた状況でも、肉を干上がらせるような熱が伝わる。炭となり灰へと粉砕される自身の肉を想像してしまう。


 悲鳴を上げて暴れたくても、すぐ上にいるレウリファが許してくれない。


 乱暴に振り落とせば、レウリファまで巻き込む。下手に力を加えれば怪我を負わせる。剣の方へ転がりでもすれば悲惨な結果に繋がるのだ。

 こちらの腕を切り落とそうとする魔法は、レウリファでは防ぎようがない。


 引き気味になる呼吸だけは整え、レウリファの悲嘆な表情を見ながら、嫌悪感が解消されるのを待った。


「終わったよ」


 剣は、持ち上げられた際に刀身の汚れは見えず、拭われないまま鞄に隠された。刃の管理も不要であるなら便利な道具だろう。


 切り落とされた断面の方は、軟膏を塗った布に包まれ、最後に長い包帯が巻かれて保護がなされた。

 顔を拭われた後で身を起こし、支えてくれたレウリファの頬を拭う。


 死なずに処置が終わる。

 過ぎてしまえば、後悔が湧き出す。


「アンシー、すまなかった」

「……いいよ。私も悪いんだ」


 アンシーに謝る理由は無い。不意の遭遇など外では当たり前の事で、未知の魔物が生息する地域で活動する危険性は承知していた。

 怪我を負ったのは自分の力不足が原因であり、治療を受けておきながら、相手を責め立てるのは間違いだった。


「アレは飛竜じゃないんだな?」

「……外見も体格も合わない。おそらく別種になる」

「そうか」


 新しい種族の区別となると専門家に頼るほかない。探索者からすれば呼び名など構わず、敵となる相手の性能さえ学べればよいのだ。

 残念ながら、敵に関して得られた情報は少ない。外見から想像できる生態や囮役を務めて負傷した程度だ。信頼は足りず、警戒すべきと提案しても具体性に欠けるものだ。

 秘匿するしかない情報とは分かっている。仮に公開したところで、個人の日誌になれば精々で、資料にもならないだろう。


「依頼の品を使わせてしまったが、問題にならないか?」

「採取時に余裕は持たせた。帰還さえできれば失敗にはならないよ」

「すごい薬だな……」

「致命傷も自覚できないから、注意は残しておいて」


 逃走時に比べれば、呼吸も落ち着いている。腕を失っておいて平然と話せているのも、鎮痛効果のおかげだ。

 代わりに身動きが難しくなるという欠点も、利点からすれば小さなものだ。


「寝る頃には効能も薄れてくる。今の違和感も晴れない内に、痛みを取り戻す。……いくら魔法で癒せようと、こればかりはつらいよ」

「わかった。覚悟しておく」


 治療道具が片付けられる様子を、大木を背にして眺めた。


 今日はこの場で野営になる。予想外の事態が起きてしまい、自分の負傷もあるが、二人にも疲労がある。休憩を早めたのは適切な判断だろう。

 本来なら大樹の森を越えておく予定だったにしても、目標であった依頼品の確保は完了している。遅れが一切許されない計画は組まれていないため、以降の移動を早めれば解決できる問題だ。


 食事の準備が行われる中、アンシーの視線が手元から外れる。

 昼空が続く森は視線が通る。奥から近づいてくる小さな姿を見つけられた。


「ヴァイス」


 そばへと駆け寄って、姿を確かめる。

 歩く動作は正常に見えた。


「生きていた。……生きていたのか」


 撫でようとして差し出した手が存在しないため、反対の手をヴァイスの顔にそえる。

 最悪の別れをしたはずなのに、見捨てた者の手を避けようとしない。


「ごめんな」


 半身に浴びた黒血は、姿を見せない彼らのものなのだろう。


 まともに戦える相手ではなかったのだ。雨衣狼たちより丈夫な自分でも腕を噛み切られた。身代わりになった獣魔たちが生きて戻ることは無いと、たとえ生き延びても合流できるとは思えなかった。


 ひとつの傷も見逃さないよう、何度も全身に触れて無傷を確認する。横腹を当ててくる中、血の見えない部分まで指を通し、手放さないまま一周して正面に戻る。


 屈んで待つとヴァイスは体を預けてくる。

 足を構えて、押し当ててくる勢いを受ける。


 抱擁を終えた手は、重たい血泥で塗りつぶされていた。



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