244.暗がりから見た空
草原が枯れて、露出した土を踏み込む。
丘の緩やかな地形を過ぎると、身を隠すほどの岩に大地が埋め尽くされる。転倒に警戒して手頃な岩に触れて進む傾斜は一歩ごとに腰が下がり、足を止めて見下ろす先には、いつまでも遠い森がある。
表層ともあって周辺で活動する魔物は少ない。岩肌に潜む生物も害の少ないものばかりらしく、足場選びに意識を集中できている。
獣魔たちも知らない地形に警戒を残して、身動きは少ない。飛行できる夜気鳥は近くの岩へと気楽に移り、雨衣狼は自分たちの足跡を追うように下りている。
大きな背を傾斜に沿わせて、滑らかな足運びを見せる。高低差に弱いとされる雨衣狼でも、人間よりは器用なのだ。
離れた地点では、坂という手加減も欠けた絶壁が伸びる場所も見られる。魔法で丈夫な自分はともかく、レウリファや雨衣狼では下りられない。
崖を下るより手早い進路を選べるのは、アンシーの先導あっての事だろう。
無許可で侵入しているため、軍が利用する範囲には立ち入れない。限られた傾斜の緩やかな地形も、可能性のあるものは既に補給線として利用されている。
小人数が通れる進路を個人で探し出すまで、広範囲を探したはずだ。
森の手前に着いた頃には、辺りは暗くなる。
夕空は未だ明るく、地上に光が届かない状態が異常とも思える。
高い壁に囲まれたような場所では日の当たる時間が短い。アンシーが語った例えでは、狭い路地が昼しか照らされない事と同じらしい。日常で経験する事だとしても、規模が違いすぎると指摘されるまで思い至らない。
アンシーが野営に選んだ場所は、岩山の途中にある小さな平地だ。住処とする生物がいる穴蔵などは選べず、半端な場所で夜を過ごす。
「まったく奇妙だよね。まだ奥の方は明るいのに」
「今向かっても追いつけないんだろうな」
「ま、先に夜が来るだろうね」
数歩先は足場もないような所に、アンシーは座っている。
横に腰を下ろすと、間に道具が置かれた。
水を温めるための道具で、中央部分に火の明かりが灯る。魔法を使わない点でアンシーの好みらしい。費用面で魔道具を諦める一般の探索者とは違う。
「明日から厳しくなるよ」
「たった数日なんだ。何とか耐えてみせる」
「そのために沢山学んだからね」
携帯食を溶かしたスープを飲んでから、正面を向く。
視界は開けており、近くの森は見える。
少し奥では、未だに光の届く深緑があり、植物の個体差をありありと示している。多くの光を取り入れようと木々は伸び広がり。いくつも存在する塊は、こちらが留まる高台を見下ろし、視認を拒むように霧で確かな形を捉えさせない。
森を進むには夜という条件が厳し過ぎるのだ。
未だ人間の手で整えられず、多くの生物が入り乱れる自然が残る。人間以外の生物に整えられてきた環境だ。
生死にありふれて個体数でしか判断されない。決して強者でもない人間が訪れるには過酷な場所だ。
都市ひとつを作るために何千何万もの人が動くというなら、たった三人で広大な自然を開拓するのは不可能だろう。岩場に張り付く自分たちは、そこらで見かける摘まめる程度の草と変わらず、見渡す景色と比べれば極めて小さい。
可能なかぎり、期を待つ。
元々の環境に変動があるなら、見つけだした変化の中で比較的安全な条件を選ぶ。霧で見通しが悪いなら、風に流された隙を狙えばいい。
待ったところで改善されない場合もあるだろう。人間が数世代も関わってきた景色が、自分のまばたき一つで変わる事も考えにくい。
数百年後、このダンジョンが攻略された頃には、誰もが無警戒に出入りできるようになるかもしれないとしても、少なくとも今ではないのだ。
自分の力は、全てを変えられるほど便利ではなかった。
足りないものは足りないのだ。工夫して通用するなら工夫すればいい。しないならしないで構わない。
変わる事もあれば、変わらない事もある。意思が介在しない場合もあるだろう。
食事を終えて眠る。
交代のために起こされた時には、最初に星空を見た。
森に立ち込める霧は光を浮かべるようになっていた。
奇妙な景色だ。
昼に霧が現れる事はあっても、霧が光を運ぶ事は無い。少なくとも人の手による明かりではないだろう。ダンジョンにおける光といえば、道を示す杭や組合施設であり、今見える霧はどちらでもない。
ダンジョン由来の床や壁が光るとしても、目の前の現象には説明がつかない。
「ここらは掘っても光らないよ。記録では十階相当まで掘ったみたいだけど、結局、床は見つからなかった。それは横を削っても同じ。……ダンジョンだと確信しているのは、強烈な迷宮酔いがあるからだろうね」
地面へ触れた手袋に土が付いていない。汚れを払った後の両手を地面に戻す。
アンシーと二人で夜景を眺める。
「ダンジョンって何のためにあるんだ?」
「さあ。私も分からない。……目にするのは結果だけ。どう使うか余地がある時点で、決まった用途なんてないのかもしれない」
自分が目覚めたダンジョンは語っていた。人を殺すことが目的であり、実際、操り手である自分に対しても利益が存在した。
人に紛れて生活できなければ、ダンジョンの力に頼るしかなかっただろう。人を殺すことで多くの魔物を生み出し、狙ってくる者から身の安全を確保する。
単純で明解な答えであるものの、ダンジョンを操る側の主張でしかない。
「管理して有益になるなら存在を許す。害が知られている以上、絶賛される事は無いけどね」
多くのダンジョンが資源を得る場として活用されている。
正しい用途など無意味で、魔物が生み出されるという事実だけが存在している。過去の脅威として警戒が残る程度なのだ。
今の自分も変わらない。
自分が所有するダンジョンコアは、人間を殺すという意図から外れている。いつか自分に疑惑が向けられたとき、敵視された場合の逃げ場として保管している。
人を殺すために使われていない事に変わりないのだ。
「アケハは、どう考えているの?」
「……道具かもしれない。出てきた魔物を狩って金を稼ぐ。下手に扱うと危険な部分もあって、刃物なんかと似ている」
「確かにそうかも」
自分も他の人間と変わらない。
都合よく利用する。当たり前だ。人間の敵として扱わるなら人外として行動するしかない。泣いて頼んで生きていけるのなら、そうするだろう。
自分は非力なのだ。
「アンシーは俺に魔法を教えてくれたよな?」
「ん? そうだよ」
急に話題を移したため、アンシーの言葉には疑問の音が混ざっていた。
「俺に適性が無くて、普通の魔法を扱えない事も知っていたのか?」
「あー、うん。握手したでしょ? 他人の魔力って感じる人は感じるから」
「異常とは思わなかったのか?」
「辛辣だね」
適性が無いと判断されて、学園で通常学べる方法では無駄だと教えてもらった。
それでも魔法が使えるのだから異常と思うべきだろう。専用に用意してもらった環境でなければ学べないというのだ。
「扱いを知っていたから教えられた。それだけだよ。……魔法を扱える時点で普通じゃないんだ。学ばない人の方が数としては多いし、彼らからすれば学び方なんて大して興味ない。私としても魔法を覚えてくれるなら構わないよ」
「そうだったのか」
自分の事を知っていても、他人には詳しくない。差異に対する反応も、アンシーの指摘の方が現実的なのだろう。
夜も過ぎる。
会話もなければ風音も聞こえてくる、静まりかえった環境だった。
途中で起きた雨衣狼たちと触れあいつつ、星空の見える景色を見回した。




