242.未明
目覚めたのは深夜だった。
朝には王都を出るため、眠気が残る内に眠っておきたい。
ダンジョンから始まった人生は、ひどく奇抜だ。
人を殺す存在と関わってしまったために、人との接触を避けた。偶然知り合った人間に過剰な警戒を示して、奴隷という不確かな主従に頼った。唯一の居場所を奪われたくない一心で探索者を殺し、襲いかかる相手も当然、拒絶した。
当たり前を避けたのは自分だ。異常だから異常な人生を送るしかない。普通の人生を得るための対策が必要だと感じた。だから、行動した。
暗い視界を前にすると、自身を振り返る余裕がある。
見えない、知らない危険を考えなくて済む。
今ここで魔力を広げてしまえば、そこから得られる抵抗から周囲の状態を探れてしまうだろう。
得られるのは魔力の不審な動き。大規模な魔法であるほど魔力量と精密な制御が求められる。ただし、音も光も頼りないこの場で、強引に魔法を使う者などいないだろう。無警戒の相手を殺す程度に大した魔法は不要だ。
かすかな情報だ。代わりに、ささいな眠気が失われる。
このまま夜がいてくれるなら、平穏が続く気がする。何も見えず、何も感じない。そこには誰もおらず、レウリファの存在もおそらく感じられなくなる。
光を、……朝が来る事を望んでいるのも事実なのだ。
生きる事と、生を望む事は別なのだろう。
いつまでも全力になれない自分だけがいる。
思いふけているところに、上の階から物音が響いてくる。
部屋の輪郭をながめる間に、暗さにも慣れた。隣で温まるレウリファを起こさないように寝台を抜け出し、気になる二階へと向かう。
部屋の扉は、隙間から光が漏れていた。
外と繋がる窓は暗く、朝日ではない。中にいる何者かに気付かれないよう、慎重に進んで扉を開ける。
入った室内は小さな火で照らされており、
寝台には一人腰掛ける姿があった。
「ニーシア」
見上げてくる顔は微笑がある。
ニーシアの背後にある鞄は、分かれる際に買った物だろう。
「どうして、ここにいる?」
「貴方と会いに……」
立ち上がったニーシアは、あと数歩の距離で止まる。
以前より目線は上がる。身長は伸びているだろう。
「アケハさん。戻ってきていたんですね」
「ああ。元気にしていたか?」
「……はい。とても」
小さく体を揺らしたニーシアが落ち着いた様子で答える。
王都で生活していたにしては手に洗礼印が見えない。洗礼を受けていなければ、子供のままでは、職も得られない。
光神教を警戒しているのかもしれない。ダンジョンを操作できるようになったために身を隠している可能性はあるだろう。
「なあ……」
「はい。アケハさん」
一年ぶりの再会で話題選びに迷う。
離れて生活した以上、異なる経験もしている。ニーシアと共有できる話題は多いはずだが、急に持ち出す事は想定していなかった。
「大きくなったな」
「分かってしまいますか。以前と比べて、拳ひとつは大きくなりましたよ。もちろん体の方も、……メリハリが増したと思いませんか?」
ニーシアは胸に手を当てると、わずかに体を傾ける。
視線近くに寄せられた膨らみを見ると、姿勢は戻されて小さくいたずら声が聞こえた。
「俺と暮らした事を、後悔していないか?」
「いいえ。助けてもらった事も、その後も。ずっと感謝していますよ? そうでなければ、会いに来たりしません」
「そうか」
ニーシアの発言からは拾えないが、会いに来るだけなら恨みや復讐心でも可能だ。
何とも思わないなら、過ぎた事として重視する事もない。
「以前のように一緒に暮らしたいって言ったら、怒りますか?」
「いいや、怒らない」
以前の暮らしを心地よく思ってくれていたなら嬉しい。自分の行為が少なくとも許容されているなら、今、敵として扱われる可能性は低い。
ニーシアを拒絶する理由も無いのだ。
ただ、以前の暮らしは取り戻せない。自分の状況は以前と異なる。
仕事の都合で遠出が多く、一か所に留まる生活は難しい。部外者を連れ回すわけにもいかない。自分とニーシアの都合は専属従者の活動と無関係であり、専属従者に加えるなんて提案もありえない。
ニーシアと一緒に暮らすとしても、本拠地である法国の方に家を持つ形になる。以前ほど長く過ごせないだろう。
本拠地に留まる専属従者もいるが、自分の場合は役に立たない。
「まったく同じとはいかないから、話し合って解決策を探すべきだろうな」
「勝手に飛び出した私でも、考慮してくれるんですね」
ニーシアの生活を壊した原因はこちらだ。ダンジョンを操れるようにしたのは、能力を把握するためであり、一方的な都合だろう。
警戒していたはずの光神教に関わり、聖女と体を重ねた事も、不本意だとしても事実に変わりない。
敵視しているとも言えない半端な状態だ。嫌うというなら諦めてもらうしかない。
「どうしても我慢できなくて、……さっきの言葉、次聞く時にも言ってくれませんか?」
ニーシアは横に寝台に向かうと、自身の鞄に手を伸ばす。
取り出されたのはダンジョンコアだ。
「アケハさんから受け取った物です。貴方の力ですから。これは貴方に返します。……去り際に渡された物なら、今の私には要りません。以前のように過ごしたい私の気持ちを受け取ってください」
抱えられて運ばれてきたダンジョンコアを受け取る。
操作して伝わってくるDPは以前と変わりない。ニーシアは一度も使わずにいたのだろうか。
「いろいろ要望に応えてくれるみたいです。……でも、彼らには彼らの目的がある」
一歩引いたニーシアと目線が合う。
「これから大変な事が起きるので、王都から離れてくれませんか?」
「待て、何を知っている?」
手にある物を捨てるわけにもいかず、詰め寄る事もできない。
今騒がれている危機は、王都内にあるダンジョンの異変だ。ダンジョンを操れるニーシアが断言する危機となると、どうしても強く当てはめてしまう。
鞄を拾ったニーシアが部屋を出ようとする。
廊下に出てようやく腕を掴むと、去ろうとした勢いは緩まる。
「ニーシア」
「好きです、アケハさん。お願い。今だけは逃がしてください」
魔法で強化した肉体は強力だ。加減を誤れば、ニーシアの腕も握り潰せてしまう。抵抗されてしまえば、相手の怪我は避けられない。
「危険な事をするなら、お前を排除しなければならなくなる」
「たとえアケハさんでも、これだけは譲れません」
ダンジョンを操る者が人々を脅かせば、同類である自分も明確に敵となってしまう。これまで知られずにいたとしても、警戒されれば逃れられなくなるかもしれない。
「お前自身も危険になるはずだ」
「だとしても、私には行う必要がある。自分で選んだ道です」
ニーシアは怪我も構わず逃れようと動く。
「待て。それは諦められないのか?」
「……はい」
手を放すと、一歩進んだところでニーシアは振り返る。
「感謝はしています。こんな形で迷惑をかける事になって、ごめんなさい」
謝り終えたニーシアは物干し場に出ると、そのまま二階の高さから飛び降りる。
着地した音は聞こえない。
砂利を踏む音も無く、夜の中に姿を消した。
王都のわずかな夜明かりを見たところで、ニーシアを探せるわけでもなく、家の中に戻る。
ニーシアがいた部屋には明かりが置き去りにされたおり、ダンジョンコアを転がらない場所に置いた後は、火を消して二階を降りる。
ダンジョンにさらなる異変が起こるとしても、誰にも伝えられない。情報の出所が不確かで、言い出した自分が疑われる。
緊急だからといって、アンシーの頼みを断る事も自分には難しいのだ。
何もできない。
家の正面扉を確認してみると、鍵は閉まっている。
戸締りは確認していたために、ニーシアの侵入方法には疑問がある。解錠する技術を覚える機会があったのか。日が出た後に確認してみれば、何か分かるかもしれない。
寝台に戻り、レウリファの隣に寝転ぶ。




