240.かつての日常
準備期間も含めて十一日。
許可は簡単に通ってしまった。
認められないと思っていた私事での休暇を、アプリリスは一言で応えてしまう。再びエルフェに怒られて、もう一人の専属従者から普段通りに短い言葉を貰って、翌朝には私服で教会を出た。
レウリファと獣魔を連れて、かつての自宅に戻ってきた。
「懐かしいな」
「はい」
ダンジョン騒動によって、専属従者になる形で契約期間中に出ていく事となった。残りの期間をアンシーに譲る形だったが、家の契約を続けていたらしい。
いや、この庭にある二軒は、最初からアンシーの持ち家だったのだろう。
家を紹介する前に不動産屋に寄ったり、保証人となって家賃契約に立ち会うなど、アンシーの介入は大きい。家賃自体が比較的安かったのも、選ばせるためだったのかもしれない。
道楽に付き合っただけなら気楽だが、負担分を取り立てられるのは怖い。
獣魔を庭に残して家に踏み込むと、見覚えのある室内を見つける。
大きな家具の配置は、自分たちが立ち去った頃と変わらない。適度に窓を開けていたために、建材本来の無機質な臭いを取り戻したらしい。
生活感は遠く、魔法で照らした奥は空き棚や閉じた窓がよく目立つ。雑貨や小物が家を維持するための最低限しかなく、他人に譲れない物は以前に処分してしまった。
ためしに近くの窓枠に触れると、指先には埃が付く。
「少し掃除するだけで良さそうだな」
「昼までには、済ませてしまいましょう」
拭いてまわるだけなら時間に余裕もできるだろう。生活の準備は早めに終わらせたい。
これから三日は、向かうダンジョンについての教育を受ける。
山ひとつを越える規模でありながら、残りの日数で依頼を達成できるのだという。変な話だが、前衛基地より奥に進むだけで最深部には行かない。というか不可能らしい。
まず、誰も最深部に到達していない。軍による何十年もの遠征計画も安定重視らしく、輸送可能な道を敷き、各地に防衛施設を築く事に専念しているそうだ。
無限に敵戦力が湧き出るダンジョンで安全な行進はありえない。いかに犠牲を最小限にして着実に攻略を進めるかという問題なのだ。進路を決めるために少数で先遣調査をしているはずだが、確実な情報は得られていないのだろう。
どちらにしても到底、個人の探索者では成しえない。
アンシーの依頼は軍の保全範囲の外で、稀少な資源を採取する事だ。
軍が管理するダンジョンでは、観測済みの場所に限っては、小石ひとつ拾うだけでも大問題になる。発見済みの資源は有限だ。勝手に採取して植生が変わると、軍での研究に支障が出るらしい。
依頼者も変に配慮している。
家の掃除は着々と進み、昼にはアンシーの家へ向かう。
急な話で外泊の準備などしておらず、かつての自宅も一年ほど空き家だったために、持参した物を含めても物が足りない。食材を含めて、必要な諸々を取りに行った。
何度か往復して、家の作業も終わる。
最後の確認としてアンシーに報告した。
「家に戻る用事はないんだね。これから話漬けになるけど、いい?」
「ああ、頼む」
「お願いします」
専属従者となり一年ほど現場を離れていた身が、最低限の技術を備えられるかはアンシーの判断に任せるしかない。探索者なら慣れない土地へ向かう際には情報を集める。熟練の探索者しか入れない場所となれば、資料以外に経験から学ぶべき事も多いだろう。
エルシュも聞き側に加わったアンシーの講義は、初日とあって夕方に解散となった。
家に戻れば、就寝までの家事を急ぐ。久々の作業に手間取るだろうと、就寝を遅らせない事だけを考えていた。厨房に着けば、詰めた薪に魔法で火種を用意し、浴槽に行けば魔法でお湯を用意する。
結果だけみると心配は不要で、工程は大幅に短縮されていた。作り置き一歩手前の食材を貰っていたために調理時間は短く、余裕を感じて浮ついた自分は、背中を見せるレウリファにたしなめられた。
教会の暮らしと違って、人の営みに近しい。
動きのひとつひとつが自分に向けられている。奴隷という主従関係が元だとしても、目に見える仕草に騙されているのだとしても、行為は偽れない。
ひと目。
呼吸が一回りする間、向けられた視線をながめる。
食事の手を止めたレウリファの見開く瞳がある。
盗み聞きの心配もない中で、口数が減る。
片付けの間も、続く会話は無かった。
温めた浴室で互いの体を洗い、冷えない内に体を拭く。
明かりに困らない更衣室で毛繕いの姿を傍観して、寝台へ向かう時には体を寄せ合う。
「広いよな」
「……はい」
通常より大きい寝具に引き取る先は無く、家を去る際にも残されていた。長く放置したはずだが、外干しただけで使える状態になった。おかげで寝袋を頼らずに済む。
いくつか敷かれた大きい手拭いは、教会からの持ち出しで触り心地も良い。導くように座らせると体は素直に離れた。
光球の明かりの中、ロウソクに火をつけて寝台脇の机まで運ぶ。外では既に日も落ちており、光球を消せば、火の明かりだけが部屋を照らす。
レウリファの姿態は赤みに照らされ、そばで息遣いを聞く。
首輪に触れ、その内側に指を伸ばす。一切の抵抗は見られず、こちらの手は頬まで届く。
手に届く熱を、自分に引き寄せた。




