24.ニーシアの提案
外の涼しい風に当てられて少しの間だけ体が震える。日の明るさはあるが地面は温まっていない。
髪も伸びて前髪が視界を隠すようになったので切る事に思い至り、こうして道具も持ってきている。
髪型がどうなっているかもわからず、手で掴んで長さを確かめる。
都市の人々は髪型も人それぞれで、男は短く、女は長いという何ともあいまいな結論しか出なかった。
仕事や身分で変わることはあるのだろうが、自分に適した髪型はわからない。手櫛でとかしていると顔の横に避けておけばいいのではないかと考えてしまう。
「アケハさん、何をしているんですか?」
髪に気を取られて、ニーシアが近付いていた事に気付かず、体が震えた。座っている状態で身動きも取れずに固まる。
ニーシアでも起きられる時間であるのは確かだ。
「ニーシアか」
「はい」
「前髪が邪魔になってきたから、髪を切ろうと思っていたんだ」
「髪を切るんですか」
後ろの方から声を掛けられている状況に少し慣れて落ち着く。
ニーシアに後ろ髪をとかされると、くすぐられたような刺激を受けてしまう。ほぐれたはずの全身が固まってしまい、彼女の手を取って止めたくなる。
「私が軽く整えましょうか?」
この前に摘み取っていた果実の香りが頭の中まで通り抜ける。
気を落ち着かせた頃には、高鳴りも抑えられて体も動く。ニーシアに髪を撫でられ続けている。
「頼む。整えてくれないか?」
「わかりました」
脇に置いてあった包みから櫛とはさみが取り出される。
彼女の手で先にとかしたおかげか、櫛の引っかかりも少ない。くしと指の違いを感じながら、切られるのを待つ。
「目は閉じていてください」
頭の上から首元までしっかり撫でられると、はさみの閉じる音が聞こえてくる。
ゆっくりと時間を掛けて髪を切られていく間は動くこともできず考える事を探す。
「村では手に入らないようなものも買うことが出来て、都市に一緒に行けて良かったです。村に住んでいたとしても、使い回された物しか貰えませんでした」
村が盗賊に襲われなかったら、ニーシアも洗礼のために都市に行っていただろう。
「食器や置物、衣服に手鏡。好きなものを選ぶ贅沢ができました。いろんな食材もあって、一緒に食べたりして、本当に楽しかったです」
顔の向きを変える為に両手を添えられたり、耳の周りの髪を持ち上げられる際に耳を触られたり、目を閉じていると葉が揺れる音から彼女の息づかいまで聞こえる気がする。
前髪以外を切り終えたニーシアが前髪を扱い始める。髪の少しを指に挟まれた後、はさみを閉じる音が何度もなる。
「私には首輪をしなくてもいいんですか?」
前屈みになったニーシアを見る。すでに櫛とはさみは離れている。
「ダンジョンは人間を殺すような魔物が生まれる場所ですよね。私が怖くなって逃げるとは思わないんですか?」
逃げる彼女を捕まえられた後、自分はどうするだろう。逃げた人を殺すことはできるのだろうか。
襲ってくる人であれば、自分か相手が死ぬ。逃げられたら、他の人間に知られて自分が死ぬかもしれない。それでも判断できず、答えが決まらない。
「今はまだ、悩んでいても構いません。その時になったら、決断できる人になってください」
逃がすか、殺すか、あるいは捕らえて閉じ込め続けるか。
「切った髪を洗い落としたいので、水と布を持ってきますね」
ニーシアがダンジョンの方へ歩いていく。盗賊の時と同じく自分の身に危険があったのだ。
レウリファの件は首輪を操作すれば殺せるから油断しているのかもしれない。少し知ってしまえば相手に情が湧いてしまう。
服が濡れると着替える必要が出てくるため、上半身は脱ぐ。
広めの桶の上に顔を持ってくると、ニーシアに水差しを使って水をかけてもらう。片手で頭を揉んでもらい、残っている切れた髪が水と一緒に落ちていく。最期に手で水気を落としてもらって、布で拭いてもらう。自分でこなそうとしたが止められた。
「レウリファさんが毛繕いをしていない事に気づいていますか?」
ここの帰ってきた夜から魔物に監視をさせていたから、したくてもできないのかもしれない。
「都市にいた時も帰りに野宿をしていた時でさえ行っていたのに」
それでもレウリファが監視される事態になったのは、彼女の行動の結果だろう。
奴隷の生死を扱えるとはいっても無理やり従わせることもできない。本気で抵抗されてしまえば、どうしようもない。
「言葉に反応はしてくれますが、精神の状態は良くないと思います。気にかけて見てあげてください」
川が近くに見つからないというのは、自然の中で暮らす上で問題になるはずだ。体を洗うこともできない、飲み水も植物から得るぐらいしか他にない。
ダンジョンではDPがあれば水を自由に取り出せてしまう。
ダンジョンの通路には排水用の溝が作ってあるため、通路に桶を並べて衣服の洗濯をしている。都市から帰って来る際に着ていた服には土の汚れが目立っている。
ずっと道の上を歩いていたり、布を敷いていたものの地面の上で寝ていたので、汚れが付くのは避けられなかった。
この住処で暮らす場合は自然の中を多く歩くため、植物の汁が浸みた汚れを見慣れるようになる。肌を傷付けないために着る、丈の長い衣服には昨日の山菜取りで増えただろう汚れがしっかり残っていた。
汚れを落とすための石鹸もいくつか準備してある、今まで汚れの落ちなかった衣類や布も一気に洗ってしまう。
洗濯自体も重労働だが、普段以上の汚れを溜めた衣類を洗うのは長い時間がかかる。汚れた部分に石鹸をつけて十分に揉む必要があり、慣れよりも体力が問題になる。
洗い終わったものが溜まると、外へ干しに行き一息つく。
果実水を温めたものを準備して3人で飲んでいると、水で冷えた体が温まると同時に器を持つ手がふやけているのがわかる。
明日に伸ばす事は考えずにひたすら作業を続けると、日が真上を過ぎた頃には終わることができた。腕自体が疲れと寒さで震えて、今日一日は休ませてほしいと主張しているような気がする。
自分も動きたくなかったので、昼以降はそれぞれの部屋で休憩させた。
夕食も普段通りに手伝う。
火の番は当然、夕食に必要なものが載った荷車を押す事から始め、食器の片づけは欠かせない。
彼女たちも疲れているのは同じだろう。
ニーシアも料理の手間を省くことはせずに、美味しいものを作ってくれた。
片付けが終わり、外では日も落ちて暗くなっている。ニーシアの言っていた通りにレウリファの様子を見に行くと、彼女は部屋の隅に布を敷いて寝ている。彼女の部屋には購入時から持っていた大きめの箱鞄しか他に物が見当たらない。
起こすのも気が悪いが、聞いておきたいこともある。
「レウリファ、起きているか?」
最初から眠っていなかったのか、ゆっくりと上半身を起こしてこちらを見る。
「寝台をこの部屋に運びたいから手伝ってくれ」
重ねた毛布から抜け出た彼女は寝巻を着ていて、普段より幼げな印象がある。
静かに立ち上がるとこちらについてくる。
話をする前にすることがあったので少し気も楽になる。




