237.待ち人
「はぁ。外出ねえ」
「知り合いのところへ挨拶に行きたい。半日ほどで帰れるはずだが、何とかならないか?」
重たい溜息と共に、エルフェは目を伏せた。
「この仕事が不自由なのは分かるけど、好かないわ。欠けて困る用事が無いとしても、外出先で勝手されると、ただでさえ不慣れな活動に負担が来るわ」
「すまない」
「いいのよ。誰だって思う事だから。仕方がないわ。関係を知らないから、手紙で済ませろとも言えない。直接会いに行くのが堅実なのよ……」
普段任される仕事が多いエルフェの負担を増やす。もう一人の新任が話し上手でないため、何かを頼む際はエルフェの方に偏ってしまう場合が多い。
獣魔の世話もあって働く時間は少なく、書類仕事も満足とは言えない。リーフより扱いに困る存在だろう。
「一応、どんな相手なのか、できれば教えてもらえないかしら?」
「最初に魔法を教えてくれた人だな」
王都に移ってから一番交流が深い相手だ。獣魔の許可を取る事から始まり、家探しから魔法の学習まで、多く助けられた。ダンジョン騒動により、自分が光神教に入る形で別れる事となったが、最後まで親切にしてくれた。
「魔法を教えてくれたって……。貴方、個人的に教わったの?」
「そうだな」
「もう、なにも言わない。作法にうといのは知っているし。なんで、こう……」
見開いた表情の後には、こいつは、という普段使わない言葉を呟く。
「魔法の師って生涯敬うような相手でしょうに。手紙で近況を報告しあったり、子供を見せに行く。……そう、第二の親みたいなものなのよ! ここへ来る前に教えなさいよ」
「それは知らなかった」
自分以外の例を知らない。アンシーの方から魔法を学ばないかと誘ってきた形だ。自ら教わりに行ったわけでもないため、本来見せるべき礼儀を学んでこなかった。
「なにか……、せめて、お菓子でも持って行った方がいいわね。持ち込みはあるけど、自由に使えるほどじゃないわよ」
「別れる前に、各地をめぐるなら良いお菓子を教えてくれ、とは言っていたな」
「それ、厳格な人なら殴り殺しているわ。……まあ、私も知らないし、人それぞれなのだろうけど」
視線を外したまま考え込むエルフェから返事が来た。
「あーもう。私がする。絶対、持っていきなさいよ。……もし、忘れたら数の分だけ殴る。この滞在中、足蹴にしてやるんだから」
「すまない」
「事情は勝手に聞かせてもらっているけど、不穏な状況だったんでしょう。気を付けなさいよ」
「ああ、気を付ける」
新しく加わったエルフェが、どこまで聞いているのか。外聞の悪い話を避けたなら、ダンジョン騒動に巻き込まれた自分を光神教が保護したという具合だろうか。
狙ってきた暗殺者は死んでおり、事件全体も収束に向かっている。ただ、こちらの存在を知って、自暴自棄にならないとは限らない。
「それと、アプリリス様に伝えておくこと。これは必ずよ」
「わかった。ありがとう、エルフェ」
「まったく。大変だわ……」
エルフェに助けられる事が多いため、何らかの形で恩返しも考えておいた方がいい。とにかく、ダンジョンの異変に対して様子見が続く内に、生存報告だけはしておきたかった。アプリリスの許可を貰って、翌日には一人で教会を離れる。
教会前の広場には、多くの人通りがある。都市の中心にあり多くの道が通じるために、動きの止まった景色はどこにも存在しない。朝食を終えた時間ともなれば、職場に向かう人間も多くいるものだ。
ダンジョンの異変が起きた直後ならともかく、今は封鎖も完了しており、ダンジョン近辺でなければ日常を取り戻しているのだろう。家に閉じこもっていては生活も続かない。
私事で出歩くために、自分の服装は専属従者のそれではない。何か問題が起きた場合でも、光神教の立場を利用するのは最後の手段になる。
獣魔の世話はレウリファに任せており、一日の自由だ。今回、オリヴィアへの訪問は諦めている。貴族街への立ち入りには許可が必要で、本人も仕事は遠出が多いと語っていたため、短い滞在中に会うのは難しいだろう。
用事が少ない以上、高台の方に住むアンシーの所に向かった後は、早く帰るのもありだ。在宅でなくても、お土産を置くだけでもいい。
できるだけ大通りを進むようにして目的地へと歩く。すでに視界は王都の屋根を広く見下ろす高さにある。異変を起こしたダンジョンは遠く、わずかに見える景色からでは様子を確認できない。
急な坂を上がって何度も曲がる道を進み、最後に砂利を踏む。
一年近くでは、大きな変化は無いらしい。砂利道を進んだ先の広い土地には、以前と変わらず二軒の家が建っている。
広い庭に生活感は見当たらず。以前暮らした家も、脇にある薪棚に使われた形跡が無く、足音を鳴らしながら通り過ぎる。
「アンシー。いないのか?」
奥の家に着いて、玄関扉を叩く。
「はーい。……あ、貴方」
声質が異なる。扉から現れた人物はアンシーではない。
討伐組合で受付をしていた女性だ。
「エルシュさん、……だったか?」
「少し待ってて。アン! お弟子さんが来てる」
顔は室内へと向けられて、中にいるもう一人を呼び出している。
少しすると物音が近づいて、アンシーが現れた。
「あ、おはよ」
「アンシー。久しぶりだな」
「久しぶり、アケハ。さ、入って入って」
扉が開かれて、迎え入れられる。
玄関からは以前見た置物が消えていた。
以前と内装が異なるのは明らかだ。厨房から居間までの導線も保たれており、魔石を飾った棚も、床に散らばる紙も無い。居間にしても、書類の詰まった棚は変わらずとも、書き物机の横に新たな机が追加されている。
生活を変えたのだろう。
そして、朝時間から仕事姿でもないエルシュがいる。
「模様替えしたのか?」
「そうだよ。以前と比べて暮らしやすくなった。かなり、手伝ってもらったよ」
案内されるまま、居間の席につく。
「元気だったかい?」
「ああ。なんとかやっている」
「そっか、何よりで嬉しいよ」
アンシーの隣にいたエルシュが接客の用意をすると言い、アンシーから感謝の言葉を受け取ると、場を離れようとする。
「エルシュさん。この手土産を使ってくれないか?」
「うわ、箱詰めされてる。……ええ、わかったわ」
「菓子の詰め合わせなんだ。日持ちするから、片方は二人で食べて欲しい」
「ありがと」
二つの箱を受け取ったエルシュは、覗き込む仕草を一瞬だけ見せて厨房へと向かう。
「一緒に住んでいるのか?」
「まあね。次の仕事が見つかるまでは、という感じでね」
「俺の関係か……」
次の仕事を探すというなら、討伐組合での受付の仕事を失ったのだろう。
襲撃を受けたダンジョンから戻った後は、討伐組合でも見かけていなかった。自分がダンジョンコアを手に入れた事で、それまで接客していたエルシュに影響があったのだろう。
「少し危険な時期があってね。保護したんだ」
「迷惑をかけたようで済まない」
「いや、構わないさ。彼女も気にしない。元々仕事だったんだから」
顔見知りという事もあって人質として狙われた可能性もある。詳細は語られないものの、良い経験はしていないだろう。
「まあ、新しい仕事を見つけても、ここで暮らしてくれるみたいだから、私としては満足だよ」
アンシーの顔は、エルシュのいる厨房へと向けられた。




