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魔法迷宮で暮らす方法  作者: 朝日あつ
8.抑圧編:214-235話
235/323

235.断固



 夕方になって帰ってきたラナンには、隠せない疲労が見える。

 談話室という他人のいる場にいるため表情を取り繕っているだけ。私室に向かった後は翌日まで倒れ込みそうな姿だ。

 負傷は見当たらない。あくまで精神的な疲労に限られるらしい。聖者の身を脅かす戦闘があったとすれば、都市の警報も鳴っているだろう。


「ラナン。顔色が悪いな、……大丈夫、じゃないよな」

「アケハ……」


 ラナンは談話室の入口前に留まっている。利用者が限られる談話室では問題にならないが、従者が座っていながら聖者が立ち尽くす状態というのは見た目が悪い。


「立ったままでは会話の声も遠い。座って休まないか?」

「うん。そうさせてもらうよ」


 長椅子に加わった重みが座面を静かに揺れる。 

 ラナンは対面ではなく隣に来た。腰を下ろした後には背筋に丸みを残して呼吸に専念している。次に誰かが入室した時には今の姿勢も正されるのだろう。

 たとえ聖者であろうと、私的な場に関しては自由でいい。


 暗い表情が続くとフィアリスにも影響する。安静に過ごして早く回復してもらいたい。おそらく、夕食後には報告会がある。ロ―リオラスの情報提供の件が共有されるのと同時に。ラナンの今日の活動も話題になるのだ。


 これまでラナンの活動を見ると、落ち込む原因は思い当たる。

 聖者という存在も絶対的な抑止力ではない。有事の際に活躍するとしても、聖者が向かうのは事件が発覚した後だ。報告が届く時点で何らかの被害が発生している。自身の活動も素直に喜べるものではないのだろう。

 今回の件も、具体的な話を聞くのは後で構わない。


「失敗した」

「……研究所だったか」


 遅れて、小さく頷かれる。


「容疑者を誤って殺した。無抵抗な人間を刺してしまった」

「そうか」


 相手が違法行為を働いていたなら、最優先は違法行為を止める事だ。情報を得られずとも事態の悪化を防げたなら成果はある。逃亡を未然に防いだだけでも十分だろう。


「人が水槽に沈められていた。……装置を体に埋め込まれて、管を上下から繋がれて。そんな状態でも生きていたんだ」


 体に埋め込む物を魔石と表現していない。近頃言われた禁忌とは別件の可能性はあるだろう。生きている事を疑われる状態というのは異常だ。直視を諦めるような外見かもしれない。


「人を閉じ込めた水槽をいくつも並べた室内で、脱走した他の研究者が拘束されていく状況で、平然と作業を進めていた。書類が散らばる机を離れて、棚から容器を持ち出してくる。周囲の光景が当然であるかのように」


 下を向いたまま、ラナンは話を続ける。


「ただ、……怖かったんだ。問えば言葉は返る。こちらの制止を断る時さえ、丁寧な言葉遣いだった。自身の作業と並行しながら、まるで僕を教え子か何かのように語ってきた」


 他に誰もいない空間で、こちらに聞こえるだけの声量がある。


「自分を殺した相手に研究の後継を頼む意図も、倒れて血を流す自分より胸元の手帳を優先する異常な価値観も分からない。……怪我を冷静に判断できるまでは良い。納得して自分を諦められるなんて、僕には無理だ」


 ラナンが手の平を表に返す。


「……いいや、分かっていた。異常なのは研究内容だけで、対象が異なるだけの人はいくらでもいる。一部が明確に違うだけで相手を理解できなくなる。こちらが剣を構えようと相手は作業を続けるだろうと。通路をさえぎるだけで殺せると僕は予想できていた」


 語られる個人は異常な思考をしていたらしい。嫌がらせという目的でもなければ、自分を殺した相手に自身の功績を託さない。他人を対して区別しない性格だったのかもしれない。

 自分の死に無関心でいられるのは、明らかに異常だ。


「殺したかったんだ。正義感を利用して私刑を行った。僕は最低な人間だよ」

「ラナン」


 呼びかけると、首が横に振られる。


「……被害者は水槽に戻ろうとしていたんだ。解放した途端に苦しみだして、体を引きずりながらも、壊れた水槽のふちに腕を伸ばした。僕は彼らの最後の救いさえも奪った。施設を停止させる時には残りの彼らも殺しまうのだろうね」


 研究所には定期的に新しい人間が運び込まれていたという情報があった。利用する先があるとして、隠匿されていた時点で不正な用途だと察するものだ。助けられるなら助けるだけ。被害者の状態を知らずに救出できる前提が間違っている。

 治療魔法で解決するなら、同行していたフィアリスが実行していただろう。異常が現れた時には、ラナン自身も処置を考えたはずだ。

 容赦のない敵が取った人質は助からない。


 実際は、目の前で動く姿を見てしまえば助けられると自覚してしまうのだろう。たとえ、途中で死体の山を見かけていたとしても、助けられると考えてしまう。


「僕には足りない。正しくあろうとする意思も、敵から守り抜く力も、まだ未熟なんだ」


 ラナンの手は握り込まれる。押せば倒れ込みそうだった体も急速に力を取り戻していく。諦めていない。犠牲が生じようと守る対象は残されている。聖者として高い理想を持つかは不明だが、向上心は揺るぎないものだろう。


「強いな」


 自分はラナンのように失敗を越えられない。挑めない。知らぬ間に失敗していたとしても、その事実を認められない気がする。


「アケハも強いよ」


 振り向いたラナンに、先ほどまでの陰りは無い。


「フィアリスから聞いた。ロ―リオラスの攻撃を受け止めたって。……僕なら特別と言われていなければ耐えられない」


 ラナンには強く見えるのか。


 魔力量という明確な長所があり、硬化魔法という手段があった。一般より優れた部分があり、それを頼る以外の方法を知らなかった。

 地下聖堂に踏み込んだ事も、投げやりに行動しただけでしかない。戦闘員でもない専属従者は地上に留まる事もできた。

 自分の違和感に悩んで、足踏みする状況を終わらせたいと思っただけだ。対峙する覚悟ではなく、元々、自身だけで思考が完結している。


「それは、……誰かを頼る事に慣れていないだけだな」

「僕も、失敗だけは数えきれないほど経験している。慣れだろうね」


 慣れと言われても実用性は大差がある。


「入った頃は、ラナンの隣に座るなんて、想像していなかったな」

「僕も今の生活に慣れるまでは緊張で疲れていましたよ」

「そんなものか」


 ラナンは地方の村の出身だと以前語っていた。教会での暮らしなど未経験で、慣れるまでに苦労はあっただろう。


「水を用意した方がいいよな?」

「あ、お願いします」


 従者らしい対応を最低限しておく。

 夕食前とあって、水だけに抑えて会話を続けた。


 再び入った談話室では、聖者聖女に加えて専属の者まで揃う。アプリリスが進行役を務める見慣れた光景で報告が進み、今後の方針も合わせて伝えられた。


 周辺国にて異変が起きたダンジョンに対処する。出発までの日数も定まり、日々の活動の裏で準備を進めていく事になる。


 自分が本当に確かめたいのは聖者や聖女の実力ではない。

 ダンジョンを操れる存在に対して警戒があるのか。光神教による対処を知れば、生き方も見えてくるかもしれない。明確な答えが得られるとは思わない。一歩ずつ目標に足を進めるだけだ。

 それまでは専属従者として、彼らの隣で過ごしていくのだろう。



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